外はひどい嵐になった。細かい雪が吹き荒れ、窓を揺らす。さながら、真っ白い闇に閉ざされているがごとくだ。
…ジョミーは凍えていないだろうか…。
窓辺に立って、そっと手を伸ばした。ひんやりとしたガラスの表面が、手のぬくもりのためにわずかに白くなる。
そのとき、窓と反対側にあるドアがトントンとノックされた。ブルーは顔だけをそちらに向ける。
「夜遅くにすまん。もう寝るところなら、改めるが」
開いたドアの向こうには、闇に溶けるように北の指導者が立っていた。
「いや」
確かにもう日付の変わるような時間だ。けれど、そんなことは向こうだって分かっている。それを承知でここまで来たのだから。
「来るころだと思っていた。早く入ったらどうだ? 人に見られてもいいのなら、僕はそれで構わないが」
その言葉に、キースは顔をしかめてドアを後ろ手に閉じた。
「…昼間の話なら断る。大体、そんなことで私が動くと思われているなら心外だ」
「では、何の用だ? こんな夜中に」
キースはため息をつくと、部屋の中央まで歩き、ランプの明かりを操作した。薄暗い室内が、一気に明るくなる。
「…ジョミーの捜索のことだ。確かにあなたの言うように、彼は今戻るに戻れない場所にいるのかもしれない」
キースの言葉に、ブルーは返事をしなかった。
「捜索範囲は近隣諸国に及んでいる。だがジョミーが見つかる気配すらない。ならば、やはり違う次元に入り込んでしまったと見るほうが自然かもしれない」
「それなら…」
「だが、現地が危険なことには変わりない。特に、あなたにとっては」
キースはブルーを遮るようにそう言ってから雪の降りしきる外を眺めた。
「…私や側近は、あの場所を訪れるのは初めてではない。過去に忌まわしい実験が行われ、今なお不穏な空気を漂わせるあの屋敷には、今までにも5回ほど足を運んでいる。
その首謀者が、南へ逃れていたとは知らなかったがな。
キースはふんと華を鳴らして続けた。
「だが、一度として魔物が出没したことはなかった。いや…奇妙なものの目撃例はあるのだが、それで実害が出たという話は聞いていない」
「奇妙な…もの?」
「…無人であるはずの屋敷内に白いものが見えたというものや、人らしき影法師が見えたというものだ」
あのとき見えた白い触手のようなものが脳裏をよぎる。
…では…あれはやはり…。
しかし、キースは首を振った。
「確かに、あの白い妙なものはあなたかジョミーに誘発されて姿を現したという推測はできる。いや、その可能性が高いことも分かっている。だが、だからと言って、もう一度あなたをあの場所に連れて行くことはできない」
「なぜ」
断言できないまでも、僕があの事態を引き起こしたと推測できるのならば、同じことをもう一度やればいいだけだ。
その言葉にキースは渋顔をつくった。
「…だから、ことはそんなに簡単ではない。あなたがあの事故の原因者ならば、なおさらあの場所に近づいてはいけない。次にはもっとひどい事故を誘発するかもしれない」
ふたりの間に沈黙が落ちる。暖炉の火がぱちぱちとはぜた。
「ましてや今度はジョミーがいない。おそらく、周辺の樹木や塀ごとあの屋敷を移動させたのはジョミーで、彼は彼なりにあなたの安全を図ったものと思われる。彼のいないときにあなたの身に何かあれば、責任は持てない」
「責任など持ってもらう必要はない」
そう、今度こそ逃げない。あのときは立ちすくんでいるしかできなかった。でも。
今度こそ、僕がジョミーを取り戻す。そのためなら、なんだってする。
「君に迷惑はかけない。僕はジョミーさえ戻ればそれでいい。彼を取り戻すことができないなら、僕がこの世に存在する意味もない」
淡々とした言葉に、キースは押し黙った。だが、次には呆れたように息を吐いた。
「…さすがに新婚ならではだな。あなたは冷静なタイプだと思っていたのに、ジョミーがからむとその途端客観性を失うらしい」
「ジョミーがいなければ、僕は今ここにはいない。当然のことだ」
「そうかもしれないが、今そんなことは関係ない」
その言葉にキースは鋭い眼光をブルーに向けた。
「はっきり言っておこう。私にとって、いやわが国にとってあなた個人などどうでもいい。しかし、ジョミーが不在である今、あなたには指導者代行という肩書きがついて回る」
「そんなものは…」
「自覚がないのにも程がないか? ジョミーは楽観主義の極楽トンボに見えて、指導者であるという自覚はしっかりあったぞ…?」
進まない会話に焦れたのか、キースの口調がやや荒っぽくなる。
「それはジョミーが指導者だったから…」
「では、ジョミーのいない今、南の国から緊急事態が起きたという報せが来たらどうする? あなたは、指導者はジョミーであって自分ではないと南の民を見捨てる気か? あれほどジョミーが大切にしていた国の民が苦しんでいても、あなたには関係がないと言い切るのか?」
そう畳み掛けるようにいわれるのには…さすがに沈黙した。キースはそれを見届けてからきびすを返した。
「…御身を大事にすることだな。身重だということに加えて、あなたの肩には南の国の民の命運がかかっている」
ドアを開き、キースは立ち止まった。そして今度は楽しげに切れ長の目を細めた。
「…確かに私はあなたと一夜を過ごしたいと思ったことはある。見抜かれていたとは知らなかったがな。今もそれは変わらないが、そのときにはジョミーの名前は出さないでいただこうか。気がそがれる」
「…それは僕の勝手だ」
そう返すと、キースはにやりと笑ってドアを閉めた。
…フィシスやリオがいてくれるから、大丈夫だと思うが…。
さすがにジョミーが大切に守ってきた南の民のことを持ち出されると、言葉に詰まらざるを得なかった。目を泳がせて外を見やると、相変わらず雪が降りしきっている。
『ジョミーの身体は、指導者の器。これだけで十分凶器になります。この中に魔物でも入られようものなら…』
いつかフィシスが言った言葉だ。あのときはジョミーが死んでしまうということに動揺して、あまり深く考えていなかったが、もしかして知能の高い魔物がジョミーの不在を知って何か仕掛けてくるということはないだろうか…?
ぞくりと寒気がした。嫌な想像のせいなのか、それとも寒さのせいなのか、よく分からなかった。
翌朝。
ブルーはキースに面会を求め、≪グランド・マザー≫の屋敷のあった村の歴史を調べたいと申し出た。
「現地へ連れて行ってもらえないのなら仕方ない」
淡々とした口調だったが、皮肉は言っておくことにした。
「そういうことなら、喜んで協力しよう。あなたが自分の立場をきちんと理解したうえで動いてくれるなら、大変嬉しいことだ」
…予想はできていたが、嫌味はまったくキースに通じていなかった。いや、反対に当てこすりで返されてしまった。
「…それはありがたい」
まったく感情のこもらない声で返してから、書庫の鍵をもらい、地下へ向かった。地下は冷えるということで、暖房器具が運び込まれた。
「…指導者御自らすまないな」
「気にするな。あなたは南の指導者の奥方だから、当然のことだ」
…完全に面白がっている。
にやにや笑うキースを無視すると、ブルーは書棚に目を走らせた。
…これがジョミーを見つける助けになるのか分からないが…僕にはこんなことしかできないのだから。
「例の屋敷の持ち主は」
その声に目を向けると、キースはふと顔から笑みを消していた。
「あなたの近親者だと聞いているが」
「…そうらしいな」
当時そんな意識は一切なかった。今もそれは変わらないから、どうにも実感が湧かない。
「随分と変わったバアさんだな」
「僕に言われても困る」
「それもそうだ。だが、その身体に流れているのは同じ血だな」
そう言われるのにはむっとした。
確かにそのとおりなのだろう。自分自身はまったく気がつきもしなかったが、ジョミーの見立てで初めて分かったくらいなのだが。でも、だからといって。
…それが一体なんだ…?
いまさら≪グランド・マザー≫に対する恨みとか憎しみといった感情はほとんどないが、だからといって親しみを持てるわけがない。
「そう露骨に嫌な顔をすることはないだろう」
「…言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ…?」
その反応が面白かったと見えて、キースは再び口元に笑みを浮かべた。
「いや、同じ血が流れているあなたなら、彼女が何を考えていたのか分かるかなと思ってな。さて、では私はもう執務室に戻ろう。ああ、そうだ。彼女は若いころ、絶世の美女だったらしい。顔立ちはあなたに似ていたのではないか。ならば、なおのこと血は濃いだろうな」
「! 見たこともないのになぜそんなことが…!」
何を根拠にそんなことを言い出すのだ。僕だって、彼女の素顔など見たことはない…のに…?
ふと脳裏に、妙な映像がよぎる。あの暗い部屋の中。目の前に誰かがいる、金でできた杯を掲げた女だった。けれど顔がよく見えない。
…なんで今、こんなものが…。
何かがオーバーラップする。それは、あのときと同じような書庫にいるせいだろうか。でも…こんな場面、記憶に…な…い…。
くらくらする頭を振って前を見たが、そのときにはもうキースはいなくなっていた。
28へ
何気に伏線張りました♪ 消化できるかな〜。まあ、完結を急ぐわけでもないので(あ…呑気すぎ?)ゆっくり進みますvv
第2ラウンド、判定でキースに軍配♪ |
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