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    その後、身体の状態は安定し、激しい運動は論外だが、出歩いてよいという許可が出た。もちろん、出歩くと言っても地理の不案内な場所のこと、ひとりでどこかへ行くということはできないのだが。「これはこれは…。わざわざお運びとは痛みいるな」
 …だから行動範囲は限られる。そして今は、北の指導者の執務室に来ている。
 「ジョミーの行方はまだ分からないのか?」
 「まだだ。まあ、座れ」
 書類を見ながら顔も上げずにそういう。
 …確かに、ジョミーとは大違いだ。
 ブルーは北の指導者の机の前にある応接セットに座ると、じっと報告書を呼んでいるらしいキースを見やった。もともとジョミーが机の前に座って本を読んでいる姿など想像もつかなかったが、視力をなくした今はなおさらそんな場面に出くわすことはないだろう。
 水と油のごとく性質の違うふたり。このふたりの関係は、本当に世間一般にいわれるとおり、親しい間柄なのか。
 こんな勝手の知らない場所で、何ができるか分からないが、何もしないよりいいだろう。
 そう思いながら、ふっと自分の腹部に手をやった。
 …君だって、ジョミーがいないと困るだろう。だから…協力してくれ。今だけは静かにして…。
 「待たせて悪かったな。魔物の出現が多くて、報告書に目を通すだけでも時間がかかる。南ではどうだ?」
 ふと顔を上げると、キースが薄笑いを浮かべて席を立つところだった。
 「…あいにく、ジョミーは報告書などというものを見るよりも、現場に足を運ぶ主義だったから、彼が書類を読むのに苦労していたという記憶はない」
 「なるほど、奴らしい」
 口元に笑みを浮かべてから、キースはブルーの正面に座った。
 「わざわざジョミー探しの進捗状況を聞きに来たのか? それはご苦労なことだ。けれど、今のところ見つかったという知らせは受けていない」
 「そのようだな」
 「無論、南の指導者が北で行方不明ということになれば、政治問題に発展する可能性があるから、念入りに捜索は行っているが…」
 「そうだな。本気で探してもらって見つからないというのなら致し方ないが」
 その言葉に、キースは目を細めた。
 「…どういう意味だ?」
 しかし、ブルーはそれには答えず、瞬きをしてからキースをじっと見つめた。
 「君に頼みがある。君たちには≪グランド・マザー≫の屋敷を中心に捜索してもらっていると思うが…僕をそこへ連れて行ってほしい」
 そう言うと、キースはため息をついた。そして、困ったような表情でこちらを見やる。
 「…あの村は、あのとき以来地盤がひどく不安定になっていて、立ち入り禁止区域になっている。軽い地震が日に何度も起こり、ひどいときにはマグニチュード5以上の揺れを観測することもある。それに、あなたは数日前、自分がどんな状況に陥ったのか分かっているのか?」
 暗に自覚がないと告げられているようだが、ブルーとしても譲れない。
 「…分かっている。だが、僕自身がジョミーを探している現場を見ているわけではないからな」
 さらりとそう言うと、キースは眉をひそめた。しかし、次には息を吐いて呆れたように空を仰いだ。
 「…これはこれは…。南の指導者の奥方ともあろうものが、随分と動転しておられるご様子だな。新婚の夫が行方不明という、ショッキングな出来事だから無理もないが。先に伝えたとおり、南と北の協力体制を維持するためにも、両国の間に亀裂が走るようなことは我々としても避けたい。我々の協調姿勢は、成果をあげているところなのだ。ジョミーが行方不明ということは、あなたにはもちろん、我が国にとっても非常にありがたくない事態なのだ。ご理解いただけるかな」
 落ち着いた声音でそう諭されるように言われ、ブルーはしばらくの間目を伏せて黙った。
 「あなたにはまだ安静が必要だ。部屋まで送らせ…」
 「君たちが真剣にジョミーを探して見つからないようならば」
 ふっとブルーの水色の瞳が見開かれる。
 「条件が足りないのだろう、あのときと比べて」
 「…条件?」
 思い起こせば、妙な白い触手のようなものに真っ先に反応したのは自分だった。ならば…もしかして、ジョミーがこの世界に戻るためには、自分というマターが足りないのかもしれない。それが、ここ数日ベッドで寝ていた間ずっと考え続けて出した結論だ。
 その台詞に、キースは眉間に縦じわを寄せた。
 「…あなたのいうことは正しいのかもしれない。だが、そんな無茶を許すわけにいかん。あなたにもしものことがあれば…」
 だが。ふとキースはそこで言葉を切った。ブルーがキースを見下ろすようにゆらりと立ち上がったからだ。
 「君は、ジョミーよりも僕の考えのほうが分かると言った。それは僕も同感だ。僕にしても、突飛な考え方のジョミーよりも君のほうが、理解しやすい」
 「…ほう?」
 一体何を言い出すのか。そんな風に警戒しながらも、キースは口元に笑みを浮かべたままブルーを見つめた。
 「会ったときから君のことが苦手だった。それは、君の言うとおり、君が僕によく似ていたからだ」
 キースはそれには押し黙った。
 「だから…君が僕に何を思っていたのか、よく分かった」
 「…何の話か、分からんな」
 キースは足を組んでこちらを見上げる。顔には笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。
 「初めてここに来た日。廊下で会った君と少しの間ふたりだけで話をしたときのことだ。あのとき、君が僕に抱いていたのは、まぎれもない劣情だった」
 その言葉に、キースは眉をひそめた。しかし、反対にブルーは表情を緩める。
 「…知っているとは思うが、僕は特殊な環境にいたから、そんな感情は本能で分かる。だから、ジョミーは想定の範囲を超えた存在だった。彼は今まで僕の周りにいた誰とも違っていた。けれど、君はそうじゃない。君は僕や僕のまわりにいたのと同じような人間だ」
 ブルーはそのままテーブルをまわり、キースのそばまでやってきた。
 「…ひとつ断っておく。僕は君が嫌いだが、君と関係を持つのはそれとは別と考えることができる」
 キースはじっとブルーを見つめていたが、くっくっと笑った。
 「これは、身重の身体で何を言い出すことやら」
 「試してみるか?」
 すっと。ブルーはひざを落とし、キースの足もとに座った。そして、ゆっくりとした動作で薄い金の髪をかきあげて、キースを見上げた。その小悪魔的なシチュエーションに、さすがの北の指導者も言葉を止めた。
 「残念ながら、僕はジョミー以外には不感症だ。だから、性行為が妊娠に影響するとは思わない。もっとも…君が怖いのなら無理強いはしない」
 その言葉に、キースはむっとしたように目をすがめた。
 「フィシスから聞いていないか? この身体に宿るのは、ジョミーを殺し、僕を狂わせる運命の赤子らしい。僕と接触を持つことで、君が巻き込まれないという保証はどこにもない」
 「…そんな話は…!」
 「初耳だったか、それはすまない。けれど、今伝えたとおりだ」
 ブルーの白い手が、キースのひざをなでた。
 「やめろ…!」
 パン、と乾いた音がした。ブルーの手の甲がみるみる赤くなる。その様子に動揺したらしい、キースは慌てて立ち上がった。
 「あ…あなたはどうかしている…! こんな姿、ジョミーが見たら…!」
 「失望されるか…。そうだね、君の言うとおりだ。でも僕は、ジョミーのようなサイオンも持たなければ、君のように強靭な身体も持たない。武器にできるのは、これくらいなものだ」
 払われた手を見てから、ブルーは再びキースを見つめた。赤い唇は妖しげに微笑みの形をつくる。まるで、挑発しているように…。
 「…とにかく、今のあなたには休養が必要だ…! 今部屋に送らせる!」
 「必要ない、ひとりで戻る」
 だが、ブルーは首を振ると今度は何の未練も見せず立ち上がった。キースはその様子に、ほっとしたようだったのだが。
 「…また出直してくる。」
 しかし。そう、微笑みながら言われるのには、不愉快そうに顔をしかめた。
 「…今の話の延長なら、何度来ていただいても同じだ」
 「ならば、次は趣向を変えようか」
 廊下に通じる扉を開けしな、ブルーはそう告げてから後ろ手でドアをしめた。
 …こんな方法しか思いつかなかったが…それでも、彼の迷いは手に取るように分かった。
 これが、正々堂々と言う方法とは大きく外れていることなどよく分かっていたが、事情が事情だ。ジョミーの捜索も、こちらの思惑どおりに動いてもらわなくては見つかるものも見つかるまい。それに。
 …本当にあのキースと関係を結ぶことができれば、こちらに有利に働くだろう。たとえ僕から仕掛けたとしても、これが公になれば、世間一般では男の責任のほうが問われる。幸い今の僕は女だ。結果、北は南に対して弱みを持つことにもなる。…ついでに、北の指導者の真意や、ジョミーに対する思いも確かめたかったところだが、焦ってはうまくいくまい。とにかく、ジョミーに有利に働くように…。
 そう考えて、ブルーはふっと立ち止まった。
 …こんなことが君に知れたら…きっと軽蔑されるだろうな…。
 けれど、ブルーは黒っぽい色を基調とした廊下を何事もなかったように歩き出す。
 …軽蔑されてもいい、君が生きているなら…。
 
 
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        | …相変わらずやることが極端ですねー…。久しぶりの更新は、天使のキスブル編! ブルーに頑張っていただくと、こういうことになってしまうという…。ジョミーに知られたら、軽蔑されるというよりも、何を言ってよいやら分からなくなって困ってしまいそう…。で、第1ラウンドは、ブルーがやや優勢といったことろかも!
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