再び見る北の国の指導者の館。白い雪の中にある軍事基地のようなたたずまいに、気分が塞いだ。なぜかは分からない。キースという男を思い出すためなのか、単に見ているだけで寒気のしそうな北の指導者の館の外観のせいなのか…。
…それとも…自分の呪われし運命を感じてなのだろうか…。
さっきまで、ジョミーと話していた、北の国に古くから伝わる伝承、そして、数百年前に小さな村で起きた惨劇と50年前に≪グランド・マザー≫が起こした事故。
何がどう絡み合い、現在につながっているのかよく分からないが…。どうやらこの身体に宿る不思議な力の源には、やはり魔物の存在があるようだ。
『ブルー』
頭に響いた声に、ジョミーを見上げる。
『大丈夫です、僕がついていますから』
表情は乏しいが、優しい響きでそう言われるのに、黙ってうなずいた。それでも…嫌な予感は拭えなかったけれど。
「…話には聞いていたが」
北の指導者の館。その中でジョミーとブルーは再びキースと顔を合わせていた。
「本当に、見えなくなったんだな」
キースは同情するでもなく、淡々と告げた。
『大したことじゃない』
「確かにお前の場合はな」
平然としたジョミーに、キースは苦笑いする。
「さて、無駄話しているほどお互い暇じゃないな。件の村だが、もう出るか?」
だが、ジョミーは首を振った。
『いや、今日のところはここで休息を取りたい』
「ああ、そうだな」
言いながら、キースはこちらを見やった。
「そう言えば、奥方殿にはめでたくご懐妊されたそうだな。祝いの席は用意していないが…」
「必要ない」
そんな気遣われるようなものではない。本来ありえないことなのだから。ましてや祝いの席なんて…。
それなのに、キースは面白そうに笑いながら続けた。
「つわりなどはないのか? それなら、今晩は精のつくものを作らせよう」
『それは助かる』
いらない、と言おうとしたが、それより早くジョミーがさっさと了解の返事を返してしまった。そして、次にはこちらに思念を向けてきた。
『ブルー、せっかくの好意だから甘えましょう』
「…君がそう言うなら…」
…ジョミーに言われれば、反対はできない。精のつくものとはどんなものなのだろうとうんざりしたけれど。
『ではキース、前の部屋を使ってもいいか?』
「ああ、すでに用意させてある」
『では行きましょう』
ジョミーはさっと立ち上がると、こちらに向かって手を伸ばしてきた。だが。
…一瞬、その手を取ることを躊躇した。本当にこの手を取っていいのか、そんな資格が自分にあるのか、そんな疑問が瞬間的にわく。しかし、ジョミーは強引にこの左手を掴んだ。そしてそのまま抱き込まれる。
『ではキース。また後で』
「…分かった。部屋までは送らんからな」
呆れ返ったようなキースに、ジョミーは軽くうなずくと、こちらの肩を抱いたまま部屋を出た。
『例の村には、明日行きましょう』
廊下を歩きながら、ジョミーはそうつぶやいて寄越した。
「君までそんな気を回さなくても…」
疲れてなどいない、と言おうとしたが、ジョミーは首を振った。
『いえ、今のあなたは身重なんですから』
…もともとジョミーは自分に対して過保護なイメージがあったが、それがさらにグレードアップしているような気がする。
『決して無理はしないように。あなたは自分の限界を超えても、まったく気にしない人ですから、それは意識しておいてくださいね。今のあなたの身体は、あなたひとりだけのものじゃないんですから』
「そんな大げさな」
『何が大げさなものですか』
そこでジョミーは足を止めてこちらに向き合った。表情はほとんどなく、緑の瞳は陰ってはいるが、その中にかすかに呆れたような色が見て取れる。
『…あなたの自制力にはまったく期待できないと分かりました。ですから、今後は僕の指示に従ってください。少なくとも、子どもが無事生まれるまでは』
「…自制力って…。自分の身体は自分がよく分かっているんだから…」
『普通の人ならそうでしょうね。でも、あなたは違います』
それだけ言って、再び肩を抱かれる。
「ジョミー!」
普通の人ならって! 僕がまるで普通ではないみたいじゃ…と。そう毒づきそうになって、はっとした。
…容姿や性別が変わる人間を、普通と呼べるはずが、ない。
しかしジョミーは軽く首を振った。
『あなたは痛みを痛みと理解しません。いえ、昔から理解しないように自分に強いてきたので、結果的にあなたは自分の限界を無視することになるだけですよ』
つまらないことを考えないでください、と追加して伝えられるのに、何も言えなかった。
…昨日の夕食は、案の定ろくに食べることができなかったから…。
翌日。朝食として出されてきたシンプルな食事を見て、ほっとした。料理を前に、安心感を覚えるのは珍しいことだ。
キースの言った、『精のつくもの』という言葉で嫌な予感はしていたが、それはやはり当たった。北の地方の料理は、その寒さゆえに基本的にこってりしているものが多い。前回は、それでも南方地方の料理に合わせていたのだろうが、今回はそうではなかった。
『…これは、さすがにあなたに食べろとは言えませんね…』
ジョミーでさえ、そう苦笑いするほどだった。脂肪の乗った分厚い肉や、油をふんだんに使った炒めものなど、見ているだけで十分というのが正直な感想だ。つわりというものがあるないという以前の問題だ。
ジョミーが、追加であっさりとしたものを頼もうかと言ってくれたが、見ているだけで満腹になってもう食べる気がしなかったので、それは辞退した。…かく言う本人は、それらをぺろりと平らげてはいたものの…。
『ブルー』
そんなことを考えて、パンを千切っていると、ジョミーが声をかけてきた。
『今日はこれから、例の村へ行って≪グランド・マザー≫の屋敷に向かいます。けれど…決して無理はしないでください。…どうにも嫌な予感がする』
本来予知能力は僕にはないんですが、と続けられたが、それは自分もここに着いたときから感じていたことだ。
「それは、君もだ」
するとジョミーの表情が緩む。
『僕は大丈夫ですよ』
苦く笑う思念波。
「…君の指導者としての力を侮っているつもりはない。けれど、結果的に傷を負うのは、いつも君だ」
以前、一度死んだときも。そして、視覚や聴覚を失ったときも…。僕は、君の痛々しい姿を見ているしかできない。そんなのは二度とごめんだ。
『…気をつけます』
そういえば、今度は神妙に返してくる。でも…いざとなれば君は、自分自身のことは構わないだろう。それは何度も痛いくらい経験しているからよく分かっている。それなら。
僕が君にしてあげられることはなんなんだろう、と。
そう考えたが…答えは出てこなかった。
「いわくつきの村でな」
村に向かう道すがら、車の中でジョミーとブルーは前に座るキースの説明を聞いていた。運転するのは、マツカと呼ばれていた側近だ。
…それにしても、北は工業が発達しているとは聞いていたが、すごいものだ。もし北との関係が悪化して、全面戦争などという話になれば、ジョミーの指導者としての能力をもってしても敵わないかもしれない。そのくらい、北は組織力や統制力がしっかりしている。それは、のんびりとした風潮の南では考えられないことだ。この車が格納されているのと同じ場所にあった、戦車や戦闘機の軍事技術の高さをも考えると、なおさら怒らせたくない相手だろう。
「昔、あの村には魔物を祭った魔の宮殿があったという言い伝えまであるくらいだから、もしかして魔物との相性がいい土地柄なのかもしれない。お前の言う、何百年も前の事件と、50年前の事件のほかにも、いくつか似たような事件を起こしている村だ」
その50年前の事件の首謀者が、南に逃げ込んでいたとは知らなかったがな。
キースはそう続けた。
『…似たような事件?』
「ああ。例によって現地の村人は詳しく語ろうとしないのだが、魔物の力を利用しようとする人間はいつの時代にもいて、禁断の実験をしては失敗を繰り返してきたらしい」
言いながら、キースは次にはブルーに目を向けてきた。
「十分注意されよ。今のあなたの外見は『白い魔物』のものとは違うが、元のあなたの容姿は、村人たちの恐れるそれそのものなのだ」
「…分かっている」
『白い魔物』。赤い目と銀の髪を持つ、伝説の化け物。人から生まれいずるという、恐怖の魔物。人の皮をかぶり、人の中に潜み、人を食らう、魔性のもの。真っ先に食らうのは、そのものが最も愛したものであるという。
でも。
それが、ただ単に自分のかつての外見と似ているだけなのか、それとも何らかの因果関係があるのか。…自分が魔物であるという結論が出るのが恐ろしいのではない、それがゆえに、ジョミーを手にかけるかもしれない、と宣告されるのが、怖い。
『大丈夫です、僕がついていますから』
「ジョミー…」
この奇妙な一致が、偶然のはずはない、と。ジョミーから肩を抱かれながら、漠然とそう思っていた。それは、確信だった。
25へ
あれ? 肝心なところが次回に…。次回はちょっとばかり大変なことが起こる予定♪ ここからキスブル(未満)に持っていけたらいいなぁvv いや、マジに不倫するつもりはないんですけどね! |
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