戻ったのは指導者の館の中、自分たちの部屋だった。到着と同時に、ブルーの身体は壊れ物を扱うかのようにソファに身体を下ろされた。だが、ほっと息をつくまもなく、ジョミーはそのまま、ソファの背に預けた顔の両脇に手をつく。
…なんだか閉じ込められた気分になる。
『…僕に何か言いたいことがあるんじゃないですか?』
…やはり、お見通しか。
何の感情も映さぬ緑の瞳。今はまるでビー玉のように見え、物悲しい気分になるが、そんな感傷に浸っている場合ではない。ジョミーの言うとおり、話さなければいけないことがあるのだ。そう思って、顔を上げた。
それは、この身体に宿った命のこと。今や指導者としての力以外のものをも備えたジョミーにとっては、この身体の変化などすぐに分かったのだろう。シンはひと目で見抜いたくらいだ。
「…すまない、僕も知ったのはつい最近だったから。」
それでも。ジョミーが分かっていても、口に出して言わなければいけないだろう。
「僕に、君との子どもを産ませてほしい。」
君はダメだというだろうが…こればかりは譲れない。
そう思ってじっとジョミーの顔を見つめたのだが…ジョミーはというと、何の反応も示さなかった。いや、怒っていたとしても表情のない今の彼では、分からないだろうが。
「…君が反対していたことも知っている。それが僕の身体を思いやってだということも、よく分かっている。けれど…。」
『今、子ども、と…言いましたか?』
え…?
ジョミーの思念波に、ふと首を傾げる。表面上は何も変わらない。けれど、その思念波が、気のせいか驚きを含んでいるような気がする。
「そう…だが?」
そういうと、ジョミーは再び沈黙した。
…すぐに分かると思っていたが…ひょっとするとジョミーは…。
「もしかして…分からなかったのか…?」
どうやらそうらしい。表情が乏しいのではっきりとは分からないが、驚きのあまり呆然としているようだ。
「ジョミー…?」
いつもと違い、感情が顔に表れないということは、こういうときに不安になる。いつもなら、くるくるとめまぐるしく表情の変わる緑の瞳を大きく見開いて、裏返った声で何か言うだろう。
『…そう…ですか。』
それなのに。事実を受け入れたらしいジョミーの表情は、やはり変わらない。緑の翳った瞳には、何の感情も表れてこない。
『…僕がやめろといったところで、あなたがやめるはずもないですしね。』
やがてぽつりとつぶやくような思念波が頭に響き、次には彼の表情が緩んだ。
その様子に…少なからずとも驚いた。ジョミーは再会してからずっと無表情を通してきたので、もう笑いかけてくれることはないと思っていたからだ。
いや、今はそれどころではなく…。
「いいのか…?」
まずは反対されるだろうと。そう思っていたのに、ジョミーは静かにうなずいた。
『ただし、あなたの体力を考えると、精神力だけでなんとかなるものではないことは簡単に予想がつくでしょう。あなたのためにも、また子どものためにも、この後は僕の指示に従ってもらいます。…今はまだ大丈夫そうですが、明らかに無理が生じてくるようであれば、あとは僕が引き受けますから。』
それまでは、手は出しませんけど、と言われるのに、ジョミーが何を考えているのか不安になる。大体、引き受けるとは一体…。
『そうたいしたことを考えているわけじゃありませんよ。』
すると、ジョミーは微笑んだ表情に苦いものを混じらせて首を振った。
『人工子宮という手段もあるだろうと思っているだけです。まだ試してはいませんが、今の僕にはそういうこともできるようです。』
…どうやら、こちらが思うことはすべて分かってしまうらしい。以前は、サイオンというものを持ちながら人の心の動きはさっぱり分からないと言っていたというのに、五感が使えなくなった今は、その部分が働くようになったらしい。
「しかし…!」
人工子宮というものがどのようなものか分からないし、そんなものにうなずくことなどできないと思ったのだが、感情のない目がこちらを向いた途端、言葉が止まった。
冷ややかでぞっとするような暗い緑の鈍い輝きに、背筋が凍るような気がした。今や笑顔は消え去り、何の感情も浮かばぬ細面に、さらに不安を煽られる。
『あなたの身体では、臨月まで子どもを体内で育てるのは無理だ。そんなことをすれば、どちらも栄養不良で倒れてしまいかねない。そうなれば、僕はあなたを助けるために、迷いもなく子どもを切り捨てるでしょう。』
…今のジョミーは誰かに似ている。そう、おそらく生前のソルジャー・シンに。
以前から聞いていた伝説のソルジャー・シンは、まさに鬼神のごとき強さをその身体に秘め、何事にも厳しい指導者であった。
妙に浮かれた本人を目の前にしてはどうにも信じられなかったが、強さに関しては申し分がないようだったし、ジョミーやフィシスに相対するシンは、やはり毅然とした態度を崩さなかった。
…ということは、自分に対するあのおどけた態度は一体何だったんだと腹が立つが。
『…ですが、本当ならそんなことはしたくありません。あなたの嘆き悲しむ姿など見たくないし、それに…。』
だが、ジョミーはその先を言わず、ふっと口元に笑みを浮かべた。
『決してあなたから子どもを取り上げようとか、黙って闇に葬ろうとか、そんなことを考えているわけではありません。それよりも。』
今度は、じっとこちらを覗きこんでくる。
ジョミーのガラス玉のような瞳は、ひどく寒々しい気がするが…それでも彼にここまでの犠牲を強いてしまったのは自分の罪なのだから、とあえて目をそらさずにその目を見つめた。途端にジョミーの顔に、苦笑いが浮かぶ。
『…見慣れませんか? それなら無理に見なくてもいいですよ。それよりも、よく顔を見せて。』
…顔?
目には何も映っていないだろうに。それでもジョミーの無機質な緑の瞳はこちらを見下ろしている。
『子どもを産みたいといってくれて…ありがとうございます。』
…しかし、聞こえてきたジョミーの思念波に、耳を疑った。
ありがとう…って?
『…子を産みたいと妻に言われて、喜ばないわけがない。あなたの身体のことを考えて、ずっと反対していましたが。』
そのまま抱き込まれ、今度は呆然としてしまう。反対されるだろうことは覚悟していたというのに、包み込むようなジョミーの思念波は、とても柔らかだ。
『僕にとってはあなたの身体のほうが最優先です。が、同時に子どももかわいいし、あなたの子を思う心も分かっているつもりだ。だから…ある程度の予防策は取らせてもらう。それは…了解してもらえますよね?』
人工子宮といったもののことを言っているのだろう。
…確かにジョミーがいったとおり、自分の体力では胎児を最後まで育てきれるか分からない。もし…胎児が栄養不足となる場合には、早産を引き起こしたり、何事もなく生まれたとしても病気になりやすい体質になる場合があり、さらにひどいときには死産という事態も引き起こすと…書物にあったと考えたところなのだ。
だから、ジョミーの言葉には口には出さず、分かったと返事した。おそらく…こちらの思いは全て分かっているだろうジョミーは、それ以上は何も言わなかった。
でも…。と。
何となくほっとした。ジョミーが子どもを認めないといったら、どうしようかと思っていた。もし反対されたとしても、子を産みたいという意思は曲げなかったとは思うが。
…それでも…ジョミーも同意してくれていたほうが、よほどいい…。
『あなたがシンとともにこの館から姿を消したとき、僕はスウェナと話をしていました。』
そんなことを考えていたのに。突然話が変わってどきっとした。
そういわれてみれば…。
部屋の外から聞こえた話し声に動揺して、ジョミーの結界を破ってしまったことを、すっかり忘れてしまっていた。それなのに、ソルジャー・シンのインパクトがありすぎて、その事実を失念してしまっていたことに、自分で驚いた。同時に、そこまであの傲岸な男のペースにはまっていたのかとむっとする。
その様子が伝わったのか、ジョミーからは可笑しくてたまらないという雰囲気が伝わってきた。
…ジョミーがスウェナに黙って会いに行ったこと事態は、心の奥に引っかかってはいたものの、その様子にほっとした。やはり、ジョミーには笑っていてもらいたい。
『シンはあなたのことが気になったのでしょうね。僕は、実際にシンの生き様を見てきたわけではないので、当時の彼に何があったのかよく知らないのですが…彼は自分で自分の恋人を刺し殺したとフィシスから聞いています。』
そのときに片翼を失ったそうですよ、とジョミーは続けた。
それは初めて聞いた。恋人を亡くしたらしいことは分かっていたが、シン自らが手を下したとは初耳だ。
『…シンに対しては素直に感謝する気になれないのですが…あなたと僕がそんな事態に陥らないか、見守っていたようです。けれど、今はそれよりも。』
今度は、この身体を抱く腕を緩め、再び正面から相対するような格好になる。
『あなたに要らぬ心配をさせてはいけないと黙っていてすみませんでした。スウェナに会いに行ったのは、あなたのことを調べようと思ったからなんです。』
僕の…こと?
心臓がわしづかみにされたような気分になった。
「…君の傍にいるのに…ふさわしいかどうか、ということか?」
それなら答えは出ている。本来なら君の傍にいてはいけない。
「僕が傍にいると、君が犠牲を負う。君が<グランド・マザー>の毒で死んだときもそうだったし、今回視力や聴力を失ったこともそうだ。いや、それだけじゃなく、君の名前にも傷がつく。指導者の妻としては失格だ。けれど…。」
けれど…僕は君と離れたくない。君には不似合いだと分かっているのに…。
『…あなたにそう思わせてしまうところが、僕のつめが甘いところなんでしょうね。』
ジョミーは、感情のこもらない目をそっと伏せ、ため息をついた。
『そうではありません。僕は、誰から何を言われようと、あなたと離れたいなんて思いません。ですが、この間のようなことが頻繁に起きては、あなたの神経が参ってしまう。』
指導者の妻でありながら、その指導者の結界を破り、魔物の手引きをする妖魔、と。
そう面と向かっていわれたのは、ついこの間。
『5年前、僕の指導者就任で生じた軋轢に、あなたまで巻き込むわけにはいかない。スウェナには、情報が集まりやすいジャーナリストの力を貸してもらっただけです。専属的に取材を受けるという条件は取りつけられましたが、それ以上は何もありません。』
けれど、とジョミーは続ける。
『残念ながら、分かったことはそう多くはありません。あなたの家系は北の国の出身だったことと、<グランド・マザー>がまだ若かりしときに、追われるようにして南の国へ移ってきたこと。そのきっかけになったのは、他ならぬ彼女j自身が引き起こした事件のためだったこと。でも、そのきっかけになった事件を調べることはできませんでした。現地の人間は口が固く、何かを恐れているようだったらしいとスウェナは言っていました。』
淡々と事実だけを述べているのだろう。
『僕はあなたが何であっても構わない。けれど、それだけではいけない。だから、調べに行ってきます。数日ここを空けることになりますが…。』
「僕も行く。」
自然に、そんな言葉が口から滑り出た。
『あなたは身体が…。』
対してジョミーはそう言ったっきり沈黙した。
だが、こればかりは黙ってジョミーの帰りを待っているわけにはいかない。ジョミーが調べようと思っているのは僕自身のことなのだ。それなのに、ジョミーがそのために動き回るというのに、自分だけが何もしないというわけにはいかない。
いや。
自分の存在がここにいるにふさわしいものなのか…ジョミーの傍にあることが許されるものなのか…今まで避けてきた問題を直視するなら、今しかないだろう。
『…分かりました。』
やがて、若干の苦い思念波が頭に届く。
『では、一緒に行きましょうか。北の国へ。』
そういわれるのに、気を引き締めてうなずいた。…もしかするとまたあのキースという男と会うかもしれないと思い、憂鬱にはなったが。
23へ
久しぶりの天使♪ ジョミー設定がこうなっちゃったので、お気楽デートは望めないでしょうが、次回は北の国へ…! キースの活躍シーンがあるといいなあ♪ オフで端折っちゃったから。 |
|