| 
      翌日、ジョミーは執務室に主だった人間を呼び出すと、開口一番に数日の間外出する旨を報告した。いや、それは報告というよりも宣言といったほうがよかった。『僕の留守中に何かあれば、リオの指示に従い、必要ならフィシスの助言を仰ぐように。』
 それだけを思念波で伝えると、ジョミーは彼らに背を向けた。
 「お待ちください、そんな突然…!」
 「大体、どこへ行こうというのですか!」
 『北の国へ。』
 その言葉に、まわりのものたちはぽかんと口を開けた。だが、それに構うことなく、ジョミーは出口に向かう。
 『出かける。』
 そして、入り口近くにいたフィシスに声をかけた。
 「お気をつけて」
 大体の事情は分かっているらしいフィシスは神妙に頭を下げ、その隣にいたリオも黙ってうなずいた。
 ジョミーはそれを一瞥しただけで歩調を緩めることなく廊下に出て…。
 『では、行きましょうか』
 当然のようにブルーの細い肩を抱いて、歩き出した。後ろを振り返ればこの唐突な出来事に戸惑ったような顔が並んでいたが、ジョミーはそれを気にかけた様子はまったくなかった。
 おそらく…彼らはジョミーを引き止めたかったに違いない。立ち尽くす顔ぶれの中には、先日ジョミーに、というかブルーに対して暴言を吐いた輩もいたが、強大なサイオンを持ち、この地を守るジョミーがいなければ困るのは彼ら自身なのだ。
 いつもならすぐにでも紛糾するような状況だったのだろうが、今のジョミーにはそうさせない雰囲気が漂っている。その光を失った瞳を向けられるだけで、身がすくむような気さえする。
 「ジョミー…?」
 『もし具合が悪くなったらすぐに言ってください。北の国へは長旅になりますから、無理は禁物です』
 …ジョミー…。
 あまり感情を表すことのなくなったジョミーの顔を見上げながらふと思う。
 誰よりも自分を優先してくれるのは嬉しい。でも…本当にそれが正しいのだろうか? むしろ…ジョミーの本来の姿の妨げになっていないだろうか。そもそも、ジョミーが視覚や聴覚を失ったことは、それが原因で…。
 『またあなたは余計なことを考える』
 ふと聞こえてくる、ジョミーのテレパシー。
 『嬉しいなら嬉しいで、素直に喜んでいてください』
 ふと顔を上げると、表情には愛おしいものを見つめるような穏やかな色がある。先の宣言の際には表情らしきものはまったく浮かんでいなかったというのに。
 …だから、そんな表情を向けてもらう資格は僕には…。
 『…困りましたね。あなたがそんな状態では、大事な話ができない。』
 大事な…話?
 思念波と表情に苦いものを混じらせたジョミーの言葉に、ふと足が止まる。
 『以前、北の国で耳にしたおとぎ話と、スウェナから得た情報の詳細です。…ですが、あなたにとっては決して楽しい話ではありません。』
 それとともに、ジョミーも一緒に歩を止めた。
 …聞くのが、怖い。
 ブルーはぎゅっと手を握り締めた。
 確かに、真実を知るのが怖いという気持ちはある。結果だけをジョミーから聞いたほうが、気分的にも楽かもしれない、と。
 だが、そう思った途端、不敵な笑みを浮かべたソルジャー・シンの姿が思い浮かんだ。
 ――母親たる君がそうそう自虐的な台詞を吐いていては、その母親にすがる子どもがよりどころを失う――
 「…構わない、話してくれ」
 首を振ってジョミーを見据えると、彼は苦笑いしてから再びブルーの肩を抱いて歩き出した。
 『飛行船に乗ってからです。それよりも、そこまでシンの言葉が気になるだなんて、妬けますね』
  飛行船が動き出し、指導者の館が小さくなる。以前北に国へ出かけたときには、眠っていたせいで見ていなかった光景だが、あのときとはまったく違うと、そう思った。『以前、北に国へ行ったときには、新婚旅行でしたからね』
 新婚旅行ではない、と否定したところで、実際はそれそのものだったのだから仕方ない。それよりも。
 「話してくれ、ジョミー」
 どうやら、その北の国でもジョミーは何かを聞いていたようだ。
 『…隠していたのは謝ります。ただ、あのときはただのおとぎ話の類に過ぎないと思っていたので、聞けば気分を害するだけ損だと思っていたんです』
 そういいながら、ジョミーは盲いた目で窓の外を見やった。
 『「赤い瞳は不吉のしるし」』
 どきん。
 …その言葉を聞いた途端、足元がすっと冷たくなる感覚に襲われた。まさかジョミーからそんな言葉を聞こうとは思わなかったのだ。だが、そんな反応は予測していたらしく、ジョミーは目を伏せてすみません、と謝罪してきた。
 『それが北の国で言い伝えられているおとぎ話の冒頭部分です。それに、今のあなたの瞳は赤ではないんですが。』
 不吉だと。気味が悪いと、過去何度も投げつけられた言葉。そのときの状況を思い出すのは久しぶりのことだった。
 誰しもがそう感じ、自分は魔物なのだと思い込んでいたあのころ。あのときは、それが当然なのだと思っていた。だから、何も感じる必要がない、事実何も感じていないと思っていたのに…。
 今はそれがただの思い込みだったと分かっている。それはジョミーの心に触れたから。自分自身がジョミーを受け入れたから…。
 そのとき、ふわりとした感覚があり、ジョミーの大きな翼が身体を包み込むように広がった。
 『あなたは不吉なんかじゃない。そんな言葉なら、何度も繰り返してあげます。』
 ジョミー…。
 『初めて聞いたときには、僕は話してくれたキースについ食って掛かってしまったくらい、腹が立ちました。今も同じですが…この話をしないと、先に進まないので。』
 申し訳なさそうにつぶやくジョミーの言葉と、翼のぬくもりに…それでも心の中が温かくなるのを感じた。
 『何があっても、あなたの傍には僕がいますから』
 だから大丈夫、安心して、と。
 続けられる優しい言葉に、ジョミーの柔らかい思念波に。
 ジョミーがいてくれるから…大丈夫…。
 そう…自分に言い聞かせるように心の中で反芻した。
 『翼を失ったシンにはできないことですよ。こういうことは』
 え…?
 そんな風に安心しきってジョミーの羽の中に頬をうずめていたのに。
 冗談めかしたテレパシーに、おやと顔を上げた。表情には穏やかな笑みを浮かべているというのに、咎めるような響きに眉が寄る。
 「…ジョミー? ん…っ!」
 一体何を言い出すんだろうと思っていると、半ば強引に唇を奪われた。さらに奥まで舌を差し込まれ、驚いて目を見開いた。
 『覚えておいてください。いかに先代指導者が偉大であろうと、僕はあなたをシンに渡すつもりはありませんから』
 僕をシンに渡す…? 一体、何を言っている…?
 そういおうと思っているのに、唇を塞がれていて何も言い返せない。それどころか、激しくねっとりと口内を犯される様に、次第に手足から力が抜けていく。
 『分かりますか? あなたがシンと過ごした数日は、僕にとってもう来ない夜明けを待つような気分だったんです。こんな気持ちであなたを待つくらいなら、僕は何でもできる、何だってやってやると、そんなことばかり考えていました。』
 だが、そんな言葉も頭の中を素通りする。そのくらい、ジョミーの口付けは情熱的だった。その感覚に溺れて、何も考えられなくなりそうだ。
 『そう…あなたは僕のことだけ考えていればいい。ほかのことになど関心を払う必要はない』
 …ずるい。
 それでもぼんやりとそんな言葉が浮かんだ。
 ジョミーは口が塞がっていようと思念波を使って話しかけることができる。でも、こちらにはそんな芸当はできない。いや、それ以前に口付けの熱に浮かされて、言葉らしきものは何も浮かばないだろう。
 確かに、シンにはいろいろと気になることを言われたせいもあって、時折ふとしたことで彼のことを思い出す。だけど、僕はジョミーがいればそれでいいのであって、シンのことなどなんとも思っていない。ましてや…。
 …これ以上、ジョミーと離れてあの男の傍にこれ以上いるなど…考えられない。
 それなのに…その一言さえ、言えない。
 『…そうですか。その言葉に免じて、このくらいでやめておきましょうか』
 そんな思念波ともに、ジョミーの唇が離れた。途端にかくんとひざが崩れそうになったが、ジョミーに抱きかかえられるようにされて、何とか倒れ込むことはなかった。
 『…大丈夫ですか?』
 「こ、これが大丈夫に見えるのか!」
 ジョミーが支えていなければすぐにでも崩れ落ちてしまいそうな風体に、かっとして怒鳴った。その声にも迫力を欠いていたが。
 『すみません、あなたをシンに奪われて数日。つい度を越えてしまったようです』
 「奪われたって…! あれは…!」
 『そうです、僕が悪いんです。あなたにウソをついてスウェナに会っていた僕に非があるんです。』
 「そんなことは言っていない…!」
 『じゃあ、「あれは」の次には何を言おうとしたんです?』
 「別に何を言うつもりでもなかった! 君こそ変なところにこだわるじゃないか。」
 『別にこだわってません。それよりも、僕がシンの結界を破ったとき、その彼にすがりついて離れなかったのは誰でしょうね。』
 「あれはすがりついていたんじゃない! 君だって見てこなければいけない部落があるなんて回りくどいことを言わないで、正直に彼女に会うといえばよかっただろうに!」
 『ほら、やっぱりあなたの方こそこだわっているんじゃないですか』
 「それは君が…!」
 そこまで言ったとき、ジョミーの顔が可笑しくてたまらないといった風に笑い出した。声は立てていないが、肩が震えている。
 …ジョミー…。
 そんな笑い方は、ジョミーが視覚や聴覚を失って初めてだったので、ブルーは反論を忘れてついじっと見入ってしまった。
 『なんだか出会ったころ、つまらないことで喧嘩していたことを思い出しますね』
 光を映さなくなったジョミーの瞳。ガラスのような瞳は、それでもブルーを映し出していた。
 『あなたはあのときよりも素直になったと思っていたのですけどね』
 「君は意地悪になった!」
 それすら可笑しいらしく、ジョミーはさらに表情を緩ませる。
 『それはすみません。では、名誉回復に努めます』
 いいながら、今度は額、頬にとキスの雨を降らせる。
 何も変わってない…。
 視覚や聴覚は失ってしまったが、ジョミーは何も変わっていないのだ、と。そう思って…涙腺が、緩みそうになった。
 
 
   24へ      
      
        | うー、やっぱり緊張感に耐えられずこんな展開…! というわけで三重苦になってもブルーの前(だけ)では素に戻るジョミーでした♪ |   |