『さて。それでは、もう一人の当事者を呼ばなければいけないが…。』
それがジョミーのことであることは、すぐに分かったのだが、シンは少し考えていたが、外を見て。
『まあ、いい。明日にしよう。』
そう言って部屋を出るべく歩き出した。それにはさすがに慌ててしまう。
「ま、待って…!」
『君も早く寝ろ。睡眠不足は美容の敵だぞ。』
その言葉に思いっきり脱力する。健康に毒、といわれるのならまだしもだ。
「でも、この展開ならすぐにジョミーを呼ぶのが筋だろうに。」
『君の考えているものがどんな物語なのかは知らないが、僕はもう寝る。大体、今さら1分1秒を争ったって始まらん。』
出て行こうとしたシンだったが、何を考えたのか振り返ってにやりと笑った。
『それとも。一人寝が寂しいなら、添い寝してやらないこともない。』
そう言われるのには、むかっときた。
「結構だ!」
そう叫ぶと、シンはふふんと笑って。
『怒ると胎教によくないぞ? 通常はクラシック音楽を聞いたりして、落ち着いた気分で過ごすのが最もよい方法らしいがな。クラシック音楽は、胎児にもよいと聞く。』
さらに、がっくりしてしまうようなことを言い出す。
…シンの考えている胎教自体がよく分からない…。
確かにそうは言われているが、しっかりとした科学的なデータがあるわけでもなく、そのことに関しては何とも言えない。
『なに、君とジョミーの子どもなら、僕にとっては孫くらいの感覚でね。だから、ある意味無条件でかわいいんだよ。』
今度はそう来るのか…!?
…なんだか、子どもを諦めろと言っていた人と同一人物とは思えないほど嬉しそうに笑うシンの変りように、戸惑ってしまう。この人…一体何を考えているんだろう?
『だから、同様に君もかわいいんだ。息子の嫁のような気分かな。』
「…僕はあなたの息子の妻ではない。そんな老婆心は、実際に血のつながった息子の嫁にしてあげればいいだろう。」
シンの傍にいると、ろくなことにならないような気がする。さんざんセクハラまがいの言動をされた身の上としては、当然の予防線だった。
『残念ながら、僕に子どもはいない。』
「…子供が…いない?」
いかにも絶倫そうな、色魔の権化のようなシンから、そんな台詞を聞こうとは思っていなかったため、ついおうむ返しに伺ってしまった。だが、よくよく考えてみれば、子どもを作るということは絶倫であることと何の関係もないのだ。
『だから、後継者であるジョミーが僕の子どものようなものなのだ。その妻である君は、やはり義理の娘という感覚だな。』
それで、こんなにお節介なのか!
そう口をついて出そうになったが、ふと別のことが頭をよぎってさらにむっとしてしまった。
待て…。ここに来たときに、シンは何と言った…?
薄い金髪と水色の瞳の今の僕の姿は、自分の想い人に似ていると。そう言っていなかったか? だが、ジョミーと結婚式を挙げる前に会った先代の妻であり、元相談役は美しい黒髪と憂いを含んだ黒い瞳であった。
「…想い人に似ているとか、義理の娘のようだとか。そんなつまらない戯言に付き合う気はない。ジョミーを呼ぶ気がないのなら、さっさとここを出て行って眠ればいいだろう。」
『おやおや。これは嫌われたものだな。でも、それは戯言ではない。』
「僕は、あなたの妻だった女性に会ったことがある。容姿は今の僕とはまったくかけ離れていた。」
『ああ…。なるほど。』
驚いたように目を見開いたシンは、次には納得したようにうなずいたが。
『…彼女は、強い女性だよ。』
そう、ぽつりとつぶやく。寂しげに微笑んだ表情が、それまでのシンらしくないように思えて、ブルーは次に言おうとしていた言葉を飲み込んだ。悲しそうな、それでいて懐かしそうな緑の瞳の色に、これは触れてはならないことだったのだろうかとさえ思った。
『彼女は僕に愛されるはずのないことを承知で、僕の元へ来てくれた人だ。よくできた女性でね、献身的で優しくて。だが、僕はどうしても妻を女性として見ることができなかった。』
…それは一体…。
誰何したかったが…シンの雰囲気がそれを許さなかった。
『僕の想い人には、僕の心と翼とを捧げた。それが…僕にできる彼女への最後の償いだった。』
シンは目を伏せてそうささやいて。
だがそれよりも、と呟きながら大股でこちらに歩み寄ると、今度は抵抗する間もなく横抱きに抱きあげられた。
「シン…っ。」
『もう眠りたまえ。そもそも君には体力がないんだ、眠れるときに眠っておかないと、いざというときに踏ん張ることができなくなるぞ?』
アップで見るシンの微笑み。今の寂しげな雰囲気など微塵も見えない。
…今の話は一体何だったのか。妻のことと想い人のことと。しかし、シンの言葉で確信したことがある。シンの想い人は、すでに死んでいる。恐らく、彼の片方の翼がないのはそのためかと思われたが、ことの詳細はまったく分からない。
この人は…一体どんな人生を歩んできたんだろう?
初めてシンの指導者だった頃が気になった。しかし、シンはと言うと、ブルーの内心になどまったく気がつかなかったようだった。
『君は、ジョミーとともに生きるんだろう?』
シンはブルーをベッドに下ろした。
『ならば、強くなれ。運命さえ覆すほどに。』
「…あなた…は…。」
悲運を嘆き、涙にくれたことがあるのか? 自分の弱さを呪い、力のなさに無力感を覚えたことがあるのか…?
指導者として評価の高かった彼であっても…そんな思いは存在したのだろうか?
『…さて。もう昔のことで忘れてしまったが。』
シンは、くすっと微笑んだ。だが、すぐに真剣な表情になった。
『幸せとはただそこにあるものじゃない。努力して築きあげて守り通してこそ、初めて手に入るものだ。しかも、それは片方だけががんばればよいというものでは決してない。君とジョミー、二人の力があってこそだ。』
片方だけではダメ…? 二人の力があってこそ…?
ブルーはシンの表情をじっと見つめた。その時、シンの真剣な顔が、ふっと不敵な笑みに変わった。
『だが、後ろ向きは君の得意技だったな。ジョミーといるのに嫌気がさしたら、いつでも呼びたまえ。この間のように、僕の名を呼べば真っ先に君の元へ駆けつけよう。』
「…いらない!!」
今までの雰囲気は一体何だったんだ!?
またたらしモードに戻るシンにむっとして、手元にあった枕をひっつかんでしまった。
『ではこの辺で退散しよう。そうそう、戸締りはしても意味はないが、それで君の気が済むのなら厳重にしておきたまえ。』
そう笑うと、シンはゆっくりと戸口に向かい、ドアを開けて出て行った。
子どもを産みたいと。そう自覚させてくれたシンだったが、やはり嫌味で好きものなことに違いない。しかも、ひとくせもふたくせもあるシンには、詳しくは分からないが悲しい過去が存在しているようだ。どうやらそのこともあってジョミーやブルーに警告を発しているらしい。その過去が、今の自分たちと微妙に重なっているらしいことも分かってしまった。
…確かに今さら一分一秒を争う意味はないかもしれない。でも…。
恐らく恋人と死に別れしただろうシンの話の影響だろうか。無性にジョミーと会いたいと思った。
それに、妊娠のことをジョミーに伝えたら、彼はどんな顔をするだろうか。
そう思っただけで妙に恥ずかしくも嬉しい気がしてくる。
彼はどんな反応をするだろうか? 何を言うのだろうか? 子どもを作るということにはあんなに反対していたけれど、できてしまったということを知っても、同じ姿勢を貫くのか。
「…会いたい。」
ジョミー、君に…。
月に向かって手を伸ばす。窓の外で輝く冴え冴えとした光。かりそめの風景であると思っていても、その光は本物と同様、優しい光を届けてくれる。
そう思って目を細めた途端。
先にジョミーが現れたときと同様、ガラスが砕けるような音がして、月を中心に放物線状ひびが入った。
…これは…もしかして…?
どきん、と胸が鳴る。
月が粉々に割れた。いや、月だけじゃない、夜空や窓枠、天井や壁も粉々になって砕け落ちる。その向こう側に…。
「ジョミー…!?」
確かに彼だろう、金の髪に緑の瞳。ブルーに向けられる優しげな微笑み。そして、指導者としての服装は、間違いなくジョミーだろう。だが、その瞳は暗く翳っていて、生き生きとしたいつもの輝きをなくしてしまっている。それだけで、別人のような、そんな感覚を覚える。
『ブルー。』
それに、先ほどのような精神体ではない。実体であるのにかかわらず、声を発しない。あのときと…ジョミーが一度死んだときと同じように、頭に直接話しかけてくる思念波なのだ。
…なぜ…?
呆然としてジョミーを見つめたが、彼はブルーの反応にはまったく気にかけることなく、右手を差し伸べた。もう少しでその手がブルーの頬に触れるというときに。
ビシッ!
何かがはじけたような音がして、閃光が起こった。その衝撃で、ジョミーの身体は大きく後方に弾き飛ばされたが、足を突っ張って何とか転倒は免れた。
『…光を取引に使ったのか…?』
その声に、ジョミーが警戒するのが分かった。
背後から左腕が回され、ふわりと緋色のマントがその肩にかかる。それはジョミーのものではなく。
「シン…!」
傍らに現れたシンは、驚いたようにジョミーを見つめていた。しかし、ジョミーはと言うと、彼らしくなく不敵に笑って。
『あなたを真似ただけです。』
そう、つぶやいた。
21へ
久々の天使更新です。ジョミーの三重苦、ここでも♪ ということで、三重苦フェチな私でございます〜。 |
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