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   『残念ながら、僕はあなたのように自分の翼を取引材料に使うことはできませんので。』ジョミーは暗い瞳をシンに向けた。その感情のない冷たい光が、いつもの明るい彼を否定する。まるで…ジョミーではないような…。
 『…あれを取引材料に使ったつもりはないのだが。でも、結果的にそうなったことは否定しないがね。君はどうして指導者としての証を使わなかった? あれだけで、相当な力が手に入っただろう。光や音を犠牲にせずに済んだのではないか?』
 『翼はブルーのお気に入りだから。』
 言いながら、ばさりとジョミーの翼が現れた。シンのものとは違い、両翼である。
 『おしゃべりはここまで。今度こそブルーを返してもらう。』
 『さて。君の不甲斐なさが災いしたから、ここへ連れてきただけなのだが。』
 『原因はどうあれ。』
 ジョミーは暗く翳った目をシンに向けた。
 『ブルーは連れ帰る。それを邪魔するというのなら、あなただとて容赦はしない。』
 『なるほどな。今の君は、確かに僕を凌いでいるが…。』
 シンはそうつぶやくと、ぞっとするような瞳でジョミーを見やった。
 『だが、その力も使うものによって、生かしたり殺したりすることができる。』
 『だからこそ、力だけでも得たかったんです。あなたのようにすぐに使いこなせる自信がなかったものですから。』
 その言葉にシンは苦笑いする。
 『例えそうであっても。』
 おかしそうに目を細め、困ったものだといわんばかりにため息をついた。
 『自分の手の内は明かさないほうがいい。ましてや、力を得たばかりだから使いこなせる自信がないなどと。』
 …ジョミーの正直さに呆れたらしい。
 『あなただからこそ明かしたんですよ。あなた相手にはったりは通用しない。だけど…。』
 ジョミーは笑みを浮かべた。いつもの朗らかなものと違い、影のある闇に染まったかのような嗤い。
 『たとえ使いこなせなかったとしても、あなたと僕の力は性質が違う。あなたにとっては、僕の力は脅威になるはずだ。』
 『そのようだな。』
 シンは、次第に浸食されていく自分の結界を見渡してから、ジョミーに微笑みかけた。
 『よく…ここまで覚悟した。今の君なら、あの女怪をも退けることができるだろう。ただし、最後に忠告しておく。その力、君の言ったとおり我々のものとは相反する力だ。気を抜けば、宿主である君自身を食い破りにかかるだろう。覚悟しておきたまえ。』
 シンの姿が、この空間と同じように溶けるように薄くなっていく。その彼が、ゆっくりとブルーを見遣った。
 『君は…いい夫に恵まれたな。誇りに思ってもいい。』
 どう返事していいのか分からなかった。何かいおうとしたが、結局は何もいえずに消えてゆくシンを見送るよりほかがなかった
 『…心配せずとも、シンは消滅していません。姿を維持できなくなっただけですから。』
 頭の中に響く、ジョミーの思念波。優しく微笑む姿は、暗く淀んだ瞳を除けば以前の彼となんら変わりがない。
 シンの気はもともとこの大地に宿るもので、今は力の大半を失ってその気配を隠しただけなのだ、と重ねて言われた。しかし、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
 「見えて…ないのか?」
 言葉が…震えた。ジョミーは押し黙ったが、やがてにこりと笑った。
 『あなたがここにいるということは分かります。それに、こうすれば視覚など関係ありません。』
 ジョミーはこちらに歩み寄ると、ブルーの身体を包むように抱き寄せた。ジョミーの腕の中は前と変わらず暖かかったが、そのぬくもりにむしろ…悲しくなった。
 ジョミーが光や音を失ったのは、力を得るための代償だとシンはいった。その判断をさせてしまったのは…自分だ。
 顔を上げて、こちらを見つめているだろうジョミーの表情を覗き込めば、暗く翳った緑の瞳が見つめ返してくる。見えていないのだから仕方がないが、感情も何も宿っていないガラス玉のような目に、言い知れぬ寂しさを覚えた。
 『僕にはもともとサイオンという力を持っているので、見えなくなったり聞こえなくなったりしたところで、何の不自由もありません。』
 そう…なのだろう。目が見えない分には透視という能力がカバーするし、耳が聞こえない、口が利けない分にはテレパシーという能力で、相手の言葉を読み取ったり意思を伝えたりできる。
 …だが、それはおそらくジョミー自身を消耗させる結果になるはず。今まで五感によって感じ取っていたものを、すべてサイオンで補おうというのだから…。
 「…すまない…。」
 『あなたのせいじゃない。』
 謝罪には、間髪いれず否定の思念波が返る。思念波にわずかな苛立ちを感じ、ジョミーの表情が固くなったことでその感情を知ることができた。
 『僕が勝手に決めたことです。何を失ってもあなたを失いたくなかった、そんなワガママな思いで、あなたの了解を得ないままに、魔力を得るためにヒトではないものと契約した。でも、後悔はしていません。もしかして、ソルジャー・シンに土下座でもして頼み込めば、あなたを返してくれたかもしれない。でも、今回はそれでよくても、次はない。』
 そこまで言って、ジョミーは表情を緩めた。
 『あなたはむしろ僕に怒ってもいいんですよ? 何の相談もなしに光と音とを売り渡したと。』
 そんなことを言えようはずがない。光や音を失って辛いのはジョミー自身なのだ。
 「…君ばかりだ。」
 そうつぶやけばジョミーは押し黙った。
 「僕といると、君ばかりが犠牲を払う。君だけが傷ついて、君だけが辛い思いをする。」
 『ブルー…。』
 「結婚する前…君が一度死んだときもそうだ。どうしていつも…。」
 君だけが…傷つくんだろう? 君だけが、痛みを負うんだろう。僕だけがのうのうと君の犠牲の上に立っていなければならないのは…何かの罰、なんだろうか。
 「君の、人生を捻じ曲げてしまったことは…どうやって償えばいいのか分からない…。」
 多分、こんなことがなければ穏やかで満ち足りた人生を送っただろうに。指導者としての責任感の強い君なら…きっと誰からも慕われ、尊敬される存在になって皆の中心にいたことだろう。…瞳は翳ることなく、声や音を失うことなく。
 ジョミーはしばらく黙っていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。…その、今まで見たことのない暗い微笑みに、ブルーは戸惑った。
 『もし…あなたが償いをしたいということならば。』
 どきりとした。
 何を言われるのだろう…? できるものなら、自分の視力も聴力も差し出したいくらいだが…ジョミーが言うのはそういうものではないだろう。
 『ずっと僕と一緒にいてください。生涯僕の妻として傍にいて。』
 その言葉に…目を瞠った。
 『僕のことが嫌になったらあなたを縛りつけることはしません、などと言えるほど、僕は大人じゃないし、人間ができているわけでもない。弱味につけこんだと詰られようが、少しでもあなたを繋ぎ止める手段があるのなら何でも使います。』
 そう言って自嘲的に笑う。けれど…驚いたのはそこじゃない。
 「…そんなもので、いいのか?」
 一生顔を見せるなとか。二度と戻ることを許さないとか。そんな言葉さえ覚悟していたのに。だが、ジョミーはふっと笑った。
 『そんなものと馬鹿にできることじゃありませんよ? 何といっても、あなたは僕のこの姿をずっと見ていなければいけない。僕は、何でも自分のせいにするあなたが、この姿を見てどんな反応をするか、よく分かっていた。それでもこの方法を選んだ。』
 あなたを失いたくなかった。それは本当のことだが、こうすればあなたが僕の思いどおりになると思ったことも事実。あなたの自責の念を利用して、あなたを縛る、それすら…考えた。
 思念波で告白されているせいなのか、内容のわりにその言葉は柔らかく響いている。
 それが…そんなことが償いになるのなら…。
 「それが君の望みなら。」
 ジョミーの感情のない目を真正面から見つめる。これが、くるくるとひっきりなしに表情を変えていた感情豊かな瞳だったのだ。今は単にガラスのようにまわりのものを映すだけ。
 「僕は君に従う。」
 君の瞳を、その姿を目にすることが苦痛であったとしても、それが君の命令なら…。
 『…そうですか。』
 嬉しそうに、しかしどこか陰のある笑顔を浮かべてから、ふわりと翼を広げた。
 『では、帰りましょうか。』
 当然のようにジョミーの腕の中に閉じ込められ、浮遊感とともに景色が変わる。シンの結界からもとの世界へと戻っているらしい。
 「ジョミー。」
 声をかければ、なに? という思念波が返る。
 「…君の払った犠牲に見合うだけのものが、僕にはあるのだろうか?」
 そんなものがあるとは到底思えない。しかし、ジョミーの答えはあっさりしたものだった。
 『あるに決まっているでしょう。何もないのに視力や聴覚を捨て去るような自虐趣味は、僕にはありません。』
 
 
 
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        | やはり、本編も進めないとね! それにしても、ジョミーのまま三重苦というものはちょっと難しい…。 |   |