どうしよう、と。
また理性と感情の狭間で思い悩んでいる自分がいる。
僕はシンと特別な関係にある。だから、もう君には用はない。
声さえ震わせず、顔にも出さず、嘘だと気づかれないようにジョミーにそう言い切れる自信がない。
ふと見ると、外は暗い。月明かりだけが部屋の中を照らしている。
ジョミーも、この月を見上げているだろうか…。
そんなことばかり考えてしまって。切なくなる。
『そろそろ決断してもらわなければいけないな。ジョミーがここに来ることができるようになった以上、君の子をこのままにはしておけない。』
さっきそんなことを言われて焦った。
『どうして…!?』
『決まっている。君がジョミーに強制的に向こうの世界へ連れ帰ってしまう可能性が出てきた以上、僕が君をここに連れてきた目的はさっさと達成しておかないといけない。』
…そんなことを、言われたのだった。
『明日の朝には、君の身体を元に戻す。覚悟しておきたまえ。』
シンは、言ったことは必ず実行するだろう。
ジョミーのこと、子どものこと、僕自身の身の振り方のこと…。考えることが重なって頭が混乱しそうだ。
月を見ながらため息をついたとき、ドアをノックする音が聞こえた。どきっとして振り返って、ドアを見つめる。
ノブが回り、顔を出したのは、ここにいるもう一人の…。
『思ったとおり、余計なことを考えて眠れないようだな。』
シンが苦笑いしながら皮肉っぽくこちらを見ていた。その様子に、無意識のうちに後ずさる。
「…この身体を戻すのは明日のはずだ。」
『そうだが…?』
では、何の用がある…?
警戒心をむき出しに、室内に入ってくるシンをにらみつける。
『君と、ゆっくり話がしたいと思ってね。よくよく考えれば、君とゆっくり話などしていなかったから。』
ブルーの緊張振りを可笑しいといわんばかりに微笑みながら、シンはベッドに腰掛けた。
『近くに来てくれないか? 何もしない。』
「必要ない。用があるのならそこで言えばいい。」
『冷たいね。』
シンは苦く笑った。
誰が、セクハラ一歩手前の言動をするような男と一緒にいたいものか…! そう思いつつ、必要とあれば、窓から逃げようと準備した。しかし、シンがその気になれば、そんな抵抗などまったく意味がないだろうが。
『ジョミーは、僕が死ぬ前日に僕の元にきてね。』
その言葉に、はっとした。それは、シンが身体を失う前。指導者としてあの館にいたころのことだろう。
『あのときのジョミーは、まだ幼さが残る少年だった。だが、まっすぐな瞳と優しい心、そしてその身体に秘めた途方もない力に、この子はきっとよい指導者となるだろうと確信した。もっと時間があれば、教えたいことは山のようにあったが、当時の僕はもう立ち上がるどころか声さえ出せないほど衰弱していてね。』
懐かしそうな遠い目。きっと当時のジョミーを思い出しているに違いない。
ジョミーからも聞いたことがある。シンは歴代指導者の中で1、2を争う使い手だったが、魔物との戦いで傷つき、そして果てたのだと。引継ぎの時間などほとんどなく、一言二言、言葉を交わしたっきりですぐに亡くなってしまったのだと。
『しかし、僕が何を教えずとも彼は彼自身で道を切り拓く力を持っているだろうと、今も思っている。現に、こんな短期間でここまで力をつけたことには、感心したくらいだ。尤も…彼にとっては不本意な結果に終わってしまったようだがね。』
そういいながらこちらを見て、可笑しくてたまらないとばかりに笑う。
『迎えに来たはずの妻に追い返されるなど。笑い話にしかなるまい。君のために払った努力は何だったのだろうと、今頃嘆いているかもしれないな。フィシスにはさぞかし大笑いされていることだろう。』
その言葉にはむっとするよりほかがない。それは事実だから、反論のしようがない。
『だが、そんなことで君を手放す決心ができるほどジョミーは諦めのよい性格をしているわけではない。安心したまえ。』
またここに来るだろうと言われるのに、今度は複雑な心境になった。
来てほしくない、放っておいてほしいと思う反面、またジョミーがここに来るかもしれないと思うだけで、嬉しいような切ないような気分になる。
「でも…彼のためには…。」
『自分になど構わないで、新しい気持ちで指導者として精進してほしい、か? それとも、再婚して幸せな家庭を作ってほしい、かな? まったく…君という人はどうしてそうなんだろう。』
言いながら、今度は笑みを消し、じっとこちらを見つめた。
『君は、どうしたい?』
それは、この館の外にいたときにされた問いかけと同じもの。
『君が考える、ジョミーのあるべき姿というものは分かった。だが、僕が訊いているのは君がしたいこと、君がほしいものだ。』
…そんなことを言われても。
この感情は、僕を無視して走ってしまうだけの、ただのワガママな思い込み。それを口に出せば…なおさら歯止めが利かなくなりそうだ。
『君の願いは…?』
そういわれるのに…固まってしまう。そのままにらみ合いが続くかと思ったのだが…意外にもシンはふっと表情を緩めた。
『…よく考えてみれば、君は自分の願いを聞き入れてもらったことはほとんどないんだな。自分が何かを望むのは罪悪だと、心の底でそう思っているんじゃないのか?』
「…分からない。」
分からない、けど…。この思いは、ジョミーの邪魔になる。ゆくゆくは、ジョミーの指導者としての地位までをも脅かす。いや…もしかして、ジョミーの命さえ奪うかもしれない。あのときジョミーは仮死状態から生還できたが、そう何度も奇跡は起きるものじゃない。同じようなことが何度も続くと、今度は確実に…。
ぞくりと寒気がした。慌てて首を振って、最悪の想像を振り払う。
ジョミーが迎えに来てくれたのは、確かに嬉しかった。でも。
…君の傍に僕がいると…君が悪く言われる。それがゆえに君が苦しむことを思えば、僕はこのまま君と会えなくてもいい。このあと自分が何年生きているのかは分からないが、その間ずっと君を思い、君に焦がれて死んでいくとしても。
『人を思う力は、無限の可能性を秘めている。』
ふと気がつくと、シンが隣に来ていた。
『確かに仕組まれたことだったが…君は受胎した。』
穏やかな表情でそういった途端、シンの背から翼が出現した。しかし、それはやはり右だけ。けれど、その姿は痛々しくも美しかった。そのシンが、何かを大事に乗せているかのように、手のひらをブルーの前に突き出した。
『まだ小さいが…君の子どもを見せてあげよう。』
え…? と思ってシンの手の上を見ると、白く光る3センチほどのものが浮かんでいた。黒い目、小さく未熟な手足が見て取れる。
これ…って?
『君のお腹にいる子だ。僕はその姿を投影しているに過ぎない。小さいが…必要な器官はすべて揃っている。』
信じられなかった。
子どもがいると言われたが、本当に、書物で見たような胎児がこの身に宿っているとは想像もつかなかった。
『君の妊娠を仕組んだものは、こんなに完璧に人間の形を取ることは想定していなかっただろう、その必要もないからな。君は本来女性ではない。だから、妊娠しても生まれてくる子は人間の形を取ることのない、ただの肉塊でしかない。だが、君はジョミーとの子どもを望んだ。ジョミーのように、優しく強く愛らしくと。それがこの結果だ。』
母親である、君の力だ、と。そう言われるのに、言葉を失った。
僕が…この子を作り出したと…? 本来この身体にあるべきではない女性の部分で?
ブルーはシンの手に乗っている胎児の姿をじっと見つめた。
『君の、願いは…?』
僕…は…。
本当に、言ってもいいのだろうか? ジョミーを不幸にするかもしれないのに。でも…。
もう一度、シンの手にある小さな命に目を落とす。ジョミーと、僕の、小さな命。
「…ジョミーと一緒に…この子を育てたい…。」
その言葉に、シンがふわりと笑う。
『最初にも言ったが…その子どもは君たちを不幸にするために生まれてくるのだから。それを育てるということは、今のように自信のないことを言っていてはいけない。それに、子どもが生まれてしまえば、君が母親だ。そうなってしまったからには、そうそう自虐的なことばかり考えていては、その母親にすがる子どもがよりどころを失う。』
厳しいことを言っているが、楽しそうにこちらを覗き込んでくるシンに、一瞬迷ったが意を決してうなずいた。
『分かった。その願い、聞き届けよう。』
満足そうにうなずくシンに。
『ひび割れた高潔な精神を持つ、片翼の天使』と。そんな言葉が浮かんだ。
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ブルーの強情さにしびれを切らしたらしいシン様でした♪ 『ジョミーと一緒にいたい』『子どもを育てたい』といわせようとがんばっていた様子ですが、やたらとスキンシップを取ることは必要なかったんじゃ…と思っちゃいますね。 |
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