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    視界を遮った緋の色が消えた後には、無機質な色のない部屋があった。さっきと同じ部屋。だけど、現実世界にはありえないモノトーンの色彩。「ここは…。」
 『僕の結界の中だ。』
 そう言われて、シンに抱かれたままだったことを思い出して、慌てて身体をよじって床に降りた。シンもそれを邪魔することはなかった。
 「…一体どういうつもりだ…?」
 あなたはジョミーの尊敬する先代指導者ではないのか?
 前に立つ暗い翳った緑の瞳を持つ前指導者をにらみつける。しかし、彼はまったく堪えた風はない。表情すら変えずこちらをじっと見下ろしている。
 それにしても…とブルーはひそかに思う。
 …どうして片翼なんだろう?
 白く輝く羽根は右だけ。これでは、ジョミーのように飛べるとは思えない。尤も…飛ぶ必要などないかもしれないが。
 『君の身体をもとに戻してあげようと思ってね。』
 冴え冴えとした表情で、そう言われるのにどきっとした。色素や性別の変化したこの身体のことをさしているのだとすぐに分かったのだが。…そんなことができるのだろうか?
 いや。相手は歴代指導者の中でも、一、二を争うと言われたソルジャー・シン。できないことを口にすることはないだろう。
 『その身体の変化は放置しておくと、いずれそれは君の身体を蝕むだけでなく、ジョミーをも殺すことになる。』
 「…え…?」
 しかし、その台詞には頭の中が疑問符だらけになった。この身体の変化で、なぜジョミーが死ななければいけないのだ?
 そう思いながら、そういえばさっき『君は自分の夫を手にかけることになる』といわれたことを思い出した。あれは魔物に操られるためということではなかったのか?
 シンは目を閉じると、背中の翼を消してから、もう一度目を開けた。やはりその暗い瞳には感情らしきものは浮かんでおらず、酷薄ささえ漂わせる。
 『単刀直入に言おう。子どもは諦めろ。』
 それこそ、シンが何の話をしているのか、さっぱり分からなかった。
 子ども…? 一体、誰の子ども? ジョミーの養い子のことか?
 『君の子どもだ。君は受胎している。』
 そう言われて。
 2日前ジョミーと無理やり関係を持ったことを思い出した。
 「じゅ…?」
 …受胎? って、僕が?
 まったく予想だにしていなかったことを言われて、混乱のあまり動作が止まる。その様子にシンは表情を緩めた。
 『…そうだな。普通ならまだ分からないくらいだが、君の場合は普通の妊娠とは違う。』
 …でも。まったく実感がわかない。
 そっと腹部に触れてみるが、やはりさっぱり分からない。女の直感というもので、確たる証拠なく妊娠の事実が分かる女性がいるらしいが、元は男だったためか、まったくぴんと来ない。
 首を傾げつつシンを見るが、目の前の男は冗談を言いそうに見えない。ゆえに。さっきシンの言った台詞が、突然現実味を帯びて耳によみがえってきた。
 …子どもは諦めろ?
 シンはじっとこちらを見ているだけだ。
 「…諦めろ、とはどういうことだ…?」
 シンが言うことが本当だとすれば、これは俗にいう『おめでた』と言うものだろう。子どもを作ることに反対はしていたが、もともと子ども好きのジョミーのこと、知ったらきっと喜ぶだろう。
 ふとそう思ったが。
 もうそれはない、と自分の考えを打ち消した。
 …ジョミーはもう僕には関心を示さないだろう。
 スウェナの勝気な微笑みを思い出して、うつむいてしまう。きっと、ジョミーとスウェナなら、指導者夫妻としてお似合いだろうと。そう思うと、なおさら気分が塞いだ。
 だが、シンはそれに構うことなく言葉を継いだ。
 『その変化は、悪意のあるものの、ある計画のためだ。君やジョミーがそれに乗せられなければ、ここまで出張ってくるつもりじゃなかったんだが…。』
 やはり若いんだな、と苦く笑う。
 しかし。
 悪意のあるもの? 計画? そんなことを言われても、何が何だかよく分からない。
 「何のことだ…?」
 『だが、君が子どものことにさえ頓着しなければ、その身体はすぐに元に戻る。』
 しかし、シンはブルーを無視して淡々と告げた。
 『君のその身体の変化は、ジョミーを殺し、君を狂わせる運命にある子どもを君自身に宿すためだ。そんな呪われた子どもは、今のうちに始末しておいたほうがいい。』
 言いながらこちらに手を伸ばしてくるのに、ブルーは反射的に後ろに下がった。その様子にシンは動作を止め、目を細めた。
 『君に痛みはない。安心して僕に身を委ねたまえ。』
 まだ1センチにも満たない、何の力も持たないものを潰すくらい、大した手間もかからない。
 そうこともなげにつぶやく姿に、愕然とした。
 まだ信じられないが、本当にこの身体に新たな命が宿っているとして。その命が、例え不幸を呼ぶ運命にあったとしても。それを殺してもいいと、なぜ言えるのだろう?
 かつて、不気味だ、不吉だと言い続けられた自らの経験が重なってしまったのかもしれない。シンの言い草に、ひどく腹が立った。
 「…不幸を呼ぶとはどういうことだ? ジョミーを殺す運命とは一体…。」
 『知らないほうがいい。』
 そんな問いを投げかけたが、シンは答える気はないらしい。
 「では、僕もあなたには従わない。」
 そう言い切ると、シンはふっと表情を緩めた。
 『…まあいい。他の誰でもない、自分の子どものことだ、そう簡単に割り切れるものではないだろう。』
 …え…? 今、なんて…?
 意外、だった。従わないとは言ったものの、伝説の指導者としての力を持ってすれば、こちらの意思など無視することも可能であっただろう。
 『ゆっくり考えることだ、時間はまだある。幸い、僕の結界を破るものなどいないだろうから、雑音は入らない。最強のサイオンを持つジョミーであっても、簡単にここへ入ってくることはできないだろう。今頃向こうで歯噛みしているかもしれないな。』
 だが、低く笑いながらそう言われるのには落ち込んだ。
 ジョミーは僕に会いたいなどと思わないだろう。むしろ、僕がいなくなったということで、喜んでいるかもしれない。
 僕が色素ばかりか性別までが変わったことで、ジョミーの中傷の元になってしまったのだから…。強くて自信たっぷりで、颯爽としたあのスウェナ・ダールトンのほうが、よほどジョミーにはお似合いだ。だから…僕などいないほうが…。
 そう考えていたら、ふわりとした浮遊感があった。ここに来たときと同様に、シンに抱きあげられているのが分かって、慌ててもがいたが。
 『大丈夫、何もしない。』
 そう言って、シンは空いている片手で優しくブルーの髪を撫でた。
 …ジョミー…。
 冷酷とさえ思えるシンのそんな仕草に、明るい笑顔を浮かべたジョミーのことが思い出された。
 『…君は馬鹿だな。なぜそんなに自分を貶める?』
 この人はジョミーじゃない。そんなこと、分かり切っているのに…。
 それでも、指導者としての服装と、金の髪、緑の瞳が…。愛しい、優しい彼を思い起こさせる。
 『いずれ君の変化を戻すことになるが…。それでも、薄青の瞳は残しておいてもいいかな? 色素はないよりもあったほうがいいし、それに、今の君の姿は僕の想い人によく似ている。』
 そう言われるのに、驚いてシンを見る。厳しいながらも優しい瞳に見つめられて、ひどく落ち着かない気分になる。
 『君が望むなら、ずっとここにいてもいい。ここなら、君を悩ませる一切から君自身を守ることができる。』
 そうシンから優しく諭すように言われるのに…。
 …迷う自分がいた。
 
 
 
 
 
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        | わーい、シンブルシンブルと浮かれている人がここに…。早めにあげると言いながら時間がかかってゴメンナサイ! |   |