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   「なんでそこで殴ってやらなかったのよ!」「ニナ、なんで君がここにいるの…。」
 指導者夫妻の私室。会議から戻るや否や、ニナが訪ねてきてジョミーに向かって怒鳴った。ジョミーは呆れたようにニナを見遣る。
 「そんなこと、どうだっていいでしょ? 大体ジョミーは甘いのよ! 奴らますます増長しちゃうじゃない。ガツンと一発殴るとか、蹴りを入れるとかしてやればいいのよ!」
 …確かに活発そうな女性だと思っていたけれど…こんなに過激な人だったなんて思わなかった…。
 ふんぞり返って、そのくらい当たり前よと言わんばかりに口を尖らせる少女を呆気に取られて見つめた。
 「そんな暴力的な…。君は女の子なんだから、そういう乱暴な言葉は…」
 ジョミーは頭をかきながら困ったようにつぶやいた。
 「乱暴? 自分の妻を妖魔呼ばわりされて黙っているよりはマシだと思うけど?」
 「それは僕が止めた。」
 さすがに言われっぱなしのジョミーが気の毒になって横から口を出すと、ニナはこちらを見遣ってから一転してため息をついた。
 「…そりゃまあ、あなたたちの場合立場があるから、あまり強く言えないのは分かるけど…。まあいいわ、私が行ってとっちめてやるから!」
 しかし、今度はいいことを思いついたとばかりにぱっと笑顔を浮かべると、そうよ、それがいいわ! と戸口に向かって方向転換をした。
 「ニナ、ちょっと待って…!」
 ジョミーが止めようとしたが、ニナはさっさと戸口まで行って、こちらを振り返った。
 「あなたたちじゃカドが立つってこともあるかもしれないけど、私だったら大丈夫でしょ? じゃあね。」
 「だから待てって…。」
 ジョミーの呼びかけは閉じられたドアにはね返ってむなしく響いただけだった。
 がっくりと肩を落としていたが、やがてジョミーはこちらを見て神妙な表情で頭を下げた。
 「…あなたに予備知識として教えておかなかったのは、僕の手落ちでした。
 彼を含む数人は、僕が指導者としてここにいるのが気に入らないようなんです。だから、あなたのことを妖魔だ何だと言い出したのは、あなたがどうこうというわけではなくて、単に僕の嫌がることなら何でもしたいということからだと思いますから。」
 …それは何となく分かっていた。ジョミーが魔物との戦いで死にかけたとき、フィシスのところに詰めかけた人々を見て、そういう感情はあるのだと。だけど…それが君に対する嫌がらせだけというには無理があるような気がする。
 こちらの沈黙をどう思ったのか、ジョミーはこちらに歩み寄り、正面から抱き寄せた。
 「だから…。あなたが妖魔だと本気で思っている人間などいません。どうか、そんなに落ち込まないでください。」
 ばさり、と。大きな翼が羽ばたくような音が聞こえた途端、視界の端に白いものが映った。それが、大きく広がり、ふわりとブルーを包み込む。
 ジョミーなりに気を遣っているのか…。
 そう自嘲気味に考えたが、その感覚は心地よく、しばらくそのまま黙って天使の翼とも言うべき羽根のぬくもりに身をゆだねていた。
 どのくらいそうしていたのか、ジョミーがわずかに身じろぎした。
 「ブルー。」
 呼びかけられて、何だろうと顔を上げる。
 「明日ですが…。」
 真剣な顔でこちらを見つめる様子に何だろうと思って、次の言葉を待ったが。
 「…どうしても見てこなければいけない部落があるので出かけますが、午後からは戻ってきますから。」
 …苦笑いして言われるのに、何となく違和感を覚えたが、こちらを心配して言ってくれているのだろうと思って黙ってうなずいておいた。それよりも、この羽根の持つ温かさが気持ちよくて、ジョミーの羽根に頬を添えたまま目を閉じた。
 このまま、時間が止まってもいい…と。
 そんなことさえ考えた。
  翌朝目が覚めると、すでにジョミーはいなかった。こんなに朝早く出かけるとは聞いていなかったはずなのに、一体どうしたんだろう…?
 そうは思ったが、必要なら戻ってから聞けばいいと思って身支度をして。ふとジョミーと会って最初に入った部屋へ行ってみたくなった。なぜだかよく分からない。ただ、ジョミーのことしか考えていなかった、あのときが妙に懐かしくなったのだろうと、そう思った。
 廊下を歩いてその突き当たり。今は客間に戻っている部屋がある。
 そっとドアを押せば、それは軽く開く。
 中に入ると、大きな窓から見える風景が懐かしくさえ思えた。
 「ちょっと! なんでこんなところに呼び出すのよ!」
 どきりとした。
 その窓の向こうに、昨日部屋に来ていった女らしからぬさばさばとした女性、ニナが不機嫌そうに口を尖らせている様子が目に入った。理由はないが、彼女に見つからないようについ物陰に隠れた。
 「しっ、誰かに聞かれたらどうすんのよ!」
 「人に聞かれたくない話をしたくて、ここに来てもらったんだから。」
 いるのはニナだけでない。もう二人、ニナと同じくらいの年齢の少女がまわりをきょろきょろ見渡している。
 「…分かったわよ、それで何なのよ?」
 「ジョミーのことだけど!」
 「ジョミー?」
 興味のなさそうなニナだったが、その言葉で驚いて身を乗り出した様子が分かった。
 「びっくりよ、今日出かけた相手先!」
 「何よ、もったいぶらずに教えなさいよ。」
 …今日はどうしても訪ねなければいけない部落があるから出かけるという話だったと思うが…?
 「スウェナ・ダールトンよ! あの『赤バラの君』!」
 「今朝早く、ジョミーがあの女性ジャーナリストの使い走りの男に命じているのを聞いたの!」
 「なんですって!?」
 その言葉に。
 まさかと思う自分と、やっぱりと思う自分がいた。いつかはそうなると思いながら、見て見ぬふりをいたことが、ひどく滑稽に思えた。
 「ねえ、まさかと思うけど、ジョミー早くも倦怠期?」
 「浮気しそうな雰囲気あった? ニナなら昨日会ってるでしょ?」
 興味本位のその声音に、ニナはかっとして二人に向かった。
 「あなたたち、なんてこと言うのよ! ジョミーが本当にあのスウェナ・ダールトンに会いに行っているとしても、何か考えがあってのことだわ。倦怠期だの浮気だの、そんなこと口にしちゃダメよ!」
 厳しい口調でそう言うと、二人は言葉をなくしたように立ち尽くした。
 「いい? 誰にも言っちゃダメよ!」
 「う、うん。」
 「ニナがそこまで言うのなら…、分かったわ。」
 ニナの剣幕に二人の少女はしぶしぶ承諾すると、彼女たちはニナを残してその場から去っていった。
 「…まったくもう、ジョミーったら…。」
 ニナもため息をつくと、彼女たちと同様足早に歩き去った。
 そう、か。やっぱり…。
 考えてみれば、当然のことだ。口ではどう言っても、色素や性別の変わるこんな身体など、気持ち悪いだろう。それに。
 …思えばジョミーとスウェナとは、とてもお似合いだったのだ。
 もう…、僕はジョミーの傍にいないほうがいいのかもしれない…。
 そう考えた途端。部屋の一角から生臭い匂いがしてくるのに気がついた。以前出現した、あの黒い穴よりももっと毒々しい空気を持つ魔の気配。
 …僕はやはり化け物か。また君の結界を破ってしまったようだ。
 瘴気とともに、蜘蛛のような大きな黒い塊が這い出てくるのを、諦めに似た気持ちで眺めた。どこかで、これが3回目で、ジョミーがまた責められるのだろうなと思ったけれど。
 …でも、もう結界が破られることはない。これが最後になるんだから…。君が変に中傷されることはもうないだろう。
 「…連れて行くがいい。それが僕の運命なら…。」
 こちらに向かってくる異形のものに手を差し伸べながら、そうつぶやく。不思議と、今は恐怖はなく。
 …抵抗する気すらなかった。
 
 
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        | シリアスなシーンですが、私は次が楽しみ〜♪ いよいよあのお方の登場です! |   |