「…ブルー。」
大丈夫? と声をかけられるのに、起き上がってこちらを伺うジョミーを見た。歓喜と後悔がごちゃ混ぜになったような表情でこちらを見つめている様子に、ジョミーの内心の葛藤が手に取るように分かる。
「平気。だけど…。」
ちょっと…、休みたい。
そう言うと、今度は顔をしかめて口を尖らせた。
「ほら、やっぱり! もう、あなた自分に体力がないのにどうしてそう人を煽るのが上手いんですか! そりゃ僕の理性に根性がないと言われれば返す言葉が…。」
文句を言いかけたジョミーだったが、そこで不自然に言葉を切った。
どうしたんだろう? と思っていると、ざわりとした感覚が背筋を駆け上った。
「…あなたはここにいてください…!」
ジョミーは慌てて脱ぎ捨てた服を拾って、身に着け始めた。
今感じた寒気は…、強いていえば以前出現した黒い風穴に感じたものと似ている。でも、今ここには何も…。
「…館の結界が破られました。」
そんな戸惑いに気がついたのか、ジョミーはこちらを見て悔しそうな表情でそうつぶやいた。
結界が…?
そのとき、闇夜をつんざく悲鳴が館の中を駆け巡った。
「行ってきます、ここを動かないで!」
戸口まで走ろうとしたジョミーだったが、何を思ったのか慌ててこちらに戻って、本棚から一冊の本を取り出して、ブルーに押しつけた。
「本当なら、先代にあなたを預けるようで嫌なんですけど。」
でもお守り代わりにはなりますから。
そう言ってから身を翻すと、今度こそジョミーはドアを開けて出て行った。
ブルーはと言うと、無理やり渡された本を持ったまま、呆然と閉められたドアを見つめた。
結界が…、破られた?
確か、ジョミーが生死をさまようような怪我をしたときであっても、結界の強度には何の影響もなかったのではないのか? それなのに、今のジョミーは健康そのものなのに、結界を破られるなんてことはあるんだろうか…?
最近は寝不足が続いていたし、今は性交中だったから、そのせいかもしれないけれど…。
しばらく考えていたが、納得のいく答えなど出ようはずがない。それもそのはず、自分がジョミーやこの館について知っていることなどほとんどないのだから。
やはり…、ジョミーと結婚したのは早計だったのかもしれない…。
落ち込みそうになって、慌てて頭を振った。
自分自身がジョミーと離れることなどできないと、あのとき思い知ったのではないか! それに今更時間は戻らない。そんなつまらない繰言など言っている暇があるなら、もっと別なことを…。
そう思って、気分を入れ替えようと息を吐いた。
…でも。
せめて、ジョミーの手助けくらいできればいいのに…。
そう思いつつ、だるい身体を騙していつも自分が着けている服を着てから、いったんベッドの上に置いた本に目を移す。
ソルジャー・シン直筆の精霊文字で書かれた呪文の書。
ジョミーはお守り代わりにと言っていたが、素人の自分が見てもどのくらいの効果があるのかさっぱり分からない。
いや、待てよ…?
ジョミーのように不思議な力を使うことも増してや飛ぶことも、いや、人並みに走ったり跳んだりという動作すらままならないこの身体では、ジョミーの力になるといっても限度がある。
けれど、もしも精霊文字を使えるようになれば…?
ジョミーに叱られるのを覚悟で、精霊語の使い方を教えてもらおうと思いつつ、本を持って椅子に座った。
…ああ、血がついたシーツを換えなきゃいけないんだった。でも…、眠い…。
まぶたが重くなるのを感じながら、本を膝に置いたままそのまま意識が遠ざかっていった。
「あれ? 目が覚めました?」
ふっと目を覚ますと、ジョミーがこちらに手を伸ばしてくるところだった。ブルーが目を覚ましたのに驚いていたようだったが、やがてにこりと微笑む。
「すみません、ひとりにして。こちらは片がつきましたよ。」
時計を見ると、あれから小一時間といったところだ。
「…すまない、眠ってしまっていた。」
君が戦っているのに、と言うと、ジョミーはいいえと首を振った。
「僕が戻るのを待つつもりだったんでしょう?」
そう言われて、はたと思い出した。
「ジョミー、精霊文字のことだが。」
「…それが何か?」
ジョミーは一転して、眉をひそめてこちらを見やる。相当警戒している様子が伺えた。
「教えてもらえないだろうか?」
「…精霊文字を、ですか?」
うなずくと、ジョミーは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ダメ。」
…思ったとおりの返事だった。
「君は精霊文字に何らかの力があると言っていたじゃないか。僕は体力的に劣るけれど、これを習得すれば君の邪魔にならずに済むから…。」
「ブルー。」
じろりとにらまれて、言葉が止まる。
「いつ僕があなたを邪魔だなんて言ったんですか? 体力的に劣っていようが、勘違いが多かろうが、あなたは僕にとって大切な人なんです!」
…勘違いが多いは余計だ。
「それに、精霊文字を使って術を使うにしても、体力は必要です! ある程度の力がないと、大した術は使えません。
それに、あなたのいう精霊文字を使った方術というのは、身を守るための守護魔法ではなく、魔物を殲滅するための攻撃魔法のことでしょう? そういう大きな呪術にはそれに見合うだけの大きな逆凪がある。」
ジョミーはそう言ってから気まずそうに、僕も受け売りですけどね、と付け加えた。
「僕は、そんな危険なことをあなたにやってほしいとは思いませんからね!」
ふん、とそっぽを向くジョミーを見ながら、明日フィシスに相談して、それでもダメだったら、指導者執務室の本を片っ端から当たってみようと思った。
しかし、その気持ちがうっかり伝わってしまったらしい。ジョミーは難しい顔でこちらをにらんだ。
「言っておきますが、フィシスは僕よりも魔法文字の効果はよく分かっていますから、僕以上に反対すると思いますよ? それに、こういうものは口伝なんです。どの書物を見ても書いてありません、少なくともこの館には! もし世の中に魔法語の本当の使い方を書いてある書物があるとしたら、それは禁断の書というものです!」
一気にまくし立てた後、ジョミーは乱暴にブルーの身体を抱き上げた。
「ジョミ…っ!」
「とにかく寝てください! 明日は今夜の事件について会議を開きますし、あなたも同席してもらいますから!」
起きているとろくなことを言わないし! とぶつぶつ言いながら、それでも丁寧に身体をベッドに下ろしてくれた。
その手触りで、シーツが換わっていることに気がつく。
「ジョミー…。」
「もう何も喋らないで、一緒に寝ましょう!」
ジョミーはそう言って自分もマントを外し、アンダーウェアだけになると、もう反論は許さないとばかりにきつくブルーの身体を抱き込んだ。
しばらく黙っていたが、やがてジョミーはため息をついて、ブルー、と呼びかけた。
「…邪魔だなんて思っていませんが…。もし、どうしてもあなたが何かしたいと思うなら、指導者相談役として、僕に協力してください。」
しかし。そう低くつぶやかれるのに返事ができず、結局黙って目を閉じるよりほかがない。…そんな役が自分に務まるなどと、思ってもいなかった。
翌日。
ジョミーからは居るだけでいいと言われ、フィシスからは聞いているだけでも指導者の館のことが分かりますからといわれて、初めて指導者の館の会議と言うものに臨んだ。
メンバーは、ジョミーとフィシス、長老5人と若いものが数人と。
「…昨日は騒がせて申し訳ない。」
開口一番のジョミーの台詞だった。
彼はこの館を含む空に浮かぶ島すべてに結界を張っている。その結界が破られたのだから、謝罪は当然だとこの会議に出る前、笑いながらそう言っていた。
「まったく困ったものじゃ。先代はこんな失態はやらかさなんだぞ。この島の結界が破られるなど、聞いたこともないわい。」
「まあまあ、老師。ソルジャー・シンとジョミーでは経験の差がありすぎる。比べることはないでしょう。」
「そうですよ。幸い魔物の力は弱く、大事には至らなかったのですから。」
そんな風に穏やかに始まった会議だったのだが。
「今回、指導者に咎はないのでは?」
突然そんな声が割り込んだ。しかし、その響きは悪意に満ちており、とてもジョミーを擁護するような発言とも思えない。
あれは確か…。
ジョミーが怪我をしたときに、フィシスのところへ押しかけ、次の指導者を探せといった男たちのひとりだった。
「…それはどういう意味だ?」
不思議そうに問い返す長老に、その青年は不敵に笑った。
「まあ、まったく咎がないとは言えませんが。
結界が破られたのはこれが2回目です。1回目は、我らの指導者が一度亡くなったとき。その手引きをしたのは…。」
言いながら、今度はブルーを一瞥する。その途端、彼の言わんとすることを理解した。
「手引きしたものなど存在しない! 結界が破られたのは、僕の力不足で…!」
「へえ? 怪我をして生死の境をさまよっている間も、鉄壁の結界を張っていたあなたの、ですか?」
慌ててジョミーが叫ぶのに、青年はにやりと笑った。呆然とこの成り行きを見守っているブルーと目が合うと、くっくっと笑いを漏らした。
「疫病神などさっさと追い払えばよいのでは? それが指導者の努めでしょう? 増してや、外見だけでなく、性別まで変わるような妖魔など。」
そう言われるのに、全員がしん…とした。タブーに触れられて、どう反応したらよいか分からないといった様子だった。
「…それは誰のことだ…?」
しかし、その中で怒りを含んだつぶやき声が聞こえた。ぎりっとかみ締めた歯の間から漏れた怒気を含んだ声。その押さえつけたような声から、はらわたが煮えくり返るような怒りが伝わってくる。
ジョミーはきっと顔を上げると、怒りの表情で青年をにらみつけた。
「言ってみろ…! それは一体誰のことだ!?」
その怒号に、今度はその場にいる全員が、凍りついた。
「おお、怖い。指導者殿は冷静さを欠いていらっしゃるらしいな。」
退散するよ、と言いながら青年は廊下に向かって歩き出した。
「待て!」
追いかけようとしたジョミーだったが、その腕を誰かに引かれて立ち止まった。
「…ジョミー、いい。」
「ブルー…。」
「別に、いいから。気にしていない。」
14へ
と言うわけで、幸せな時間終了〜。いや、大丈夫、ハッピーエンドですから!(と、いいわけ…。) |
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