『あの目。生まれたばかりのときは、あんなに気持ち悪い色じゃなかったんだがな。』
いつ聞いたかのだろうか。
閉ざされた部屋の中でぼんやりしていたときに聞こえてきたその声に、少なからず驚いたことを記憶している。どうやら、生まれたときには目の色だけでなく、髪の色も違っていたらしいのだ。それが、今見ている色彩と同じもの。
『目は薄い青で、髪は薄い金色。それがあんな色に…。悪魔の仕業としか思えない。』
…悪魔の仕業かどうかは分からなかったが、過去にそういった症例があるのか興味が湧いた。幸い書物なら腐るほどあったから、それは簡単に見つかった。
後天性色素異常。メラノサイトの変性や数の減少に起因する完全色素脱失で、病名は尋常性白斑。皮膚疾患の一種とみなされていることも、そのとき知った。ただ…、それは皮膚に関することで、目の色のことは説明できなかったのだけど。
もしも、僕が生まれたときの薄い青の目のままだったら?もしかしてここにいる自分とは違う自分がいたかもしれない。そう思うと、奇跡が起きてもう一度生まれたときの目に戻りたいと願わずにいられなかった。青い目なら、こんなところに閉じ込められることもなかっただろうし、嫌われることもなかったろう。
けれど。奇跡など起こるはずもなく、虹彩はずっと紅いまま。
それがなぜ今になって…。
そのとき、ふっと身体が傾いだ。背中が壁に当たり、ずるずると崩れるように座り込んでしまう。どうやら、発熱によるめまいに立っていることができなくなったらしい。
冷たい床にぺたんと座り込んだ形になって、ため息をつく。
次に頭に浮かんだのがジョミーのことだった。
『あなたの目、ルビーみたいで綺麗。』
最初に出会ったときから、ジョミーはブルーの紅い瞳を誉めそやしていた。それはもう高価な宝石のように。
気持ちが悪いといわれていたこの目を、そこまで誉めてくれる人などいなかったため、最初は戸惑った。けれど、ジョミーの嬉しそうな表情にこちらも段々と慣れてきたのか、忌み嫌われていたこの目の色など気にならなくなって、本当にそう見えるのかとさえ思い始めて。
いや、それどころか。この色で君の気を引けたのなら、自分でも嫌いだと思っていたこの目が好きになれそうだと、そう思っていたというのに。
…こんな僕を見て、ジョミーはどう思うだろうか…?
君があれだけ好きだといってくれた紅い目はなくなってしまった。時間が経てば元に戻るのではないだろうかと思いたいが、その可能性も低いように思う。
それに。
普通、こんな急激に目の色や髪の色が変わることなどありえない。稀に、ショックのため急に頭髪が白くなることはあるらしいが、目の色まで変化するなど考えられない。まさに化け物だ。
はじめに鏡を見て、その見慣れない色彩が自分の姿だと認識したときに最初に思ったのが、目が悪くなったのかということだった。赤い色が見えない、白を白と認識できないのかと。
しかし、それは違った。洗面所に活けてある赤いバラの色は分かるし、壁の大理石の白い色も分かる。ならば…、やはり変わったのは自分の姿であるということは、疑いようもない事実だ。
どうしよう…。
座り込んだまま立ち上がる体力も、移動する気力もなく。ただ途方に暮れてうずくまっているよりほかがない。
このまま夜が明けて、人が起き出して。
この姿が誰かに見られないということは絶対にないのだ。
フィシスは心配してくれて、医者を呼んでくれるだろう。しかし、こんな症例は知らない。目の色の変化についても調べたが、何の結果も得られなかった。おそらく、治療法はないだろう。
治療法がないということは、紅い目は戻らないかもしれないということだ。ジョミーがあれだけ好きだといってくれたというのに…。
そしたらどうなる?
ジョミーはこの身に対して興味すら失ってしまうかもしれない。
そうなったら…。僕はどうすればいいんだろう…?
ぞくりとする。何の感情もない目でこちらを見遣るジョミーが、そのまま視線を逸らして去っていく姿を想像して寒気がした。
そのとき。
「ブルー?」
その声に心臓が跳ね上がった。
こんな夜中なのに、どうして?
「…大丈夫ですか?」
キィという音を立てて、洗面所のドアがそっと開いた。
「…フィシス…。」
占い師であり、前指導者相談役である彼女は、洗面所に入るなりブルーと目線を合わせるかのように座り込んだ。
「あなたの気が乱れたようでしたので、様子を見に来ましたの。」
そういって悠然と微笑む。
おそらく…、盲目とはいえど姿が変わったことなど、分かっているのだろう。それでも、彼女は動揺した素振りを見せない。
『フィシスには、この館で起こることなどすべてお見通しなんですよ。』
ジョミーは以前そういって笑っていたが、今がまさにそれなのだろう。
「とにかく、ベッドに戻りましょう。ここでは身体が冷えてしまいますわ。」
そういって手を取ってベッドに戻るように促す。その手に掴まりながら呆然といった体でなんとか立ち上がり、途中何度か転びそうになりながらもベッドにたどり着いた。
「水を持ってまいりました。どうぞ。」
普段と変わらぬ笑顔でグラスを差し出すフィシスにどういおうか悩んだ。でも、話せることなどほとんどない。起きてみたらこうなっていたのであって、原因といえるものはほとんど思い当たらない。
「とにかく、お医者様に診ていただきましょう。今、こちらに向かっていると思います。」
しかし、そういわれるのに呆気にとられた。
なんて手回しのいい…。というよりも。
「こんな夜中なのに…?」
大抵の人は眠っている時間。そんな時間帯にわざわざ医者をたたき起こしたのかと驚いた。
別に、明日の朝だっていいのに…、とぼそりとつぶやいてうつむく。
この姿を他人に見られることだけでもひどく憂鬱なのに…。
「では、朝になるまで落ち着かない気持ちを抱えているつもりですか、あなたは?」
さらりと返された言葉に、ぐっと詰まる。
確かに…。フィシスが来てくれなければ、あのまま悶々として洗面所の床にへたり込んだまま朝を迎えていただろう。だから、彼女の判断は正しかったのだ。
「それからジョミーにも知らせました。すぐにこちらへ向かうそうですわ。」
「…どうして…!?」
こればかりは感謝どころか怒りしか感じなかった。
ジョミーとフィシスはテレパシーを使い、交信することができる。自分も使うことができればいいのにと思ったことが何度もあるが、今はそんな嫉妬さえ感じない。
「なぜ勝手にジョミーに知らせた…?」
増してやジョミーの好きだった紅い瞳が消えうせてしまったというのに?この姿を見て、落胆するジョミーの顔を想像するだに落ち込んでしまうのに…!
「ブルー。あなたはジョミーが姿かたちだけで人を好きになると思いますか?」
微笑はそのままに、フィシスは幾分まじめな声で問いかけた。それには沈黙せざるを得なかった。
ジョミーは、確かに見せ掛けだけで結婚を決意するような人間ではないだろう。増してやその相手がどうなったとしても、それを見捨てるような冷血漢ではない。
それはよく分かっている。たとえ、唯一彼の興味を引いた紅い目が失われてしまったとしても、だから離婚などといい出すほど、ジョミーは軽くない。
だが…。同情だけで一緒にいるなんて、ジョミーにとっては苦痛以外の何者でもないだろう。
…それに、紅い目を誉めるときのジョミーの笑顔を見ることができなくなるなんて…、悔しくて悲しい。
「…段々ジョミーの気持ちが分かってきましたわ。その際限なく勘違いする癖に振り回されるあたりが。」
フィシスが小さくつぶやいたが、それはまったくブルーの耳に入ってこなかった。
どうしよう、どんな顔をしてジョミーに会えばいいんだろうとそんなことばかり考えていて、ほかのことにまで気を回せないというのが正解だろう。
…興味を失われるだけならまだいい。
ふと嫌な想像にブルーは自分の身体をかき抱いた。
化け物、と。ジョミーからそういわれてしまったら…。
ジョミーが以前いったように、紅い瞳は先天性白皮症の典型例で、遺伝子のいたずら、つまり遺伝情報の欠損が原因で起こるものだから理屈は立つ。…本当は後天性のもので、目の色までは原因がよく分からないのだけど。
だが、虹彩の色がころころ変わるなど、普通ではありえない。そんなことが起こったのだから、人あらざるものと思われても仕方ないだろう。
いや。
ジョミーはきっとそんなことはいわない。良くも悪くも優しいから、『化け物』などと呼ぶことはないだろう。けれど…、内心で気味悪く思いつつも一緒に暮らしていくことになるのなら…、果たしてそんな関係が夫婦といえるのか…。
その思いつめた様子に、フィシスはまた呆れたようにため息をついた。
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天使、連続更新です〜♪
ブルーの勘違いは健在!久しぶりの勘違いモードに萌えているのは私だけでしょうね…。ゴメンなさいです。 |
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