「今、魔法語といいましたが。」
ジョミーは本から顔を上げてこちらを見遣る。
「正確には、精霊文字です。この文字によって精霊の力を借りることができると言われています。こんな風に、空中に書くだけでも効果があるそうです。
ただし、文字は正確に書かないと効果は期待できないそうですが。」
ジョミーは笑いながら、右手の人差し指で文字の形をなぞった。
「…精霊の力を借りる…?」
この世には魔物はいるが、精霊はいるのだろうか…?
「そう言われています。
僕は精霊を見たことがないので、半信半疑ですが、何らかのご利益があるのは間違いなさそうです。
以前精霊文字を宙に描いて、難を逃れたことがありますし。」
どういう作用なのか、さっぱり分かりませんけどね。
言いながら再び本に目を落とす。
「それに、シンの書いた文字だったら、当時の彼が精霊語を詠唱したのと同じ効果があると思いますよ。」
また、『シン』だ。
しかし、ジョミーは精霊文字の書かれた本に没頭していて、声をかけるのも悪いような気がする。
本を読むのは苦手だと言っていたのに、精霊文字の本は別らしい。いや、別なのは、『シンが書き残した』という事実なのか…?
悶々としながら、ジョミーが本を読む様子をじっと見守っているしかない。間近で見るジョミーの、いつもでない真剣な眼差しを見ていると落ち着かない。
そのときノックの音が聞こえた。
「ブルー、お加減はいかがです?」
ドアが開き、フィシスが顔を出した。ブルーのことを心配して見舞いに来たらしい。
「お医者様を呼んだほうがいいのではないですか?」
そう言いながら部屋に入ってきて、あら、と声を上げた。
「私、お邪魔でしたかしら…?」
そう言われて、ようやく自分がまだジョミーに抱かれている状態であると悟った。
「ジョミー…。」
降ろしてくれ、と言おうとしたのだが。
「そりゃ僕たち新婚だから。」
しれっと言うジョミーに呆れて空いた口が塞がらない。ねえ、と微笑みながら同意を求められても困ると言うものだ。
…今のジョミーに何を言っても意味がない。
だから、実力行使でジョミーの膝から降りようとする。ジョミーはベッドに座った状態で自分を抱いているのだから、身体をベッドに移動させれば済むことだ。
「新婚だからいいじゃないですか。」
「そんなわけにはいかない。」
「…そうですね。横になったほうが楽でしょうし。」
名残惜しそうに、それでもジョミーは丁寧に身体を横たえてくれた。
…もう少し、ジョミーの膝にいてもよかったかな…?
ついそんなことを思ってしまい、慌ててその考えを打ち消した。だから、甘えることに慣れてしまっては後が怖いだろう、と自分に言い聞かせる。
「…まあ、珍しいものを見つけましたのね。」
そう言われるのに、何だろうと思ったが。
「うん、ブルーが先に見つけたんだ。
精霊文字でこれだけの呪文が書かれた本なんて、初めて見た。」
「ソルジャー・シンならば、それも可能でしょう。」
ジョミーが無造作に置いた、『シン』と言う人が書いた本のことだった。
…つまり、フィシスも『シン』のことを知っているんだ…。
そんな風に疎外感を覚えて目を伏せたとき。
「ブルー、ソルジャー・シンはジョミーの前の指導者でしたのよ。」
フィシスの声が聞こえた。
…ジョミーの、前?
目を上げると、フィシスがにっこりと笑っていた。
「私は、ソルジャー・シンが指導者であったときから占い師をしておりました。
指導者やこの館にいる一部の者たちが使う力、魔物を狩ることに代表される力はサイオンと呼ばれていますが、ソルジャー・シンは、過去の指導者の中でも1、2を争うほどのサイオンの使い手でした。
ジョミーも力は強いのですが、当時のソルジャー・シンにはまだ及びません。」
「それ、本人を目の前にして言わなくっても…。」
ジョミーはと言うと、苦笑いしながら頭をかいている。
「でも、そう言うことです。
ごめんなさい、僕、あなたに先代のことを話した気になっていて、うっかり話してなかったんですね。」
ジョミーに軽く頭を下げられるのに、むしろこちらが目をそらしてしまった。『シン』やフィシスに、嫉妬めいたものを感じて、気まずくなってしまったからだ。
しかし、そんなことはまったく気がつかない様子でジョミーは続けた。
「シンは強力なサイオンの持ち主でしたが、同時に精霊魔法の使い手でもあって、サイオンと魔術とを融合させた力を使うことができたと聞いています。
僕も一応指導者ですから、神聖文字、精霊文字は知っていますが、お守り程度にしか使えません。」
…ジョミーのことを侮っていたかもしれない…。
ふと、そう思った。
お守り程度であっても、普通そんなものは知らないだろう。それに今話に出てきた神聖文字とは一体どんなものなのだろう…?
この様子では、まだまだジョミーのことで知らないことがありそうな気がしてきた。
そう思って彼を見つめていると、それで、とフィシスがためらいがちに声をかけてきた。
「あなたの身体のことですが、お医者様を呼んだほうがいいのではないですか?
風邪は万病の元、と言いますから、きちんと治しておいたほうがよいと思いますけど。」
「そうだね。そのほうがいいよ、ブルー。」
心配そうなフィシスの言葉に、ジョミーまで同意してそう言うのに悪い気はしたが、医者を呼ぶことには首を振った。
「必要ない。」
「でも…。」
「寝ていれば治るし、さっき薬も飲んだ。」
「いや、それでも…。」
「これ以上熱が上がるようなら、考える。」
頑として聞き入れようとしない様子に、ジョミーもフィシスもため息をついた。
「…分かりました。
じゃあ、ひどくなるようなら問答無用でドクターに来てもらいますからね。」
そう言われるのには黙ってうなずいた。
おそらく、無理をしない限りこのまま熱は引いていくだろうと思う。それを、医者を呼んで診察して薬を処方してなどと、大仰なことをする必要もない。
「そうですか…。
では、お大事にしてくださいね。また来ますから。」
フィシスが心残りな様子でそう言うのには気が咎めたので、礼だけは言っておいた。
「いいえ。ではごゆっくり。」
そう言って出て行くフィシスの姿を見送ったジョミーが、じゃあ果物でも持ってきますと立ち上がるのに慌てた。
君はどうしてこの部屋にじっとしていないんだ…?
「いい、食欲がない…!」
「じゃありんごでもすり下ろしてもらって…」
「いらない!」
「何か口に入れないと、治るものも治りませんよ?」
「後でいい!」
ジョミーは仕方ないなとつぶやきながら、腰を下ろそうとして。
「あ、アイスクリームは?甘いし冷たいし、熱っぽい身体には気持ちいいと思いますよ!」
いいことを思いついたかのように、笑顔を浮かべてまた立ち上がる。
「だから、いらないと…。」
しかし。
そういいかけたときには、ジョミーはさっさと廊下に出てしまっていて、静止の言葉も届かなかった。
そんなことよりも、君にここにいてほしいのに。
君と話をして、君のことがもっとよく知りたいというのに。
何かと自分のことを気遣ってくれるのはいいけれど、これでは落ち着いて話ができない。結婚前は自分のことで手一杯だったせいか、ジョミーのことをまったく分かっていない自分自身に気がついて、焦ってしまう。
「君は、僕のことを分かってくれているのに…。」
そうつぶやくと、余計に落ち込んだ。
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あれれ?通常営業のはずが、こっちが先にアップとは…。ゴメンナサイです。しかし、普通結婚前にお互いを知る努力、するよね…? |
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