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   「あー、やっぱりここはあったかい。」北の国がよほど寒かったらしく、ジョミーは飛行船から降りるなりほっとしたようにまわりを見渡す。
 色鮮やかで豊かな自然を見ていると、確かに北の国の黒っぽい色彩が寒々しく思えてくる。尤も、向こうに住んでいる人たちはそんなことは感じないだろうけれど。
 そう思いつつ、同じように飛行船から降りようとしたとき。ぐらり、と足元が揺れるような感覚に襲われた。
 「?…どうかしましたか?」
 めまいがして、つい座り込んでしまう。
 …一体どうしたんだろう?
 「いや、大丈夫…。」
 そう言って立ち上がろうとしたが、身体が言うことをきいてくれない。ジョミーは不思議そうな顔をしながら、歩み寄ってきて。
 「どうしたんですか?立ちくらみ…?」
 そう言いながら、額に手を当ててくる。ジョミーの手がひんやりしていて気持ちがよかった。
 「ブルー、あなた熱があるじゃないですか!一体いつから…?」
 …熱…?
 そう言われてぼんやり考えてみる。
 言われてみれば…。さっきから寒気はしていたが、今熱があると言われて気がついたくらいなんだから、いつから発熱していたかなんて…。
 そんな風に思いをめぐらせていたら、ひょいとジョミーに抱きかかえられて驚いた。
 「ジョミー…!?」
 「北の国は寒かったですし、あなたは式の準備やら何やらと忙しかったんですから、疲れが出たんでしょうね。
 とにかく、安静が一番です。」
 そう微笑みながら館に向かって歩いていく。
 途中、館の人間がこちらを見て何事か囁きあっていたが、やはり疲れていたのだろう。気にはなったが、身体がだるくて自分で歩く気にならなかった。
 「今薬を持ってきますから、待っていてくださいね。」ベッドに寝かせられてそう言われるのに、首を振った。
 「…いらない。」
 「そんなわけにはいきません!あなたにもしものことがあったら、僕はどうすればいいんですか!」
 …何を大げさな。
 発熱くらいで僕がどうにかなると君は本気で思っているんだろうか?
 「君の言うとおり…、多分疲れが出たんだろう。だから休んでいれば治る。」
 「それでも!薬くらい飲んでください!」
 そう言って止める間もなく、さっさと部屋から出て行く君を見送って、はあ、とため息をついた。
 …君に、そばにいてほしかっただけなのに…。
 久しぶりに戻った館はまったく変わっていないが、部屋が違う。確かに、『新婚なんですから、指導者執務室から寝室は移りますよ』とジョミーに言われていたが、まったく違う部屋に移るとは思わなかった。
 そう考えながら部屋を見渡す。
 やはり淡い色調で統一された内装で、調度品もつい最近まで使っていた客間と配置的にもあまり変わりがない。
 と、ふと目に留まったものがあった。
 本棚に置かれた一冊の本。しかも、一冊しか置いていないから余計に目立つ。
 つくづく自分は本の虫だなと思いつつ、だるい身体をだまして本棚に近づいた。厳かな布張りの表紙に、何の本だろうとページをめくって。
 手が止まった。
 まったく見たこともない言語が並んでいる。しかも、これは印刷されたものじゃなく、誰かの直筆だ。
 「あ、ブルー、大人しく寝てなきゃダメじゃないですか!」
 ドアが開くと同時に、ジョミーの声が聞こえた。振り返れば戸口にむっとした表情の君がいるのが見えた。
 「もう。熱が高いのに、なんで起き上がっているんですか!」
 そう言いながらこちらに来て、また抱き上げられてしまった。それと同時に、ごとんと重そうな音を立てて本が落ちる。
 「…あれ?」
 落ちた本を見てジョミーは首を傾げた。
 「何の本?」
 言いながら僕を抱いたまま本を拾う。器用なものだと密かに感心した。
 「分からない。」
 そう返すと、へえ珍しい、と笑う。ベッドサイドのテーブルに本を置くと、ジョミーは自分もベッドに座った。
 「とにかく、薬が先です。
 はい、口を開けて?」
 「…ジョミー。」
 抱いたまま薬を飲ませようとする君に呆れ返ってしまう。
 「自分で飲める。」
 子ども扱いもいいところだ。
 「いいじゃないですか、新婚なんですから。」
 「新婚でも何でも、薬くらい自分で飲める。」
 変な理屈をつけるジョミーから強引に薬を受け取る。粉末状の薬らしい。
 「…ああ残念。あーんしてってやってみたかったのに。」
 あながち冗談でもなさそうなジョミーの表情に、さらに唖然とする。
 一体いくつだ、君は…。しかも…、やっぱり抱いたままなのか…?
 「もっと甘えてくれてもいいのに…。」
 …君に甘えることに慣れてしまったら、一人でいるのが物足りなくなる。
 そう思ったが口には出さなかった。
 その代わり、さっさと飲んでしまおうと思って、薬を口に含む。案の定、苦い味が広がるのに、眉をひそめたとき。
 「はい、どうぞ。」
 絶妙のタイミングで水を渡してくれるのに、ちょうどのども渇いていたこともあって一気に飲み干した。
 「もういいんですか?水差しも持ってきていますから。」
 粗っぽく見えてジョミーは気が利く。その優しさに感謝しつつも、申し訳ないという思いが強くなる。
 僕は君に迷惑をかける一方のような気がしてきた。
 「すまない。」
 「え…?何ですか?」
 突然の謝罪に、ジョミーは首を傾げた。
 「…北の国から帰った途端、熱を出して。君の妻といっても、あまり役に立っていな…。」
 「ブルー!」
 妻失格だ、と続けようとしたとき。怒りを含んだ声が謝罪の言葉を遮った。
 「誰だって体調を崩すときもあるでしょう?増してやあなたは結婚式前から随分無理をしてきたんですから!
 病気のときくらいは気を遣わず休んでいてください!」
 怒りの表情のままそう言われて、初めて会ったころのことを思い出した。あの屋敷で魔物から襲われそうになったところを助けられたとき。あのときも君に怒られたっけ。
 「あなたと僕の間でそんなことを言うのはやめましょう。」
 夫婦なんですから、と微笑みながら言われるのに。
 小さくうなずいてから、視線を泳がせた。いまさらだが、照れくさいような気がしたからだったが。
 そのさまよわせた視線の先に、先ほどジョミーが拾ってきた本が置いてあった。どこの言葉かすら分からない言語で記された本。
 ジョミーもそれに気がついて、そういえば、と本を手に取る。
 「あなたが、何の本か分からないなんて、珍しいんじゃないですか?」
 そうからかうように笑う。
 「見たことのない言語だ。」
 「…?」
 不審に思ったらしく、ジョミーは眉を寄せながら本を開く。
 「ああ、これは…。」
 納得したようにうなずく姿に、こちらのほうがびっくりした。決して馬鹿にしているわけではないが、ジョミーにこんな言語が読めるのかと驚いたからだ。
 「これは俗に言う魔法語ですよ。」
 …魔法語…?
 耳慣れぬ言葉に首を傾げたが、もの珍しそうにページをめくるジョミーこそ意外な気がして、その様子をまじまじと見つめてしまう。
 「へえ、これはシンが書き残した本だ。」
 …シン…?
 懐かしそうな雰囲気と、『書き残した』という言葉に、シンが故人であることは推測できるが…。
 昔に思いを馳せているだろうジョミーの邪魔をするのも悪い気がして。シンとは誰なのか尋ねるタイミングがよく分からず、結局ページをめくるジョミーを見守るしかなかったのだった。
 
 
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        | また始まってしまいました!一部ほど長くならないようにいたしますが、どうかよろしくお付き合いをお願いします〜。 |   |