「やはり…、無理だったようですね。」
フィシスがつぶやくのを、どこか呆然とした感覚の中聞いた。
理論上の予測と、実践の結果が同じになるとは限らない。それは承知していた。何しろ今まで解毒の方法がないと言われたものなのだから。
投与した解毒剤には、予想した効果はまったく得られなかった。このまま生命活動を開始すれば、即座に死に至るだろう。
外を見れば日はすでに高く、もうとっくに時間切れだと教えてくれて、暗澹たる思いにとらわれる。
ジョミーはと見ると、昨日とまったく変わりなく、静かな表情で眠っている。今は完全に意識を心の底に潜らせてしまっているのか、まったく反応がない。結果が失敗に終わったと聞いても、おそらく彼のことだ、いつもの微笑みを浮かべてくれるだろう。
ありがとうございました。
昨日から眠らずに動いていて疲れたでしょう?
今晩はゆっくり休んでくださいね。
そんな言葉をかけて、笑顔のまま別れを告げるだろう。それも、何の未練もなしに。
一度は覚悟したはずだったのに…。
こうしてジョミーの安らかな顔を見ていると、なかなか思い切れない自分を自覚してしまう。手を伸ばして頬に触れるとやはり氷のようだ。
…戻って。
失敗に終わった場合、潔く諦めるという約束なのに、ついそんなことを考えてしまう。
目を閉じれば、笑顔の君が思い浮かぶ。くるくるとよく表情を変えるため、怒った顔や困った顔、照れたような顔と記憶にはたくさんの表情があるのに。でも、君を思うときは必ず笑顔なのだから不思議だ。
しかし、もう君には会えない。声を聞くことも…。
そう考えた途端、彼の死を納得している自分とは違う自分が訴えかける。
いやだ。
ジョミーの声が聞きたい。
ジョミーの腕を感じたい。
ジョミーに、抱きしめられたい…!
叶わぬ夢だと。彼の死を受け入れざるを得ないという意識がその声を抑えようとする。
「ブルー!?」
そのとき、唐突にフィシスの驚きの声が響いた。
それにはっと目を開くと、ジョミーに触れている部分が仄かに発光しているのが分かった。
…これは…、一体、何…?
だが、この事態は自分でも何なのか説明ができない。
「やめて、このままでは…!」
ジョミーの仮死が解けてしまう、と続けられるのに、何のことなのか分からず呆気にとられる。触れている手を離しはしたが、暖かな光は徐々にジョミーの全身を覆っていく。意識して下げられた体温のため、生命力を失っていた全身の組織が息づくのが分かった。
二人の見ている前で、ぴくり、とジョミーの指が動く。
次には、まぶたが震え。ゆっくりと翡翠の輝きを持つ瞳が現れる。それは魔物のものでは決してなく。
「…ブルー?」
数回の瞬きの後、ジョミーは笑顔を浮かべてこちらを見る。
「ジョミー、大丈夫なのですか!?」
フィシスが駆け寄ってくるのに、ジョミーはゆっくりと起き上がった。動作は機敏とは言いがたいが、特に問題はなさそうだ。
「うん、なんともない。ちょっと手足が痺れている感じはするけど、大丈夫。」
言いながら、両手を振って試してからこちらを見る。
「ありがとうございます。
あなたが諦めないでいてくれたおかげです。」
そう、改めて礼を言われるのに戸惑う。
そうじゃないはずだ、解毒剤は効かなかったはずだから…。
「…そうですわね、結果的にはブルーのおかげだと思います。」
フィシスがためらいがちに言うのに何かを感じ取ったらしく、ジョミーは首を傾げる。
「…何か、あったんですか…?
僕は姿を消してからずっと眠っていたので、何があったのかはよく分からないんですけど…。」
思案気にそう言いながらも、それでも次にはにっこりと笑う。
「でも、あなたが助けてくれたことには違いないんですよね。またこうしてあなたと会えて嬉しい…。
って、え…?」
と、ジョミーが慌てたように言葉を止めた。
急に視界が曇って、前がよく見えなくなる。それでも、ついさっきまで笑っていた君の顔が驚きの表情に変わったのは分かった。最初は何をそんなにびっくりしているのかと思い、次には突然自分の頬を伝う何かを感じて、不思議に思って指で触れてみる。
…涙…?
指を伝い、さらに足元に滴り落ちる温かいものに、今度はこちらが呆然とする。
…だって。
ぽたぽたと落ちる涙を見ながらぼんやり考える。
だって、物心ついてからというもの、泣いたことなどない。かつて何を言われようが、どう扱われようが、涙など出てこなかったというのに。
君が死んだと聞かされたときでさえ…、泣けなかった。
それなのに…。
「ブルー。」
いつの間に祭壇から降りたのか、ジョミーが身をかがめてこちらをのぞきこんでいた。困ったような笑みを浮かべてなだめるように言う。
「お願いだから、泣かないで。
あなたにそんな風に泣かれたら、僕はどうしていいか分からない。」
君のせいじゃない、と言おうとして。でも言えなかった。今声を出したら、みっともなく泣き声まであげてしまいそうで。
ジョミーはさらに困った様子で、今度はそっと身体を抱き寄せる。
冷たいと思っていた腕は暖かくて、止まっていたはずの心臓はしっかりと鼓動を刻んでいる。
「もう…、終わったんです。あなたが悲しむようなことは、何もないんですから。」
ジョミーは自分が息を吹き返したことを、終わったと表現したのだろうけど。
こちらの心の中では別の思いが交錯していた。
ジョミーに会うまでずっと、辛くて。
怖くて。
悲しくて。
悔しくて。
そして…、寂しかった。
その感情が、堰を切ったかのように溢れてくるのを抑えられない。ジョミーの服が涙で汚れるとか、今生き返ったばかりなのだから、無理をさせてはいけないとか。そんな思いが胸を掠めたが、それ以上は何も考えられかった。ジョミーがここにいて、抱きとめてくれている。だから…。
すがって泣いてもいいのだと。
そう、言い訳をした。
「…声、殺さなくてもいいんですよ?」
上からジョミーの声が降ってくる。
「どうせ泣くのなら、思いっきり泣いてください。フィシスも出て行ってしまいましたから。」
僕以外は誰も聞いてません、と。
そんな言葉をかけられたら、もう我慢ができなかった。
まるで子供のようだと他人事のように思いながらも。
生まれて初めて、声を上げて泣いた。
ようやく終わったのだと。
君の胸のぬくもりに包まれながら、安らかな気持ちで。
27へ
ついに復活です、ジョミー。ああ長かった…。それで、ようやくゴールも見えた気が…。 |
|