あれからどうやって部屋に戻ってきたのかさっぱり覚えていない。多分、泣き疲れて眠ってしまったのだと思うが、それもよく分からない。
気がついたときには自分の部屋で、ジョミーがずっと抱いていてくれていた。
「気分はどうですか?」
そう、やさしく声をかけてくる。
よかった、と思う。このぬくもりを失うところだった。ただ…、なぜジョミーが助かったのかは分からないけれど。
「もっと眠っていてもいいんですよ?疲れたでしょう?」
二人の将来の話は後にしましょうと言われるのに、妻になることを承諾していたのだったと思い出して慌てて居住いを正した。
これだけは言っておかなければならない。
「ジョミー、そのことだが。」
「何ですか?」
笑顔のままこちらを伺う姿に、言いだすのを躊躇しそうになるが。
「君の妻になることは…、もう承諾してしまったことだから仕方ないと思うが。」
思い切ってそう切り出した。
仕方ないんですか?と苦笑しながらも、それでも微笑みながら次を促される。
「…僕は自分で自分が何者なのか分からない。そのことで君に迷惑がかかっては…。」
「あなたはあなたですよ。」
ジョミーはそう言いながら、にっこりと笑った。全く理由になっていなくて、しかし妙に自信があるのはなぜだろう。
「確かになぜ僕がこうして生きていられるのかは分かりませんし、それがあなたの理屈では考えられない力のおかげだということはよく理解しています。」
だからこそ、とジョミーは続ける。
「あなたの存在は、僕やまわりに迷惑をかけるようなものじゃないですよ。」
そうじゃない。そんなことは自分でさえ答えられないのに…。
「誰が…、そんなことを証明できる?」
「ブルー…?」
「君が僕のせいで、もう死に至るような怪我を負わないと、誰が保障できる…?」
あんな思いはもうたくさんだ。
身代わりになることができるのならば、いくらでもそうしただろうが、そんなことをしてもジョミーは戻らない。頭で納得していたのに感情がついていかず、まるで駄々をこねるがごとく恥も外聞もなく取りすがって。
あのときに決められたこと言えば、君の最期に当たっての自分の身の振り方だけ。しかも…、指導者の妻としては誉められたようなものでは決してなかったはずだ。
「…そうですね、僕も一度は約束を破っていますしね。」
【グランド・マザー】の言葉を受けた約束のことを言っているのだろう。だが、ジョミーはまっすぐこちらを向いて、じっと見つめてきた。
「もう…、僕の言うことも信じられませんか…?」
「ジョミー…。」
「あなたは【グランド・マザー】が言うような魔性ではありません。それは断言できます。
正直、あなたを納得させられるだけの理由というのは思いつかないのですが…、あなたは僕を助けてくれましたし。」
そう言って、今度は正面から見つめてくる。真剣な目の色に、どきりとした。
「僕がそう思っているだけじゃ、ダメですか…?
僕にとっては、あなたこそが天使だ。あなたが何者かという答えが必要だというのなら、僕が答えましょう。」
あなたは僕の天使だと。天から遣わされた僕の大切な人であり、命の恩人であると。
「どうか僕の傍にいてください。あなたと一緒にいられれば、何でもできるような気がする。だから。」
これから先、ずっとあなたともに…。
ジョミーの答えに納得したわけではないけれど、必要とされることに心地よい感覚を覚えて静かにうなずいた。
「よかった!」
そんなジョミーの喜色満面の顔を見ているのが嬉しくて、これでよかったのかという誰何する自分を…、封じ込めた。
その翌日の午後のことだった。
「結婚式の段取りについてですが。」
フィシスが嬉しそうに言うのに、不思議な気分になる。わざわざそんなことをしなくてもいいと思うのだが。
「結婚式…?」
ジョミーも変な顔をして思いをめぐらせていたようだが、やがてこちらに目を向ける。
「あなたは、どうしたいですか?」
やりたい?やりたくない?と訊かれるのに、返答に困る。正直、考えていなかったのだから。だから。
「…別にどうでも。」
そう答えるしかない。そもそも結婚というものには、法律的な意味合いのほかに何も見出せないことでもあるし。それに式がついたところでどうなんだろうと。
「僕もどっちでもいい。」
大体、いまさらそんなものしなくっても…、とジョミーがつぶやくのに、フィシスは怒ったように口を尖らせた。こんな子供っぽい仕草は彼女にしては珍しい。
「まったく自覚のない方々だこと。
いいですか?結婚式というのは、親族や親しい友人を前に、お互いの愛を神に誓い合うという意味だけでなく、お互いの相手を親族や友人に紹介する意味もあります。それが大々的であれば、むしろお互いを拘束するとみんなに知らしめる意味を持ち…。」
「やりましょう。」
突然手のひらを返したようなジョミーに、二の句がつなげない。
…つい1、2分前、どちらでもいいと言っていたような…。
「同意していただけて嬉しいですわ、ジョミー。近いうちがいいと思いますが…。」
「それは任せるよ。」
「では、ウェディングドレスも急いで仕上げなくていけませんね。」
「え…。」
ジョミーが絶句する様子を横目で眺めながら、こちらの頭の中も疑問符でいっぱいになる。
「…ウェディングドレス…?」
そうつぶやくと、フィシスはこちらを向いて、そうですよ、と微笑んだ。
「結婚式の主役は花嫁さんですもの。」
…確かに妻にはなるといったが、花嫁になれるはずはない。この身はれっきとした男なのだし、何よりも似合わないだろう。
「でも僕が花嫁というのは…。」
「あなたのウェディングドレス姿、きっと綺麗でしょうね。」
急にうっとりとしたジョミーの声に遮られて、慌てて振り返る。
君まで何を言い出すつもりだ?
「そうですわね、よく似合うと思いますわ。」
「白だよね?」
「それはもちろんですわ。
でも色ドレスなら、何が似合うかしら…?」
「ブルーなら何でも似合うと思うけど、やっぱり白がいいかな。」
「そうですわね。
じゃあ、イメージとしてしとやかな感じにするのか、華美なものにするのかでもまた違ってきますわ。」
「うーん、それは悩むかも。」
当人そっちのけで盛り上がる二人を前に、いつどこに突っ込めばいいのかタイミングを逸してしまう。
「欲を言えば、どっちも見たいなあ。できれば白以外のドレスも。」
遠くを見つめてうっとりしているジョミーに、薄ら寒いものを感じてしまう。
…一体君はどんなものを想像しているのだか…。いや、それ以前に、着るのは他ならぬ僕なのであって、女性らしい曲線美とかいうものとは無縁のものなのだが…?
「じゃ、そちらも私に任せていただいていいかしら…?
さすがに何着も着ていると、ブルーが疲れてしまいます。そうなるとお気の毒ですわ。」
気の毒なのはそっちなのか!?
「それもそうだよね。
じゃ、フィシスにお任せでいい?」
そんな風に、目を輝かせて振り返るのだから、意見を封じられそうな気がして焦る。でも、こればかりは言っておかなければいけないだろう。
「みっともないだろう。」
誰が?とジョミーが言うのに、ついむっとしてしまう。
話の流れから当然分かるだろうに。
「君はここの指導者だ。それなのに、そんな見苦しいものを君の妻だと紹介するつもりなのか?そんな恥ずかしいことは僕だってお断りだ。」
大体君が恥をかくだろう、と言うと、今度はため息をついてこちらを見る。そのまなざしにどきっとした。
「…残念です。きっとすごく綺麗だと思うのに。」
そう、悲しそうに言われるのに、少し良心が咎める。
「でも…、あなたが嫌というのなら無理にとは言いません。あなたは僕の妻には変わりないんですから、結婚式をしようとするまいと、なんら問題があるわけじゃないし。」
寂しげに微笑みながらそう言われるのに困ってしまう。
強引に進められることは想像していたのだが、こんな風に残念そうに、それでもこちらの意思を尊重して引き下がられることは想定していなかった。
「…そう、ですわね。本人の意向を無視してまで形式にこだわるのは本末転倒ですもの。」
フィシスにまでそうに言われて、どうしようと思ってしまう。
そもそも、僕がウェディングドレスを着たい、着たくないではなく、そんな似合わないものを着た上に指導者である君の妻ですと紹介するなど、恥以外の何物でもないと思うからこそ言っているのであって…。
「僕にはもったいないくらいの美しいあなたですから、妻になってくれると言ってくれただけでもよしとしましょうか。」
…なぜそんな卑屈な話になるんだろう?そもそも、例えが逆じゃないのか…?
「確かにそのとおりですわ。これ以上望んではいけませんわね。」
二人とも意気消沈して黙り込んでしまった。
そうじゃなくて…、そんな意味じゃないのに…。
「…別に僕はウェディングドレスが嫌だと言ってるわけじゃなくて…。」
「じゃあ、いいんですか?」
急にジョミーが輝かんばかりの笑みを浮かべてこちらを覗きこむ。その変りように呆気にとられてしまう。
「嬉しいです、一度あなたのドレス姿見てみたいと思っていたので!」
そのあまりの素早い変りように、頭の中が疑問符だらけになってしまう。
どうしてそんなに切り替えが早いのだろう…?
「では、早速採寸に取り掛かりましょうか。」
今度はフィシスがにっこり笑ってブルーの手を握る。・
…自分のウェディングドレス姿など、正直あまりいい出来栄えになるとは思わないが、そこまで喜んでくれるのなら…、まあいいかと。
そう、現実逃避気味に考えていた。
ジョミーが内心で押すだけが能じゃない!などとガッツポーズを取っていたことや、フィシスがジョミーGJ!などと心の中で手を叩いていたことなど知る由もなしに。
やっぱりやめておけばよかった…。
鏡に映る姿を見て、真剣にそう思った。
フィシスが選んでくれたドレスは、純白のプリンセスラインドレスと呼ばれるもので、曰く華奢な人向け、だそうだ。スカート部分がふわっと広がるタイプで、全体的にふんわりと見せる効果があるらしい。
ヴェールで隠せば、少しはマシになるだろうか…。
「…やっぱり綺麗ですね。」
ふと声の方向を見れば、ジョミーが黄色のバラの花束を抱えて戸口で感心したようにこちらを眺めていた。
「…本気で言っているのか?」
「もちろんですよ。」
そういうジョミーは、いつもの姿に少しだけ飾りをつけただけで、平生とほとんど何も変わっていないように見える。
『僕はこれの正装になりますけど、やっぱり主役は花嫁ですから。』
言いながら笑っていたのだが、こちらは見苦しい姿をしている上に動きづらいのにずるい、とつい思ってしまう。
「僕にはそう思えない。」
「一般の美的感覚は、あなたのものとは違いますから。」
反論をあっさりとかわしながら、ジョミーは部屋の中に進んで自分の抱えている花束とブルーとを見比べている。
「…やっぱり合わないような気がする。」
何の話だろう…?
困ったように花束を見つめるジョミーに、改めてバラの花束を見やるが、普通の黄色いバラが30本程度束ねられた、普通の花束である。
「これはスウェナが贈ってきた花束なんですけど。」
こちらが疑問に思っているのが分かったのだろう、困ったように笑いながら説明してきた。
「彼女から結婚式の欠席のお詫びとこの花束が届きまして、お詫び文の中にこれをあなたに渡してほしいとはあったんですが。」
白を基調としたあなたのドレスには似合わない気がしますからね、と言いながらその辺のテーブルの上に花束を置いてしまう。
「…それは似合わないでしょうね。」
突然、もう一人の声が混じる。見ると、フィシスが戸口で呆れたように佇んでいた。
「フィシス…。」
彼女にしては珍しく不機嫌そうな様子が伺える。
「…ジョミー、あなたがダールトンさんの結婚式に赤バラの花束を贈ったと聞いたときから、一度訊いてみたいと思ってました。
あなたはバラの花言葉と言うものをご存知ですか?」
「花には意味があるって奴?聞いたことはあるけど、あまりよく知らない。」
思ったとおりのジョミーの答えである。むしろ、ジョミーが花の種類や花言葉に詳しかったりしたら、イメージが狂う。
そう言われて、ふとバラは花の色どころかつぼみや葉といったものにも意味があるということを思い出す。確か、赤は『愛情』、黄色は…。
「そうですか。このバラの花言葉も知らないのですね?」
「うん、それにはなんて花言葉があるの?」
「…それは知らないほうがいいと思います。
では、この花は私がもらっていってもいいでしょうか?」
「もちろん。」
…『嫉妬』…。
別にいいですよね?と言われるのに、機械的にうなずく。では、自分の部屋に活けてきます、とフィシスは花束を抱え、部屋を出て行った。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか。」
そう、微笑みながらジョミーから手を差し伸べられるのに、その手を取ることを一瞬躊躇する。
「…彼女は君に未練があるらしい。」
ジョミーは少し目を見開いた後、くすっと笑った。
「…それがあの花の花言葉なんですか?」
偶然でしょうと笑いながら、今度は手を伸ばしてひょいと細い身体を抱き上げてしまう。
「ジョミ…っ!」
「あなたがぐずぐずしているからです。」
「だからってこんな強引に…!!」
いわゆるお姫様だっこされて、こんなみっともない格好をしている上にさらに恥の上塗りだとばかりに抗議しようとして、ジョミーを見上げる。
「これ以上四の五の言う気なら、キスでその口を塞いでしまってもいいんですよ…?」
微笑みながら言う、あながち脅しでもなさそうなジョミーの低い声に、それ以上の不満は控えざるを得なかった。この状態で口付けなどされて、誰かに見られたらと思うとめまいがする。
「あなたは結婚式のことだけ考えてください。
それに、例えスウェナがどう思っていようと、僕にはあなたしかいませんから。」
そう気負いもなしに言われた言葉に、今度は完全に反論を封じられる。
こうやって自分がジョミーの傍にいるのに相応しいとは未だに思えないけれど。…それでも。一緒に生きていたいと思う。
そう考えながら、ジョミーに胸にこつんと頭を預けた。
これから先ずっと、天使の君とともに…。
おわり
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました〜♪しかし、本になるには番外の残りがまだ…。(汗) |
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