『倒れたでしょう?もう大丈夫なんですか?』
後ろにある気配が、笑ったような気がした。
「…見ていたのか…。」
『いえ、多分そうだろうと思っただけです。』
おそらく、自分を心配して姿を現してくれただろうジョミーは半分透けていて、そのことが、彼が遠い存在になってしまったのだと改めて認識させてくれる。振り返れば、いつもの微笑を浮かべているだろうが、そんな彼を見る気にもなれない。
両肩から腕を回され、抱かれている格好にはなっているが、その腕に触れることはできない。ほのかに温かいとは思うが、それだけだ。重さだって感じない。
『すみません、あんなに遠くに飛ばす気はなかったんですが…。予定した着地地点を大きく外れました。館からは離れようとは思っていましたが。』
その意図するところが分かってしまって、ひどく腹が立つ。
「…僕に君が死ぬ場面を見せたくなかったからか。」
そう言えば、ジョミーは押し黙った。
「君がそうすることで、僕が喜ぶとでも思っていたのか。
君の死ぬ瞬間を見ることがなくてよかったと、僕が君に感謝するとでも思ったのか。」
ジョミーに対する言葉が詰問調になってしまうのを、止められない。止める気もない。
『…いいえ。
僕が、あなたに僕の最期を見ていてほしくなかっただけです。』
僕のわがままです、あなたに礼を言われたいと思ってやったことではありません、とそんなことまでご丁寧に言い添えてくれる。そんな礼儀正しささえ、今は腹立たしい…。
『もしあなたに悲しそうな顔をされてしまったら、僕はどうしていいのか分からなくなるから。もう、あなたを慰めることも、抱きしめることもできないから…。』
その言葉をジョミー自身から聞くのは…、辛かった。
『僕はもうあなたの未来に関与することは、できません。』
その言葉は残酷な響きをもって心に突き刺さった。
未だに何を夢見ているのだろうと思う。ジョミーはこうしてここにいるのだから、もっと違うことを聞けるのではないかと思った自分の浅はかさに情けなくなる。
「…求婚の返事を、まだしていなかった。」
するりと出たその言葉に、今度は嗤いたくなる。
…まだあきらめていないか。彼の遺体を目の前にして、何を期待しているのだろう。
再びジョミーは沈黙した。
「受ける、と言っても君は戻ってこないだろうな。」
そう言っても君は黙ったままだ。
実際彼が生きていたら、承諾の言葉など出てこなかっただろう。本来ならこんな事態になってから言うべき言葉ではないということは承知している。それに、戻ってこないのではなく、戻ることができないと言うことも…、分かっている。
それでも…、言ってみたら何かが変わるのではないだろうかと、そんなかすかな希望が、捨てられない。
『…惜しいことをしたとは思いますが、その言葉は他の誰かのために取っておいてください。』
それなのに。
その言葉にかっとなった。
惜しいことをした…?その一言で済んでしまうようなものなのか…?
それに…、君は求婚の承諾の返事すらいらないと言うのか?あまつさえ、それを他の誰かに言えと言うのか?君は、それで平気なのか…!
「その程度か…!」
人を混乱させて、散々振り回して!
椅子から立ち上がって振り返れば、ジョミーは思ったとおり呆気にとられたような表情でこちらを見ていた。透けてさえいなければ、普段の彼そのものなのに。
「君が僕を好きだと言っていたあの言葉は偽りか…!」
殉じてほしいとか、生涯誰も見るなとか…、そういう言葉も、出てこないのか?そんな思いすら、ないのか…?
「誰にも渡したくないと、誰のものにもなるなと、それさえ言ってくれないのか…?」
そう、言ってくれたほうがどのくらい救われるか…!
それとも…、自分はもう死ぬからそんなことはどうでもいいのか?
『言えません。』
ジョミーは軽く頭を振って、悲しそうに微笑む。
『あなたが幸せになる権利を奪うなんて、僕にはできません。あなたを支えようにも守ろうにも、僕はこの先あなたと一緒にいることはできないのだから。』
幸せになど…、君がいなくなった時点でそんな淡い期待など、夢となってしまったと言うのに。
『僕のことは忘れてください、なるべく早く。
あなたなら大丈夫。僕が好きになった人は、思い込みが激しくて勘違いは多いけれど、強い意志と純粋な心の持ち主です。』
「…君を忘れることなどできるはずがない。」
無責任だと苦く思った。
これだけ強烈な印象の、金色の光を放つ君を、どうやって忘れろと言うのか。
『そう言ってくれるのは、とても嬉しいですよ。
でも、あなたの将来のためには…。』
「君を喜ばせるために言ったんじゃない。」
微笑む君が、これほど憎らしく思える日がこようとは、想像すらしていなかった。
「君でなければ意味がない、欲しいのは君だけだ。
君以外は…、いらない。」
今更何を言っているのだろうと自分でも思う。でも…、一度堰を切った思いは止めることができない。
ジョミーはというと、複雑な表情でこちらを眺めていたが、やがてため息をついて困ったように口を開いた。
『…あなたはもっと聞き分けがよくて、賢い人かと思っていましたが。』
「そう思うのは君の勝手だ。」
大体、今まで聞き分けがよくて結果がよかったことなど一度もない。
「…どうしても戻れないと言うのなら、これ以上無理は言わない。
その代わり、一緒に連れて行ってほしい。」
『できません…。』
…正義感の強い君なら、そう言うと思っていた。けれど…、それは君の本心か…?
「それなら、僕は自分で君を追うことになるだけだ。」
どちらにしろ、そうしようとは思っていた。自分が何者か分からない以上、ここにいては他に害が及ぶことも考えられるから。君の守っていたものを傷つけることはしたくない。
『…どうしてあなたはそんなに極端なんですか…!』
さすがに、ジョミーの顔に苛立ちの色が混じる。
『それに、あなたは僕を脅す気ですか…?
僕があなたを助けたのは、そんなことをさせるためじゃありません…!あなたに今までの分、幸せになってほしいから…。』
「頼んでない。」
誰がそんなことを頼んだ?この世界に自分一人だけ残して君に去ってくれなどと。
「それに、僕の幸せを勝手に決め付けないでくれ。」
しかも、『幸せになってほしい』?
僕の未来に関われないという君からは、絶対に言われたくない台詞だ。
『あの…、ですね。』
ほとほと困り果てたといった風情のジョミーが頭をかきながらため息をつく。
『あなたは思い込みが激しいから、今はまわりが見えなくなっているだけで、落ち着けばあなたを見守ってくれている人や、支えてくれる人が見えてきます。時間がすべて解決してくれますから…。』
「まわりが見えたから、それが何だ?」
時間が君を生かしてくれるとでもいうのか?
「言ったはずだ、君以外はいらないと。」
さすがに君は絶句して何も言えないようだけど。もう、勝手に怒って落ち込んでいればいいとさえ思ってしまう。
「君の言い分はよく分かった。だが、僕の未来を決め付けるのはやめてくれ。自分の身の振り方くらい、自分で考える。」
もっとも苦手なことだが、誰も決めてくれないのでは仕方ない。今の君に決められるのは、もっと癪だ。
『またそういう言い方をする…。
僕はあなたには幸せになってほしいと…!』
「僕の幸せは僕が決める。君に決めてもらわなくても結構だ。」
頑なな態度につくづく呆れたようで、ジョミーは軽く額を押さえる。
『…そりゃ、死なないと約束したのに、それを破って悪かったとは思いますが…。
僕は死んだ身なんですよ…?もっと安らかに逝かせてもらえませんか?せめて僕の心残りがないように、遺言を受けて強く生きると言ってもらえませんか…?』
「すまないが、僕は君の冥福さえ祈る気になれない。」
あっさりと言ってしまえば、はああっと再び重いため息をつく。これが生身なら、吐息さえ感じられるだろう。
『あなたの前に出てきたのが間違いの元のような気がしてきましたよ…。』
そんな情けないつぶやきにさえ、同情できない。
このとき、なぜこんなに冷たいことを言うことができたのか。透けていながらも、生前どおり話す本人を目の前にしてのためだと思うが、このときは、文句があるのなら生身で目の前に立てとさえ思っていた。
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