『やはり彼女は連れて行くことになりましたよ。』
夕食時。ジョミーはそう言って苦笑いしていた。
『こんなことは氷山の一角だから、この事件を大きく報じて注意を喚起するそうです。』
その出汁ですよ、僕は。
よくよく聞けば、かなりの被害が出ていて、その河川の湛える水は生活用水にかかわらず、利用できない日が続いているという。
後でことの詳細を聞いて、話の重大さに驚いた。
指導者の役に外れない程度だと、そう言っていたくせに。…君の、そんな重荷になるつもりなど…、なかったのに…。
『君は一個人のワガママと、多数の人間の生活と、どちらが大切なんだ…?』
それでよく指導者を名乗っていられると。
そんな風になじったはずなのに、ジョミーはというとにこにこして聞いていた。
『一時的な封印はしましたよ。明日までは保つでしょう。』
封印!?
澄まして言うジョミーに、びっくりする。
いつの間に封印などしたのか。魔物のコロニーができている場所は分からないが、ここから封印などできるものなのか…?
ジョミーのいう指導者の特殊能力とは、一体どのくらいのものなのだろう…?
『だから、自分を責めないでください。ワガママを言ってほしいとお願いしたのは僕なんですから。それを聞き入れたのも僕ですし。』
『責めてなど…。』
それにあのときジョミーが言って欲しかったのは、『早く帰れ』という言葉であって、『行くな』という言葉ではないはずだ。
それにしても。
…あのときは、どうしてあんなことを言ってしまったのか、自分でもよく分からない。ワガママを言って欲しいと気楽にいうジョミーに苛立って、困らせようと思ったのだろうとしか考え付かないが。
『それに、好きな人から側にいてと言われて、嬉しくないわけがないでしょう?』
その言葉には、さすがに唖然とした。
側にいてなどとは言っていない。どうしてそこまで拡大解釈ができる?
『行くなってことは、そういうことじゃないんですか?僕が出かけなければ、あなたの側にいることになりますし。
でも違うんですか?ふーん。』
訳知り顔で言うジョミーに、反論できない。反論したらしたで、また変に話を作られてしまいそうで、結局黙っているしかなかった。
『じゃあ、明日出かけるときにあなたからキスしてくれます?それでこの話は終わりにしましょう。』
みんなの前で、と続けられるのに呆気にとられる。
それでは、僕が君の求婚を承諾したように思われると抗議したら、『分かっちゃいました?』と悪びれずに言うものだから、呆れて開いた口がふさがらなかった。
口付けなどするつもりはなかったが。
それでも、自分のために出発が遅れたのだからと思い、見送りには出ることにした。
あまり外に出ないので、玄関先から見える絵に描いたような朝の光景自身がひどく新鮮に思える。
よく考えれば、ほんの半月前まではまったく外にさえ出なかったのだから、それも当然といえば当然だ。
「あー、グランパだ!」
館の外の庭では、2歳から5歳くらいの子供たちが遊んでいた。館の中に子供はいないはずだから、館の周りにある使用人宅の子供たちなのだろう。
赤毛の男の子が満面の笑顔で手を振っている。
グランパ…?18歳のジョミーはどう考えてもおじいちゃんには見えないが…。
「どこいくのー?」
「おしごとにきまってるじゃないか。グランパはし、し、し…。」
「しどうしゃだよ、ばかだなあ。」
「それそれ!」
子供たちはひとしきり騒いで、ジョミーの傍に駆け寄る。
それにしても。ジョミーは子供たちみんなから『グランパ』と呼ばれているらしい。ジョミーも特に訂正しないところを見ると、それがジョミーのあだ名なのか。
フィシスから、ジョミーは子供好きで、また子供に好かれる体質であると聞いていたが、それを目の当たりにするのは初めてだ。
「じゃあ、僕はお仕事に行ってくるけど、みんな喧嘩せずに仲良く遊ぶんだよ?」
「うん!」
「分かった!」
ジョミーの表情も、いつにも増して柔らかい。それを見ていると、つい疑問が湧いてしまう。
ジョミーはなぜ、子供も産めないような男を妻にと望むのだろう。子供好きなのに、夫婦の愛の結晶とも言うべき子供がいない生活など、彼に耐えられるのだろうか…?
もしジョミーが、子供がほしいと言い出したら?それだけはどう逆立ちしても無理だ。…もっとも、この身体が女性のものだったところで、食事もきちんと摂れないような貧弱な体格では、子を産めるかも疑わしい。
もしこんな面白くもない男に求婚したことを後悔しているのなら。それならそれで、はっきりと言ってくれればいい。でも。
…本当にそう言われたら。
僕はこれからどうすればいいんだろう…?
ひざを落として、子供たちの目線に合わせながら楽しそうに話をするジョミーの後姿にひどく困惑する。きっと、ジョミーなら良い父親になれるだろう。美人で活発で賢い妻に、かわいい子供。それが普通の男性が望む幸せのはずだ。
それなら…。それなら、ジョミーの背を押してやるのが一番いいことだ。
君は君の幸せのために、僕などに関わっていてはいけない。
そう声をかけようとして。
でも、言葉が出てこない。
金縛りにかかってしまったかのように、身体が動かない。そんな思いを抱きながら、子供たちと話すジョミーを見つめていて。
「おはよう、ジョミー!」
出し抜けに響いた、明るい声に呪縛が解ける。
つられて顔を上げると、すらりとした女性ジャーナリストが立っているのが目に入った。
「逃げようとしてたわけじゃ、ないわよね?」
「そんなわけないよ。」
ジョミーが笑ってそういうのに、今度は子供たちがむきになった。
「そーだよっ、グランパはつよいんだからな!」
「いつもあたしたちのこと、まもってくれるのよ!」
「まあ、勇ましい応援団ね。」
スウェナはその様子を微笑んで見ていたが、やがてジョミーに目を向けた。そして勝気に微笑む。
「私、狙った獲物は逃さないのよ。覚えておいてね。」
それは取材対象という意味なのか、それとも…。
「逃げる気なんかないって、さっき言ったよ。」
ジョミーはというと、子供たちの頭を撫でて宥めながら立ち上がり、スウェナに向き合う。こちらに背を向けているため、彼の表情は分からない。
「ねえジョミー、私飛行船で来たのよ。一緒に乗って行きましょうよ。」
スウェナの指し示す方向を見ると、大きな空を飛ぶ船がこちらに向かって近づいてくるのが見えた。
子供たちも驚いてその光景に見入っていた。あんな大きな空飛ぶ船を見るのは初めてなのだろう。かく言う自分も、書物では見たことはあったが、本当に空を飛んでいる姿は初めてだ。
ところが。
「自分で飛んだほうが速い。」
何の感慨もなさそうな、ジョミーの声に。
「え、ちょっとジョミー!?」
スウェナは慌てて彼を見やる。
ばさり。
ジョミーはその背に純白の翼を広げると、今度はこちらを振り向いてにっこりと微笑んだ。
「じゃあ行ってきますね、ブルー。
遅くなるかもしれませんが、ちゃんと帰ってきますから。」
「ジョミー…!」
そんなことまで言われてしまうと、ジョミーの負担になっているのではないかと気が気ではない。それを分かってか、ジョミーは微笑を深くする。
「大丈夫、無理はしませんから。」
羽ばたきひとつで空に舞い上がるジョミーの姿に、子供たちは再び歓声を上げる。やはり、飛行船よりも自分たちの指導者のほうに軍配が上がったらしい。
「ちょっと待って!もう何なのよ!
とにかく、私が行くまで手を出さないでよ!聞いてるの、ジョミー!?」
スウェナはひとしきり叫んでいたが、ジョミーの姿が見えなくなったところであきらめたらしい。彼女が息を整えていると、飛行船がゆっくりと降りてきた。ドアが開き、赤ら顔の男が顔を出してスウェナを伺う。
「姐さん、今飛んでったのってもしかして…。」
「そうよ、ここの指導者よ。」
苛立たしげにそれだけ言うと、今度はブルーに目を向ける。
「じゃ、ジョミーを借りるわね。
ほら、さっさと行くわよ。彼を見失わないで!」
ブルーの返事も聞かず、スウェナはさっさと飛行船に乗り込みながら赤ら顔の男に指示を出している。
「姐さん、そりゃ無理ですよ。」
「努力もしないうちに無理って言葉を吐かないでちょうだい!」
「この船じゃ、あんなスピードは出ませんって…。」
二人のやり取りは滑稽だったが、まったく笑う気になれなかった。
「ふーんだ、グランパに勝てるもんか!」
「そーだよ!くやしかったらおいついてみろよー。」
子供たちは子供たちで勝ち誇ってはやし立てている。
飛行船はゆったりと動き出したが、あれではジョミーに追いつけるわけがないと、素人目にも判断できたが。
だからといって、子供たちのように溜飲が下がるわけでもなく、早く到着してもスウェナを待っているだろうジョミーのことを考えると、穏やかな気分ではいられなかった。
…ここにいても仕方ない。
そう思いつつ、部屋に取って返した。歩きながら考えるのは、強引な彼女のこととジョミーを慕う子供たちのこと。
勝気な微笑み、強気な態度。ジョミーはそんなスウェナに対して屈したようには思えなかったが、かといってはねつけたわけでもない。
さらに、ジョミーの子供に対する暖かいまなざしを思い出して、ため息が出る。フィシスに対するものとも、自分に対するものとも違う、優しくて慈しみに溢れるその笑顔を思い出して落ち込んでしまう。
君の未来に僕がいると…、邪魔になるだけ、か。
そう考えると、ますます気分が塞いだ。
16へ
考えすぎのクセが出てきてます〜。どうしてここまで思い違いできるのか不思議ですが…。次回、これがとんでもない事件を引き起こすことに…。(楽しみ〜♪) |
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