フィシスが、ジョミーは一時たりとも机の前に座っていないと嘆いているだけあって、彼は一日のほとんどを外で過ごしている。今も指導者執務室はもぬけの殻だ。
魔物ににらみを利かせるために必要なこととはいえ、あまりにも極端だと思う。それでも、最近は帰りが早いらしい。
「よほど、あなたと食事をするのが嬉しいんですわね。」
フィシスはそう言って笑っていたけれど、こちらにしてみれば迷惑以外の何者でもない。
『にんじんが嫌いなんて、あなたは子供ですか。結構細かく刻んでありますよ。』
『その調子じゃ、ピーマンやトマトも嫌いというんでしょ?』
『…あなたの場合、食べられるものを数えたほうがよほど早いですね。』
『量を食べられないのなら、せめてバランスよく食べて欲しいんですけど。』
ジョミーの怪我がこんなに早く治るだなんて思ってもみなかったから、自分の食生活の改善は怪我が完治してからという条件をつけたのだというのに。
ジョミーと喧嘩をしたその夜中。
熱を冷ますために泳いでいたと言ったそのときは何とも思わなかったけれど、その後、彼は命にかかわるような傷を負ったはずなのに、大丈夫だったのかと慌てたものだ。
『もう傷口は塞がってますから大丈夫です。でも、ナイショにしておいてくださいよ?まだドクターには無理するなって言われているんですから。』
…やはり、身体のつくりが違うとしか思えない。丈夫にできている以前に、怪我の治癒能力が常人の数倍だ。
それよりも今日の夕食はどうやって誤魔化そうか。
指導者執務室で、本を選びながらぼんやりとそう考えていたとき。
ふと目の端に人影が映った。ここはオープンスペースだから、誰かが来たらそれが廊下であっても分かるようになっている。便利なのか不便なのかよく分からない。
首をめぐらせると、金髪の気の強そうな女性が、きょろきょろして立っていた。
初めて見る顔だ、と思っていると、彼女がこちらを向いた。
「こんにちは。」
挨拶しながらにっこりと笑う。そしてこちらが返事する前にまた周りを見渡した。
「ねえ、ジョミーはどこかしら?」
元々こちらの挨拶など期待していなかったらしい。
「外に出ている。」
「ええ、そうなの?おかしいわね、来るって知らせたはずなのに。」
彼女はそうつぶやきながら、眉を寄せて首を傾げる。
『今日も夕食までには帰ってきますから。』
そう言って出て行ったから、戻る時間はいつもどおりだと思っていたのだけど。
「まあ、ついさっき連絡を入れたばかりだから。
じゃあ、待たせてもらうわね。」
と、彼女は勝手に部屋の中に入って、ソファに座る。図々しいというか、物怖じしないというか。
それにしても、ついさっき…?多分、ジョミーは今移動中だろうから、どうやって連絡をつけたというのだろう。
「ああ、ごめんなさい。私はスウェナ。スウェナ・ダールトン、ジャーナリストよ。」
よろしく、と勝気そうに微笑むのにどう返事しようかと悩む。
名乗ったところで、自分は肩書きひとつ持たないのだから、彼女にとっては何の意味もないだろう。
それに。
彼女は、ジョミーとどういう関係なのだろう。
ジャーナリストだと言ったが、指導者であるジョミーを呼びつけることができるとすれば、ジョミーと彼女はビジネスパートナーというべき関係にあるのか、それとも友人関係なのか。
いや、もしかすると彼女は…。
そのとき、ばたばたと廊下を走ってくる音が聞こえた。
なぜ、こんなに早く…?
聞きなれた靴音は、ジョミーのものだ。しかも、随分と慌てている。
「ただいま帰りましたっ!」
走りこんできたジョミーは、ブルーを認めて嬉しそうに微笑む。そして、息が上がったまま、傍にある本の山を見て。
「相変わらず熱心ですね。僕には真似できないことです。」
そう感心したように言う。
僕は君のように動き回ることが苦手だから…と言おうとしたとき。
「ジョミー!」
突然、ジャーナリストだという彼女の声が割り込んだ。
ジョミーはそこでようやく彼女の存在に気がついたらしく、振り返って目を丸くした。
「スウェナ…。」
もう来てたんだ、と呆然とつぶやく。
そんなことはお構いなしに、スウェナは嬉しそうに笑っている。
「ああ、本当に久しぶり!
あなた、随分と身長が伸びたんじゃない?昔は私と同じくらいだったのに。それに随分貫禄がついたみたい。
きっと、おば様が見たら喜ぶわ。サムだってびっくりするわよ。」
彼女はソファから立ち上がるとジョミーの傍まで歩み寄って、いかにも惚れ惚れするとばかりに見上げた。
「…そりゃ、4、5年もすれば背も伸びるし…。
それよりもスウェナ、来るならもっと余裕を持って知らせてくれないと困る。こっちだって予定ってもんがあるんだから。」
それに対してジョミーのほうはというと、挨拶はそこそこに、彼女に文句を言っている。
やはり、彼女が来るため予定を早めてか切り上げて戻ってきたらしい。そんなことは珍しい。体調がよかろうが悪かろうが、朝早かろうが夜遅くなろうが、視察はきっちり行う彼にしては。
やはり、彼女とは親しい関係にあるらしい。
いや。親しい以上に、彼女には一目置いているのか。
「ごめんなさい、急を要する話だったものだから。」
殊勝に謝罪はしているが、勝気そうな笑顔はそのままなので、さして反省はしていないように見える。
対するジョミーはというと、しょうがないなとつぶやきながらため息をついていた。
「君がジャーナリストで、分刻みのスケジュールで動いているってのは分かっているけど…。」
「それよりも、随分と故郷に顔を出してないそうじゃない。」
その分刻みで動いているはずの彼女は、昔の馴染みに会えたためか、すっかり世間話モードに入っている。
「私、この間帰ったときに、おば様に愚痴を言われたわよ。『うちの息子は鉄砲玉だ』って。指導者の仕事が忙しいのは分かるけど、おば様だって寂しいのよ?」
「そう簡単には帰れないよ。」
そう言いながらも罪の意識を感じているらしい。ジョミーは苦い表情で応じる。
「おじ様が亡くなって、おば様が寂しい思いをしているの、分かっているでしょ?ああ、ジョミーは忙しくておじ様の死に目にもあえなかったんだったわね…。」
それを聞くと、ジョミーはさらに落ち込んだ表情になる。
「…レティシアがいるだろう。」
「男の子と女の子じゃ違うんじゃない?」
そんなジョミーの心情はまったく感じていないらしい。スウェナはあっさりと言い放った後、そう言えばと別の話題に移る。
「レティシアといえば、随分綺麗になったわ。」
「ええ?あれが?」
今度は興味をひかれたらしい。少し身を乗り出している。
…『おじ様』、『おば様』というのがジョミーの両親だろうと推測できるが。今度出てきた『レティシア』とは誰だろう…?
しかもジョミーの父親は、ジョミーがここに来てから亡くなっているらしい。
「本当よ、ええと、あなたと6歳違うから、今12歳だっけ?
学園一の美人だって。どう?兄としては心配?」
「そりゃ、まあ…。」
冷やかすような響きに、ジョミーは照れたように笑う。
…『レティシア』がジョミーの妹らしいとは分かった。
でも。
自分の知らない話をする二人に気圧される感じがする。
多分ジョミーは肉親を亡くしている自分に気を遣って、自分の家族の話をしなかったのだろうが、それをジョミー以外から聞くのは、あまり気分がよくない。見えないバリアを張られているような、そんな気がしてここにいるのも憚られる。
大体、読みたい本は決まったから帰ろう。
そう思って数冊の本を抱えた。ずしりとした重みが腕にかかる。でも、何度も往復するようなことはしたくない。というよりも、この二人のいる部屋に入りたくない。
「ブルー、自己紹介は済んだんですか?」
ところが。
急にジョミーがこちらを振り向いて、すぐ傍までやってきた。
「いいえ、まだだわ。嫌われちゃったのかしら?」
そんな風に冗談めかして言った後、じゃあジョミーが紹介してよと笑う。
「そんなことないと思うけど、スウェナは押しが強いから引かれたんじゃない?」
「失礼ね!」
笑いながら、ジョミーはさりげなくブルーの抱えた本の束をあっさりと取り上げてしまう。
「じゃあ、ブルー、こちらはスウェナ。
僕と同じ村の出身で、幼馴染。今は村を出てジャーナリストやってる。
それでスウェナ、こちらはブルー。僕の婚約者。」
「え!そうなの?」
「ジョミー!」
二人の驚きの声と抗議の響きが重なる。
「…になってほしいと思ってる人。
なかなか承知してもらえなくて、困ってる。」
「ジョミー、だからそれは…!」
「あなたが奥ゆかしいのはよく分かりましたから、皆まで言わなくても結構ですよ。」
何が分かっているのだか。別に奥ゆかしいわけでもなんでもないのに。
「随分苦戦してるみたいね。」
そんな様子を見ながら、スウェナはからかうように言う。
「完全に振られるまで、ねばることにしたから。」
それはスウェナに、というよりもブルーに対して言っているのだろう。
「だからそれは…!」
「ああ、そういえばスウェナは新婚だよね。
生活はどう?」
と、急にジョミーは話題を変える。おかげでその先が言えなくなってしまう。
結婚して1年足らずだろ?と続けると、今まで小気味よく言葉を吐いていた彼女にしては、何かに詰まったように黙り込んだ。
「スウェナ…?」
ジョミーが伺うと、彼女は寂しそうに笑った。
「…私、離婚したのよ。」
さすがに、沈黙が落ちる。ジョミーも何を言っていいか分からない様子で、固まってしまっていた。
しかし、それに気がついて、スウェナは手を振って笑顔を浮かべる。
「ああ、でもね、彼とは喧嘩別れってわけじゃないの。今もたまに会っているし。夫婦から友人になったって感じかしら。
ゴメンね、ジョミー。せっかくお花贈ってもらったのに。」
「それは別にいいけど…。」
スウェナは軽く息を吐くと、今までの雰囲気とはまったく違う、ジャーナリストの顔になった。
「それで、私がここに来た理由はあなたの力を借りたいと思ったからなの。」
「力…?」
「あなたの、南の守役としての力よ。
とりあえず話を聞いてくれない?」
「それは構わないけど。」
それを聞いて、ジョミーの手から本を受け取ろうとしたが、しっかり小脇に抱えられていて取り返そうにも取り返せない。
「ああ、あなたも一緒に聞いてもらえませんか?」
ジョミーは視線をこちらに向けると、にっこりと笑いながら言う。
抱えている本は、人質のようなものであるらしい。
「…君の指導者としての仕事の話だろう。」
「だからなんですけど。」
「それは遠慮する。
同席ならばフィシスに頼めばいい。」
そうはっきり言えば、ジョミーはあきらめたようにため息をついた。
「…仕方ないですね。
じゃあスウェナ、ちょっと待ってて。これを置いてきてから話を聞く。」
数冊の本を見せながら、きびすを返す。
「分かったわ。すぐに来てよ?」
スウェナは笑みを含んだ声で応じる。
「僕が持っていくから君は彼女の話を聞けば…。」
仕事の話だというのに、それを邪魔する気はないと言外に伝えたつもりだったのに、ジョミーはまったく聞く耳を持たないらしい。
「あなたがこんなに持っていったら、途中で休まなきゃいけないでしょ。
僕が持って行きます。」
言いながら、さっさと廊下へ歩いていってしまう。結局、そんなジョミーの後を追いかけるよりほかがなく、彼に続いて部屋を出た。
しばらく沈黙のまま二人で廊下を歩いていたが、部屋が近くなってきたときにジョミーが不意に立ち止まった。
「他から聞いて、あなたが誤解しないように先に言っておきますが。」
改まった口調で言われるのにどきりとする。
「スウェナは、かつて僕が付き合っていた人です。」
…そうじゃないかとは思った。
彼女の親しげな雰囲気や、その言動の節々に混じる好意以上のもの。しかし、決して媚びてなどいない、何事にも動じない毅然とした態度。
「でも、4、5年前に別れて今日まで会っていませんでしたし、今では彼女のことは何とも思っていません。
僕がプロポーズしているのはあなたなんですから。それを忘れないでください。」
指導者の妻には、むしろ彼女のような女性のほうがいいのかもしれない。利口で活発、それに美人だ。フィシスとはタイプが違うが、スウェナならジョミーの留守を任せても大丈夫そうだ。
そんな思索に耽りながらふと気がつくと、ジョミーがじっとこちらを覗き込んで、苦笑いを浮かべている。
「…心配ですね。
ここまではっきり言っても誤解しそうな顔をしてますよ?」
その言葉に首を傾げる。
…君は何か言っていたのか?
14へ
昼メロばりの展開になってきちゃったわ…。いや、私昼メロ大好きなんですが!
それにしても別の連載にかかると言っていたのに、なぜこれが…。いえ、書いてないわけじゃないんですよ〜、次は放置状態のアレを…!! |
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