「…お取り込み中申し訳ないのですが…。」
口付けの名残がまだ残るときに。
「ここには仕切りがないのですから、そういったことは夜にしていただきたいものですわ。ニナが真っ赤な顔をして走って行ったかと思ったら…。」
廊下から聞こえたため息交じりの声に振り返ると、フィシスが苦笑いしながらこちらに歩いてくるところだった。それを見て、慌てたのはジョミーだった。
「え?いや誤解だよ!
僕はブルーに食事をきちんと食べてくれるように話していて…!」
「食事をとることと、今の行為とどうつながるのか分かりませんけど?」
「あー…。」
嘘は言っていない。ただ、説明が難しいのも確かだろう。
「別に私はよろしいのですよ。でも、今後はなるべく人目につかない時間にされたほうがよいのではないでしょうか?」
フィシスの言葉にはぐうの音も出ないようで、ジョミーはため息をついて、前後しちゃったな、とつぶやいた。
「…ニナに見られたってことは、一時間後にはみんなに知られちゃうってことか…。」
その名前には覚えがある。あの村で、ジョミーと言葉を交わしていた、確か金髪の活発そうな女性だったと思う。
「…彼女に釈明が必要なら僕からしておく。」
要らぬ風評をたてられては、迷惑以外の何者でもあるまい。
そう思って言ったのに、ジョミーはひどく情けない顔になった。
「…そんなに僕とキスしてたって噂されるの、嫌ですか?」
「僕のことじゃない、指導者の君に傷がつく。」
「僕に?何で?」
きょとんとして首をかしげている。
どこの馬の骨とも分からないものと口付けをかわしていたなどといわれては、ジョミーにとってはマイナスにしかならないはず。たまに忘れてしまうが、彼はここの指導者なのだから。
「だから…。」
「あなたが僕の恋人だと噂されるなら、僕は光栄ですけどね。」
またとんでもないことを言い出す長である。これではまわりの心配の種になっていて当然だ。
「君の指導者としての地位にかかわるだろう。」
しかしジョミーはそれを聞くと、むっとしたように口を尖がらせた。
「かかわるわけがないでしょう。
それに、もしかかわったとして、それが何なんですか?」
確かにジョミーは肩書きを気にしない性格であるとは分かってはいたものの、これではあまりにも無頓着すぎる。立場上許されることと許されないことがあるということに対しても。
「あなたに一度言っておきたいと思っていました。
僕にあなたの常識を当てはめるのはやめてください。僕のやっていることは正しくないときもあると思いますが、あなたの考え方もまた偏っているんですから。」
さすがに言葉を失う。ここまで正面切ってジョミーが自分の考え方を否定したのは初めてだったからだ。
「まず、『指導者』とは単なる役割を表す呼び名であって、僕が偉いわけでも優れているわけでもないんです。」
…ああ、ここから違うのだと思う。
その高潔な姿勢は本来上に立つものの基本であり、ジョミーがその考え方を体現していることは好ましいことだと思う。以前、指導者になる前は普通に暮らしていたと言っていたが、そのときの教育によるものだろうと感じた。
しかし、そうは考えない人間が多いのは間違いのない話だ。己の地位に慢心し、驕ってしまうもののなんと多いことか。そして、周囲もそのように見てしまい、その地位を利用しようとするものも現れる。
その典型が、かつて同居していた家族だろう。あまり感じないようにはしていたが、一緒にいれば何となく伝わってしまう。
おそらく村の中ではそういった地位にいたはずなのに、その責務を放棄しただけでなく、堕落した生活を送ることに罪悪感などまるでなかった。責務を果たさなければ収入などあるまいに、それが途絶えた風にはまったく見えなかった、ということは。
その地位を利用した何らかのやり取りがあったと見るほうが自然だ。
…確かに聖職としての『指導者』の職務を行っているジョミーにその常識を当てはめるのは、失礼かもしれないけれど、それは…。
「それから、あなた自身に関して。
あなたの、自身に関する考え方は控えめで、ある意味美徳なんでしょうが、僕にとってみればときに腹立たしくさえ思えます。」
実際に今不愉快に思っているのだろう。表情に表れてしまっている。
「それに、穿った見方も限度ものです。」
きれいごとばかりだ。
そう思う。
そのきれいごとを実践しているのだからたいしたものだとは思うが、それでも知識程度には世の中のことを知っておくくらいはできるはず。
確かにこちらの考え方が偏っているところはあるのだろうが、ジョミーの考え方が少数派であることもおそらく事実だろう。歴史を紐解けば、そのくらいは分かりそうなものなのに。
「何か言いたいことがあれば言ってほしいと前に伝えたはずですけど…?」
言っても仕方ない。考え方が根本から違うのだから。
そう思って黙っているのに、ジョミーはさらに不満そうに言葉を継ぐ。
「どうせあなたのことだ、僕の言ってることは実情にそぐわない、きれいごとだと思っているのでしょう。」
おや、と思う。言っていることの意味を分かってはいるらしい。
するとジョミーはさらに気分を害したようで、今度は眉を寄せる。
「僕に言っても無駄だとでも思ったんでしょ?
もういいですよ、勝手に自分で完結しててください。」
ジョミーが怒っていることよりも、こちらの思惑をすべて読み取られていたことに、より驚いて、まじまじと見つめてしまう。
「ああもう!言いたいことがあるなら言ってくださいって言ってるのに!
あなたの顔を見ていれば鈍い僕だって全部分かりますよ!僕を世間知らずに思ったことも、だから何を言っても無意味だと思ったことも!」
…そんなに表情に出ているのだろうか…?
口に出さないのは当然のことながら、表情にも出さないのは昔から慣れているはずだったのに…。
「お話し中申し訳ないのですが。」
やんわりとフィシスが割って入った。
「私が参りましたのは、長老方がもう一度あなたと話をしたいとおっしゃっていましたので、その先触れをつとめるためでしたの。もうそろそろ皆様いらっしゃるころですわ。」
言われてみれば、廊下の向こうから数人の話し声が聞こえてくる。
「では僕は邪魔だろう。」
ちょうどこの場から去りたいとは思っていたので、きびすを返そうとしたが。
「ちょっと待ってください!」
ジョミーが手を掴んで止めてしまった。
「…会議の邪魔はしたくない。」
「肝心なことを伝えていないので。すぐに済みます。」
言っている間に、十数人の人間がこちらに向かってくるのが目に入る。
「療養しなければならないところ、すまないね。」
長老の一人であろう、温厚そうな老紳士が言うのに、頑固そうな老人がふん、と鼻を鳴らす。
「なに、こやつは若いから大丈夫じゃろうて。」
何せ元気しか取り柄がない、とつぶやいている。
それをちらりと眺めただけで、ジョミーはまたこちらに視線を戻す。
「憶測が過ぎるあなたに分かるように言います。」
怒りの表情のままのジョミーに何を言われるかと身構えていると。
「あなたが好きです。僕の妻になってください、ブルー。」
その言葉に。
ぴたりと周囲の喧騒が止まった。
いや、止まったのは周りだけじゃない。こちらの思考能力も完全に停止してしまっている。
そこでようやくジョミーは笑顔を浮かべ、同時に掴んでいた手も離した。
「聡明なあなた相手だから、いろいろと凝ったプロポーズは考えていましたが、変に誤解されては敵いませんからね。」
いや、それ以前の問題では…。
ぼんやりと思ったが、それ以上何も考えることができない。それなのに、ジョミーはさらに続ける。
「僕が大切に思っているあなたを、あなた自身が見下げているのが我慢できませんでした。感情的になって言い過ぎたかもしれません、すみません。
許してもらえますか?」
返事のしようがない。
先の告白で、十分驚かされて呆然としているのに、これ以上何を言えというのだろうか。
「若いということはいいことですなあ。」
沈黙を破って、最初にジョミーに声をかけた老紳士がのんびりとそう言うのに。
「でも普通はこのような場所では…。もっとムードを重んじるべきです。」
「まったくじゃ。時と場所をわきまえないと常々思ってはいたが…。」
「いいじゃないか。奥手のこの坊やにしてみれば上出来だよ。」
「コホン、ま、まあそういうことにしておきましょう。いつ身を固めるかと皆心配しておりましたからな。」
長老たちは口々に好きなことを言い合っている。しかし、若いものたちは毒気を抜かれたようで声も出ない状態だ。
いや、若者たちだけでなく、こちらも呆気に取られてしまって未だに言葉ひとつ出てこない。
「返事はいつでもいいんです、あなたの気持ちの整理ができてからで。」
ジョミーは周りの声など耳に入らぬかのように、ブルーを見つめていた。
…返事?
返事って…、誰が、誰に…?
「それでははじめましょうか。」
フィシスの声が響いたのに、はっとする。
「そ、そうですね。」
我に返ったように、慌てて若者の一人が応じる。
だが、長老はというと、にやにやして二人を見ながら。
「そうだね。さっさと終わったほうが、二人の将来を語り合うのに都合がいいだろうしね。」
などと笑っていた。
「では、皆様先に始めていてくださいな。さ、参りましょう。」
言いながら、フィシスはブルーの手を取り、廊下へ歩き出す。
ジョミーがこちらをずっと見ていたことは気がついていたが、その視線を受け止める気には到底なれず、逃げるようにその場から去るより他がなかった。
10へ
困った、段々と千切れた展開となっているような…。場の雰囲気を読まないジョミーと言うのは私的にはデフォルトなので〜。
ああ、他の連載何もしてない〜!いい加減「反攻」も書かないと完結したと勘違いされているかも…。 |
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