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    廊下を過ぎて、ジョミーの部屋から完全に離れてしまうと、フィシスはぴたっと止まった。そして、次にはくすくす笑い出した。「まさか、こんな大勢の前でプロポーズするなんて…。」
 そう言われて、ようやくその事実に気がついた。
 さっきは単にジョミーが自分に求婚したということに単純に驚いていたが、その上公衆の面前でというおまけまでついていたのだ。
 …何を考えているのだろう、ジョミーは。恥ずかしいとか気まずいとか思わないのだろうか。
 「随分と困っていらっしゃるのですね。」
 …そうだろう。事実、ここまで困ったことは今までにないと思う。
 「…ジョミーの浅はかさに呆れた。」
 それになのにフィシスはまあ、と微笑んだ。
 「そうでしょうか。私は今までで一番ジョミーが頼もしく見えましたが。どなたかではありませんが、彼にしては上出来だと思いますわ。」
 何が上出来なのだろう。
 ジョミーは指導者であって、一般人ではない。さっきジョミーに、指導者とは単なる役割を示す名称であると言われたが、まわりがそう思っているとは限らない。
 「選択権はあなたにあるんですのよ?嫌なら嫌とお断りすればよいだけですわ。」
 断る…?
 思ってもみなかったことをフィシスに言われ、呆然とした。
 断るって、誰が…?
 「あなたもよくご存知だと思いますが、ジョミーは決して公私混同はしませんから、断ったからといって表面上の彼の態度が変わるとは思いません。」
 それはそうだろうと思う。
 確かにジョミーは『理想的な』指導者だ。無論、それが悪いわけではない。
 指導者としての職務を淡々と行い、私情は一切挟まない。慢心だの傲岸だのという単語は存在しないかのようで、彼がまだ18、9歳であるとは考えられないくらいだ。
 だから確かに振られたからといって、その振った相手を立場を利用していたぶるようなことはないだろうが。
 でも、断るなんて…。
 「…考えてもいなかった。」
 「まあ、ジョミーは幸せものですわね。」
 …そうではなくて。
 「…断る気はないが、受ける気もない。」
 「また難しいことをおっしゃいますのね。」
 フィシスは終始にこにこしている。
 「ジョミーのことが嫌いですか?」
 嫌いなはずがない。でもそれとこれとは話が別だ、
 「しかし、僕は男だから…。」
 「ここでは誰も気にしませんわ。」
 「ジョミーの一族ではないし…。」
 「それも気にしません。」
 「君は知らないだろうが、僕は過去に…。」
 「それはジョミーが知っていればいいことですわ。それを知った上であなたにプロポーズしているのでしょう?それも気にする必要はありません。」
 …もう、つけるべき理由もなくなってきてしまった。
 「ジョミーが嫌いなら仕方ありませんが、そうでなければ受けてもよろしいのではありませんか?
 何といっても私は楽ができそうですし。」
 …楽…?とは一体何だろう。
 「あなたがジョミーのプロポーズを受ければ、相談役はあなたに引き継ぐことになりますもの。」
 …ああ、そういう話もあった…。
 「そんな役は…。」
 「あなたなら大丈夫ですわ。」
 そう言いつつ、フィシスはくすっと笑う。
 「随分と表情が出てきましたのね。
 ここに来た当初、あなたは本当にお人形さんのようで心配していましたのよ。話しかけても反応はありませんし、まったく表情が変わりませんし。ほっとしましたわ。」
 そう、なんだろうか。いちいち自分の顔を鏡で見てはいないから、よく分からないが。
 でも。
 …だから、ジョミーにこちらの思いを読まれてしまうのか。
 悪いことではないのだろうけど…、最近ではすっかりジョミーのペースに巻き込まれてしまっていることを考えれば、自分にとってはあまりいいことだと思えない。
 「私もジョミーと同様、色よい返事をお待ちしておりますわね。
 では、私は戻りますわ。そうそう、相談役となれば、このような会議には必ず出席してもらうことになりますから、そのつもりで。」
 そんなことまで言われてしまって、さらに慌てた。
 しかし、フィシスはゆったりとした足取りで戻って行くところだし、彼女を引き止めてそんなつもりはないと説明しても仕方がない。
 まさかこんな事態になるとは思っていなかったから、どうすればいいのか分からない。今まで得た知識を総動員しても、対応が決められない。
 いや、どうすればいいかは分かっている。断るのが最上の判断だ。ジョミーにとっても、自分自身にとっても。
 ジョミーは若き指導者で将来を嘱望されているし、その妻には知的で活発で美しい女性が似合うだろう。以前、自分はモテないなどと言っていたが、何を根拠にそんなことを思っているのだろうか。多少短気で子供っぽいところはあるが、それすら魅力になるほどだ。
 それなのに。
 何を勘違いしたのだろう。人前で、よりによって僕にプロポーズするなど。直前まで言い争っていたから、その弾みだったんだろうか。それこそ軽率以外の何者でもない。
 …だから断ればいい。そう思いながら、断る気にはなれない。
 どうせ夕食どきに会うし、そのときに説得しよう。ジョミーが取り消してくれればそれで丸く収まるのだから。
  「ようこそ。」いろいろと頭の中では説得する方法は考えてきたけれど、ジョミーの反応はこちらの予想を大きく超えるときがあり、結局その場対応になるだろうと結論づけて、それ以上考えるのをやめた。
 しかし、ジョミーの笑顔に迎えられて部屋の中に入った途端、食卓を見て目が点になった。
 「本格的にあなたの食生活を変えようと思いまして。」
 …そんなことも言っていたのだった…。
 多分、元はパンだったのだろう、白くどろどろに溶けたものを見て何なんだろうと首をひねる。
 「それはパン粥ですよ、パンをミルクで煮てあるんです。」
 しかし、せっかくの心遣いだが、あまり食べる気がしない。
 「見た目に似合わず、結構おいしいですよ。
 あなたの場合、精神病の摂取障害とは言い切れないようなので、とりあえず消化のいいものから始めればいいかと思いまして。」
 また余計なことを考えるものだ。そんなことよりももっと考えることがあるだろうに。そう、君の結婚のこととか…。
 「今日の求婚の話だが。」
 そう切り出せば、ジョミーはちらりとこちらを見ただけですぐに視線を食卓へ向ける。
 「それは慌てなくてもいいと言ったはずですよ?あなたの顔はどう見ても、気持ちの整理ができたようには思えませんけど。
 食事が冷めますからいただきましょう。」
 「だから、撤回して欲しいと。」
 そう言っても、ジョミーにはまったく通じていないかのようだった。一人、スープに手をつける。
 「どうして?」
 今度は目も向けずに問い返してくる。
 「どう考えても釣り合わない。」
 「そう考えるのなら、断ってくださればいいでしょう。覚悟はしていますから。
 僕は取り消す気なんかありませんよ。」
 ジョミーの答えはあっさりしたものだった。
 断るなんて、そんなことはしたくない。だから、君から取り下げて欲しいのに。
 …これを卑怯というのかどうかは分からないけれど、どうしても自分から断る気にはなれない。断ってしまったら、ジョミーとの関係がこれで終わってしまうような気がする。
 しかしジョミーは、今度はこちらに視線を向けると、首をかしげて微笑む。
 「ただ、あなたのことだから、変に考えすぎているのではないかと思いますが。
 あなたと僕では、どう釣り合わないんですか?」
 今、それを説明して求婚を取り消してもらおうと思っていたのだからちょうどいい。
 「少し考えれば分かることだと思うが、君は指導者で将来のある身だ。それにその妻ともなれば、相談役と言う肩書きがついて回るんだろう。
 もっと相手を選んだほうがいい。」
 それに対してジョミーは呆れ顔で、やっぱり、とつぶやく。
 「実は僕自身、妻となる人にはかなり高い理想を抱いていますが?もちろん今も。
 むしろ、僕があなたにふさわしくないという話が出てくるのではないかと思っていました。
 あなたの言い方を真似すれば、僕は普通の家に生まれていますし、この背にあるものがなければ、こんな場所に縁のあるものではなかったんですから。あのまま普通の、ありきたりの人生を生きたでしょう。
 一方、あなたはやや落ちぶれてはいましたが、村の代表であり、貴族の家系である豪商といえる家の出身ですから、世が世なら僕が声をかけられる相手ではないということになりますからね。」
 あなたの家の当主とは面識がありましたから家柄も知ってますよ、と続けた。
 それは意外だった。でも考えればありえないことでもない。ジョミーはこの一帯の守役で、その範囲はかつて住んでいた村をも包括している。その上、あの村で力を持っていたのは、確かに自分が住んでいた家だろう。村のことで守役であるジョミーと交渉するということになれば、誰が当たるかということも見当がつく。
 けれど。どのあたりが僕を真似ているのだろう。家系や家柄がなどと言った覚えは一度もないのだが。
 「君は今僕が貴族の家系と言ったが、それこそ俗世間の話であって、僕の言う話とは次元が違う。」
 「それは、僕の話の次元が低いと言いたい訳ですか?」
 ジョミーの声が、ややむっとしたように低くなる。
 だが、今回はあまり怒っている様子がない。
 「君が普通の家の出身だろうが、僕が貴族の家系だろうが、それは関係ない。
 君がさっき言った、君の背にあるものがすべてなんだから。」
 そう言うと、今度はため息をついてこちらを見やった。
 「…あなたは僕を神聖視しすぎじゃないですか…?
 背中に翼があろうが、僕は天使ではないんですよ?これはただの目印みたいなもんなんですから。」
 指導者を見分けるための、とついでのようにつぶやく姿に、今度はこちらがむっとする。
 「それを本気で言っているとしたら、君こそ自分自身を軽視しすぎじゃないのか。
 君は魔物に対する結界を張っていると聞いている。普通の人間にはそんなことはできない。」
 「だから何なんですか?魔物よけの結界を張ることができるだけですよ?
 そりゃ、指導者としての特殊な能力はまだあるにはありますが、それは役割なんです。誰かが指導者にならなきゃいけなくて、その指導者になった誰かが結界を張らなきゃいけないでしょう。そのために力がある、それだけなんです。
 これは自分のための力じゃなく、人を守るための力なんですから。」
 なるほど、と思う。こんな風に考えることのできるジョミーだからこそ、指導者に選ばれたのだと。
 神というものがこの世にいるのなら、彼はそれに愛された存在だ。その背にある翼から連想するものは、あながち間違ってはいないと思う。本人がどれだけ否定しようとも。
 …だが、自分自身は神の存在など一度たりとも信じたことはないのだが。
 「どうせ、理想だけの綺麗ごとだというのでしょう?」
 ジョミーの声に顔を上げると、今度は拗ねたように口を尖らせている。
 指導者として立派な心構えを持っている反面、彼個人はときに子供っぽくてその落差に驚いてしまう。
 「…理想を持つのは悪いことではない。」
 「え…?」
 まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。ジョミーは呆然としてこちらを見て動作を止めた。
 「確かに綺麗ごとだとは思うが、理想なくしては人は堕落する。
 だから、君を評価しないわけじゃない。」
 ただ、いつかその理想に裏切られて、君が傷つくのが嫌なだけで…。
 「あなたに誉められると、なんだか嬉しい。」
 照れたように笑うジョミーからそう言われてはたと我に返った。
 こんな話をしたいわけじゃなかった、と慌てて話を戻そうとする。
 「しかし…!それと求婚の話は別だ。」
 「…ああ、分かりました。とにかく食べましょう。」
 一転して、興味を失ったようにジョミーは食事に戻る。
 「…本気で聞いてないだろう。」
 「いつものことと、ちゃんと聞きながら流してますよ。
 それよりもきちんと食べてくださいね。それから改めて話しましょう。」
 よほど機嫌がいいのか、今回に限ってはまったく感情的にならない。
 …やはり、思うようにはいかない。正攻法ではダメのようだ。次は、嫌われる方法でも考えておこうか…。
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        | なんだか、どんどん色気がなくなってきているような…。そろそろ婚前交渉にいってほしいのだけどー…。 |   |