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    言ってみれば、パステル調という色彩だろうか。淡い色の絵の具で描いたような、天使に似つかわしい場所が、ジョミーの住む世界らしい。ジョミーになら似合うだろう。翼が見えなくともそのままで天使に見えるくらいだ。ここでは、色調の強いものは浮いてしまうだろう。増してや血色のものなど…。
 「さっきも言いましたが、僕はもう一度あなたの村に戻ります。」
 視線を戻すと、ジョミーがブルーをじっと見つめていた。
 「ここは安全ですから、しばらく休んでいてください。僕もすぐに帰ってきますから。」
 君はもう行ってしまうのか…?
 「あらジョミー、戻りましたの?」
 不意に聞こえた軽やかな声に目を向けると、目の前の真っ白な建物の前に美しい女性が微笑みながら立っていた。ただその目は閉じられており、彼女が盲目であることはすぐに分かった。
 「フィシス、ただいま!」
 その姿を確認したジョミーが満面の笑みを浮かべる。
 なぜだろう。そんなジョミーを見ていると、何となく落ち着かない気分になる。
 「どなたかしら…?」
 盲だというのに、彼女はブルーの存在に気がついたようだった。
 「ちょうどよかった、フィシスに頼みたいと思っていたんだ。
 この人は魔物に襲われた村の生き残りなんだ。」
 「まあ、それは…。」
 微笑んでいた彼女が神妙な表情に変わる。あまり同情されるのも困る話だと思っていたが、幸いフィシスと呼ばれた女性は、それ以上は何も言わなかった。
 「僕はもう一度その村に戻るから、この人をお願い。」
 「分かりましたわ。
 では、奥の部屋がよろしいかしら?」
 「うん、じゃあ先に行ってる。」
 言いながら、フィシスの横をすり抜ける。
 あらあら、と彼女は呆れたように笑いながら二人を見送った。
 「下ろしてくれ。君はもう行かなきゃいけないんだろう。」
 「あなたを部屋まで連れて行くくらいの時間はあります。」
 笑顔で、しかしはっきりと拒否される。
 「今日中には帰りたいんですが、もしかしたら明日になるかもしれません。明日と言っても夜中か朝方ですけど。そしたら、一緒に朝食食べましょうね。
 疲れたでしょうから、今日のところは休んでいてください。」
 …ということは、今日は戻らないのか。
 ふとそう思うけれど、だから何だろうと自答する。
 「この部屋でもいいですか?実は空いている部屋があまりないので、こんなところになってしまうんですが。」
 奥の部屋と言っていたので、今までいたような窓のない暗い場所なのかと思っていたが、通された部屋は、窓は大きく風通しのよい部屋だった。
 奥、と言うのは、玄関から見て奥ということだったらしい。
 ジョミーはブルーをベッドに下ろし、自分もその隣に座って笑顔で話しかける。
 「来客用で、あまり使っていないものですから、埃っぽいとは思いますけど。」
 別にそんなことは思わないが、広すぎるような気がする。今座っているベッドだって、かなり大きい。それに改めて見渡すと、やはり部屋の中も淡い色調で統一されていて、自分が場違いに思えて仕方ない。
 軽いノックの音と同時に、失礼します、という先ほど聞いた女性の声が聞こえた。
 「とりあえず、軽いものをお持ちしましたけれど…?」
 トレイを持って、危なげない足取りでこちらに歩いてくる。盲に思えるが、実は見えているのではないかと思うほどだ。
 「ところでジョミー、いい加減に私に紹介してくださいませんこと?」
 「あ、そうか。忘れてた。」
 ごめんごめんと言いながら、ジョミーはブルーを振り返った。
 「ブルー、こっちはフィシス。ここの預言者で、指導者相談役。」
 言いながら、次に小声でささやく。
 「頼りになるけど、ちょっと恐い。」
 「聞こえていますわよ、ジョミー。」
 むっとした声を作っているが、別に気分を害している様子ではないようで、口元には相変わらず笑みを浮かべている。
 「気のせいだよ。」
 それに対してジョミーはしれっと言う。
 「フィシス、こちらはブルー。」
 「よろしく、ブルー。」
 今までの二人の会話から感じられるのは、心を許しあった親しい関係であること。男と女という立場上、それがどういうことなのか、聞かずとも分かった。
 ブルーの返事がないことを、不快に思った風もなく、フィシスは次にジョミーに向き合う。
 「ジョミー、そろそろ戻らないといけないんじゃありませんか?」
 「まあそうなんだけど…。」
 「帰ってくるのが遅くなりますわよ?」
 見透かしたようなフィシスの言葉に、ジョミーは少し顔をしかめた。
 「…分かってる。
 じゃあブルー、行ってきます。」
 と、次には改まってブルーに一礼し、立ち上がった。
 「では、お早いお帰りを。」
 フィシスがそう言うのに、ジョミーは嫌そうな顔をした。
 「言われるまでもないよ。」
 出て行こうとして戸口でいったん立ち止まってから、ジョミーはもう一度ブルーを振り返る。
 「…早めに帰ってきますから。」
 「まあ、未練がましいこと。」
 フィシスは呆れたようにつぶやいてから、テーブルにトレイを置いた。パンとスープのようだった。
 「お口に合うか分かりませんが、どうぞ。」
 そうは言われたが、食欲がない。もともと食べることに執着はないのだから、空腹感もろくに感じたことがない。
 「あまり喋らないのですね。」
 ブルーの返事や反応がないことに対して、特に不満な様子もないが、さすがに気になったらしい。フィシスは微笑みながら話しかける。
 「不要だと思うことでも口に出せばよいと思います。他愛のない会話も楽しいものですよ。少なくとも、少しは気が晴れます。」
 …話したいことがないだけなのに。
 と思ったそのとき。
 「そう、でしょうか…?」
 心の中だけのつぶやきなのに、彼女にはその声が聞こえたかのようだった。
 今のはいったい…?まさか、心の声が聞こえたとでも言うのか…?
 しかし、フィシスはごめんなさい、と先ほどと同じように微笑みながらつぶやいただけだった。この今の現象について、確認する余地もない。
 「いけませんわね、あなたはお疲れだと言うのに。お話は後日にいたしますわ。
 ジョミーはおそらく明日の夜明け近くには帰ってくると思います。それまでゆっくりなさってください。
 用があればお呼びくださいね。」
 そう言いながらフィシスは優雅な仕草で一礼し、部屋を出て行った。
 …変わった女性だ。そういえば、彼女は預言者だと言われていたか。ではジョミーが夜明けに帰ると言うのも予言なのか、それともただの勘なのか。
 それに、彼女の紹介にはもうひとつあった。
 指導者相談役…。
 指導者とは、あの雰囲気では、ジョミーのことだろうか…?
 
 夜中の静かな空気に響いた羽音にはっと目を開けた。
 うとうとしていたが、やはり眠ってしまったらしい。もともと眠りは浅いから、少しの物音で目を覚ますのはいつものこと。
 テーブルには手をつけていない食事が置かれている。食べたいと思わなかっただけだが、フィシスはひどく心配していた。
 『食べないと持ちませんわ。』
 ジョミーといい彼女といい、どうして他人のことなのに一生懸命になるのか分からない。
 ジョミーに至っては、多分あのとき村を、というか持ち場を離れるべきではなかったのではないだろうか。再度村に戻ったことから考えて、指導者という立場上、皆を指揮する必要があったのだろう。
 と、そこまで考えて、何かの気配にぎくりとした。キィという音がして、ドアが開く気配が分かった。身体を起こし、息を詰めてその様子を見守る。
 「あ…、ごめんなさい。起こしましたか…?」
 その聞き知った声に、緊張が緩んだ。
 「ジョミー…。」
 ジョミーは遠慮がちに部屋に入ってきて、ベッドサイドに腰掛ける。
 「すみません、遅くなってしまって。
 朝になってからにしようとは思っていたんですが、あなたの寝顔だけでも見たくなって…。決して起こすつもりだったわけじゃないんです。
 どうぞ休んでください、後2、3時間で夜明けですから。」
 「…眠くはない。」
 だから、ここにいて…。
 「気が張っているんじゃないですか?大丈夫、ここは安全なんですから。」
 ジョミーは安心させるように笑顔で言う。それから、ふとブルーをじっと見つめた。
 「…やっぱり綺麗だ。」
 何が?
 「あなたの目。月明かりでは、色が濃くなって見えて、また印象が違う。」
 こちらの顔を覗き込んでいたかと思ったら、またそんなことを考えているとは…。自分ではまったく同意できないが、そんな風に言われるのは、不愉快ではないかもしれない。
 しばらくこちらを見つめていたジョミーが、我に返ったかのように慌てて居住いを正した。
 「ああ、すみません!また時間を取ってしまって…。
 じゃあ後で朝食を一緒に食べましょう。見たところ、夕食も食べてないようですし。」
 テーブルをふと見遣って、ではおやすみなさいと言ってからジョミーは立ち上がった。
 …やはり、もう行くのか…。
 それはそうだ、彼だって仮眠くらい取らなければいけないだろう。
 しかし、ジョミーはいったん立ち上がったが、何か気になることがあるらしく、再度腰を下ろしてブルーを覗きこんだ。
 「何か、僕に言いたいことでもあるんじゃないですか?」
 「言いたいこと?」
 「もの言いたげな顔をしていますので。」
 そんな風に正面から聞かれても、何を答えていいのか分からない。
 「何もない。
 それより君だって休まなければいけないんだろう。部屋に戻ったほうがいい。」
 その返事に、ジョミーは眉を寄せた。どうやら気になって立ち去りにくいらしい。少し考える仕草をして、それからいいことを思いついたように笑った。
 「じゃあ僕もここで寝ていいですか?」
 …なぜそうなるんだろう?
 ジョミーの思考自体についていけない気がする。
 「このベッドは広いから、もう一人くらい寝ても大丈夫でしょ?」
 それは問題なさそうだが…。
 誰かと一緒に寝たことなどないのだから、そのこと自体に戸惑ってしまう。しかし、ジョミーはというと、そんなことはまったく気にしていないようだ。
 「ほら、あなたさっき眠くないって言ってたじゃないですか。
 誰かの気配を感じると安心して眠れるって言うから、一緒にいればよく眠れるかなって思って。」
 それは、常に周りに人がいることに慣れているものの場合だろう。慣れていないとむしろ逆効果なのでは…。
 「じゃあちょっと詰めてもらえますか?」
 言いながら、ジョミーはするりとベッドに入る。そもそも、詰めるまでもなく、このベッドは広いからもう一人分くらいのスペースは十分にある。
 ふと隣を見て、こんなに間近にあるジョミーの顔に、どきりとする。人がこんなに近くにいる経験など今までにないせいだろう。
 「あなたの目をこんなに近くで見られるなんて、すごく嬉しい。」
 ジョミーはというと、そう言いながら本当に嬉しそうに笑う。
 そういうジョミーの目のほうが、今は月の明かりを反射して蒼く見え、その色合いに安堵感を感じるというのに。月の光には魔力があると言われるが、あれは本当なのかもしれない。
 そういえば、日の光もそうだが、月明かりもあまり見たことがない。こうして窓越しに柔らかな光を受けていると、改めて外に出たという気がしてくる。この瞬間に、ジョミーと出会ったのは何か意味でもあったんだろうか…。
 「ジョミー…。」
 何を話そうと思ったのか、自分でもよく分からなかったが、改めてジョミーに視線を戻して。
 …唖然とした。
 さっきまで起きていたのに…。
 すっかり寝入ってしまったらしく、ジョミーは寝息を立てていて起きそうな気配がない。よほど疲れていたらしい。
 まるで子供のようだ…。
 ジョミーの寝顔はあどけないといっても差し支えないくらいだ。その幼い顔つきと規則正しい寝息の音に、ブルー自身もいつの間にか眠りの中に引き込まれていったのだった。
 
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        | というわけで、やはりお子様な展開でした。まあ、一足飛びにアレにはならないと思って…。(汗)フィシスのダイナミックさはこのあと徐々に…。 |   |