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    「怖くないですか?」地上が遠くなるさまを見ていたら、彼から声をかけられた。表情はにこやかで、先ほど怒りようは、今はまったくないらしい。
 感情が豊かで、表情がよく変わる。ジョミー本人は自分のことを天使ではないと言ったけれど、やはりどう見ても昔絵本で見たことのある天使の姿そのものだ。おまけに、こうして密着していると、ジョミーのにおいを感じる。これは外の、というより日の光のにおい…?
 「大丈夫ですか…?」
 返事がないことで心配になったようで、再び問いかけてきた。
 我に返って返事をする代わりに黙って首を振ると、ジョミーは安心したようによかった、笑ってから話題を変える。
 「この辺は、よく魔物の出没するところだったんですか?」
 村を見下ろしながら言われたその台詞に困惑した。知らないのだから答えようがない。
 「…さあ。僕は外に出たことがないから。」
 「え?」
 さすがに、その答えにはジョミーもおかしいと感じたらしい。
 「それに、誰も僕の前では魔物の話などしなかったから。」
 「あの、外に出たことがないって…、最近ですか?」
 「物心ついてからずっと。多分生まれたときからだと思う。」
 ジョミーの目が訝しげに細められる。
 「…それはどういうことでしょうか…?」
 自分の生い立ちがあまり一般的でないとは分かってはいたから、ジョミーが疑問に思うことも大体想像がついた。
 「言葉どおりだ。
 僕が外に出たのは今が初めてで、それまではずっと家の中のあの部屋にいた。」
 ジョミーの怪訝そうな顔が、信じられないものを見るような表情に変わる。
 「…どうして、と聞いていいですか?」
 「誰もはっきり言ってくれなかったが、多分この目が問題だったんだと思う。」
 「目…ですか…?」
 そう言ってもジョミーにはよく分からなかったようだ。僕の顔を、というか目を見つめたまま不思議そうな顔をしている。
 「血の色を宿していて気持ちが悪かったんだと思う。それを村人に知られるのも、恥ずかしかったんだろう。」
 「…そんなに綺麗なのに…?」
 そんな感想は初めて聞いた。有翼種族とは、普通の人間とは感性が違うものなのか。
 「あの、ちょっと待っててください。」
 ジョミーは羽ばたきを押さえ、降下する。
 小高い山の頂上に着いたところで、すとんと降りると、同時に背後の翼を消した。
 便利なものだと思った。あれだけ大きな翼は普段の生活では邪魔になるだろうし、出し入れ自由というのは都合がいい。
 「…もう着いたのか?」
 「ああ、いえ。目的地はここではないんですが、あなたと少し話をしたいと思いまして。」
 「さっきから話をしていたと思っていたが。」
 「飛びながら話す内容ではない気がしたので。」
 どこで話そうが同じだと思ったが、君がそう言うのだから特に反対することもあるまい。そう思って黙っていた。
 とりあえず座りましょうと言うので、座って向かい合う。
 「さっき、外に出たことがないのは、あなたの目が原因だと言いましたよね?」
 確認を取るように喋っている。そこまで信用できないと思われているのだろうか。
 「その原因については、本当のことを言うと僕には信じられませんが…。では、あなたはご家族以外とは話したこともないんですか…?」
 「皆気味悪がっていたから、誰とも話したことはない。」
 「ご家族の方とも、ですか…?」
 「家族に限らず誰とも。」
 そう言えば、今度は次の言葉が出てこないかのように黙り込んでしまった。何かを言おうとして、口を開きかけて、結局何も言わずにうなだれる。
 「そ、んなことって…。」
 しぼり出すように言った言葉も、その先を続けられずに終わってしまう。
 ひどく衝撃を受けているように見えるが、他人のことなのに、何をそこまで驚く必要があるのか、と思うのだが。
 「だからかもしれない。
 君は気にしてくれていたようだが、僕は彼らの死に対して、何も感じていない。」
 あまり勘違いして気遣われるのも、と思って正直に言ってみたが、ジョミーはそうですか、と小さな声でつぶやいただけだった。
 しかし、その次には悲しげな目をしてこちらを見つめてきた。
 「憎んで、いるんですか…?」
 「憎む?」
 少し考えてみたが、そんな感情はない。
 もともと言葉さえ交わしたことがないから、相手について知っていることはほとんどないし、憎むような要因すらない。
 「悲しんではいないが、憎んでもいないと思う。」
 そう言うと、目の前のジョミーの目にみるみる涙があふれてきた。大きく見開いた緑の瞳から涙がこぼれ、頬を伝って地に落ちる。
 いくら少年らしいとはいえ、自分と同年代くらいのジョミーが泣く姿に、疑問符ばかりが頭を占める。
 何か泣くようなことを言っただろうか…。
 「…なぜ僕が泣いているのか、あなたには分からないのでしょう…?」
 不思議に思っていることが、表情に表れているのだろう。ジョミーは泣き顔を隠そうともせず、まっすぐに見つめてくる。
 「そうだね、分からない。」
 ただ。
 ジョミーが泣いているわけは気になった。だから、理由を教えてもらえるだろうか?と尋ねたのだが。
 「…あなたが泣かないからです。」
 …その答えに、さらにわけが分からなくなった。僕が泣かないことと君が泣くことと何がどう関係するのか。そもそも、僕自身泣きたいとは思っていないというのに。
 やっぱり分からないんですね、ともう一度言う。
 「すまない。」
 「いいえ、あなたが悪いわけじゃありませんから!」
 …驚いた。
 軽い謝罪に対して、過剰と思えるほどの反応。その途端、さらに涙があふれてきたようで、ジョミーはうつむいて片手で顔を覆った。
 「…あなたのせいじゃ、ない…。」
 嗚咽の間のしぼり出すかのような声。
 …こんなとき、どう声をかけるべきか分からない。そもそも、君が泣いている理由がよく分かっていないのだから、的確な慰めの言葉などかけられる自信がない。
 でも。
 君が泣いているのは、見たくないような気がする。
 泣かないでほしいと言おうとしたけど、言ったところでそれが何だろうと思うと、口に出すこともはばかられた。
 「…すみません…。」
 ジョミーは大きく息を吐いたあと、気分を入れ替えたかのように涙をぬぐって顔を上げた。泣いた跡はあったが、それ以外は普通どおりのようだ。その表情にほっとした。
 「すっかり時間をとってしまって、ごめんなさい。
 じゃあそろそろ行きますね。えっと…。」
 今度は先の涙で潤んだ目で笑いながら何かを言いかけて、困ったように口ごもった。
 「…あの、名前教えてくれますか?」
 「名前…?」
 「ええ、あなたの名前。」
 僕の名前を呼ぼうとして、知らないことに気がついたらしい。
 しかし…。考えてみたが、これまた答えられない。
 「そういえば、自己紹介がまだでした。僕はジョミーっていいます。」
 それは知っている、そう呼ばれていたから。
 「その、教えてもらえないでしょうか?どんな名前でも笑ったりしませんから。」
 こちらの沈黙を誤解したらしく、ジョミーは神妙な顔で言う。
 「分からない。」
 「え…?」
 「呼ばれたことがないから、僕の名前自体がよく分からない。それがおかしな名前かどうかも。」
 その返答に。また泣きそうな顔になったが、今度はこらえたようで、ジョミーは少しうつむいてから顔を上げた。
 「そうなんですか…。
 でも、名前がないといろいろと不便だし…。」
 見ず知らずの自分のためにジョミーが悩む様子を見ていると、分からないのが悪いような気がして、もう少しだけ考えて、ふと思い当たることを口にした。
 「ただ…、誰のものか分からない名前は記憶にあるが。」
 でも、本当に誰のものか分からない。一緒に暮らしていた誰のものでもない名前としか分からないものだが。
 「ああ、そうなんですか!それなら、その名前をあなたのものにしてしまいましょう。」
 あっさりと笑顔で言うジョミーにこちらが戸惑う。
 「…どうやって?」
 「簡単です。僕がその名前であなたを呼んで、あなたがそれに応えればその名前はあなたのものにありますよ。それに、もともとあなたの名前かもしれないんでしょ?」
 …名前とはそんなものか…?
 戸籍という名の公の文書に登録し、家族的身分関係を明らかにすることができて、初めて名前を得ることができるのだと思っていた。少なくとも、以前読んだ書物にはそのような書き方がしてあったと思うが。
 しかし、そういう意味では僕は存在しないのだろうけど。
 「それで、なんていう名前なんです?」
 子供のように身を乗り出して聞いてくるジョミーに、何となく気圧される。
 「…ブルー。」
 その名を口にすれば、ジョミーは嬉しそうにうなずいた。
 「うん、いい名前ですね。
 じゃあブルー、僕は今からあなたを送ってもう一度あなたの住んでいたところに戻りますが、夜には帰ってくるつもりです。
 そのときにあなたが起きていれば、一緒に紅茶でも飲みませんか?」
 …変なことを言う。僕の予定などあるわけもないのに。
 「…君がそうしたいのなら。」
 「はい、これでブルーはあなたの名前です。」
 …そんな簡単なものでいいのだろうか…。
 こちらの戸惑いをよそに、ジョミーは微笑みながら続ける。
 「それとあなたが休んでいたら、翌日の都合のいい時間にしますから、僕を待っていなくてもいいですよ。」
 しかし、笑っていたジョミーがふと真顔になってじっとこちらを覗き込んできた。
 「それから、ほかの人がどう言っていたかは知りませんが、僕はあなたの目ってルビーみたいで綺麗だと思います。」
 …君の緑の瞳のほうがよほど綺麗だろうに。
 そうは思ったけれど、意見を求められたわけでもないし、口に出して意味のある言葉とも思えなかったので、結局黙っていた。
 「…いえ、訂正します。」
 そっとささやかれた声に、顔を上げる。
 「あなたの目はどんな宝石よりも綺麗です、ブルー。」
 
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        | ジョミブル第2弾!まだまだ道のりは長そうだね、ジョミー。モノにするまでがんばれ〜とここでエールを送っておく。ああ、それよりも放置状態の連載をやらねば…。 |   |