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 こんなときに風邪をひくなんて…。健康だけが取り柄なのに、これじゃ何も取るところがなくなってしまう。
 40度近い熱など久しぶりで、ちょっとの風邪なら出歩くところなのに、それさえできない。これであの人とどのくらい会っていないんだろう。夢の中のあの人があまりにも痛ましかったので、早く笑顔を見たかったのに…。
 
 ひんやりとした感覚にほっとする。熱くなってぼうっとした頭が冷えていくような感じだ。
 「え…?」
 目を開けて、ウソ…?と思った。紅い瞳が心配そうにのぞき込んでいる。
 なぜ?どうしてここにこの人がいるんだろう?
 「起きなくていい。」
 反射的に起きようとしたのだが、それより先にこの人から制止がかかった。
 「君がしばらく顔を見せないから、どうしているかなと思って来てみただけだから。」
 微笑みながら見つめられると、火照った顔が余計に熱くなった気がする。
 でも、よかった。今のこの人は笑っている。
 「最近冷えてきたから、身体が弱っていたのかもしれないね。」
 額に置かれた手が冷たくて気持ちいい。この人って元々体温が低いのかな?それとも僕の熱が高すぎるだけかな。ってあれ?
 「あの…、あなたの手が…。」
 触れることができなかったはずの、この人の手を感じることができるって、一体…?
 「こういうこともできるんだよ。」
 そう言いながらいたずらっぽく微笑む。
 それならいつもこうしていてくれればいいのに。
 「透けていないと、死んでいる自覚がなくなりそうだから。」
 冗談めいた言葉に、今度は脱力する。
 …別にそんな自覚なくてもいいと思うけど。
 「それに、あなたはあの場所から動くことができないんじゃないんですか?」
 「そんなことはない。」
 「え…、そうなんですか…?」
 言われてみれば、そんなことは聞いていない。どうも自縛霊と混同していたらしい。
 この人の笑みが深くなった。
 また、面白いことを言う奴とでも思っているのだろう。でも、いいや。この人がいるだけで気分がいいし。
 「あなたの手、冷たいんですね。気持ちいい…。」
 それを聞くと、この人は一瞬驚いたような顔をしたあと、笑った。それはどちらかというと、苦笑いに近かったが。
 「…同じことを言う。」
 誰のことを言ったのか、表情を見ているだけで聞かなくても分かってしまう。
 「…あなたと仲のよくなかった人も、風邪を引いたことがあったんですか?」
 「よく分かったね、彼のことだと。」
 驚いたようだったが、過去の話題に出てくる人物は一人だけかと思い、納得したらしい。
 「そうだね、丈夫なだけが取り柄の彼が風邪を引いたのは一度だけだったけどね。」
 その言葉に、まるで僕みたいな人だなと思った。
 「でも、今のようにそばにいると、彼に叱られた。風邪がうつるとね。」
 「あ、そうですね、僕のそばにいると、あなたに風邪がうつってしまう。」
 「ほら、こうしていると君も忘れてしまうだろう?
 僕はもう身体を持たないから、風邪のうつりようがないんだよ。」
 笑いながら言われて、ああそうだった、と思った。
 「だから、気にしないで眠ればいい。君が眠るまで僕はここにいるから。」
 そんなもったいない。
 つい思ったのがそれだった。
 せっかくこの人がここにいるのに、眠ってしまうなんて。眠ってしまったら、あなたの顔が見えなくなるし、声だって聞こえなくなってしまう。
 「…僕がいると眠れない?」
 「あ、いやその…。」
 そのとおりなのだけど、そういう意味じゃない。
 ああ、それをどう説明すればいいんだか。説明を間違えると、この人はこのまま帰ってしまいそうだし。
 「でも、風邪には休養が一番の薬だから。」
 やっぱり言われると思った…。
 でも、目を閉じると本当に寝てしまいそうだ。この人の低い声には安心感があるせいか、今も眠くてたまらない。
 「でも…、僕が起きたときにはあなたはもういないんですよね…?」
 言ってからしまったと思った。まるで駄々っ子がわがままを言っているみたいだ。
 案の上、この人は困惑顔になった。
 「あの…、すみません!あなたを困らせるつもりはなくて…!」
 「では、君が眠っている間も僕がずっといると約束すれば、休んでくれるかな?」
 「え…?」
 なんだか『瓢箪から駒』という言葉が思い浮かんだ。
 「…いいんですか…?」
 「君のほうこそ僕がここにいたら迷惑では?」
 「そんなこと全然…!」
 本当はずっといてほしいくらいだから!
 
 
 
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