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    『僕の大切な花嫁』…。この災害に際して、フィシスに預けるといったブルーの婚約者。その存在が気にならないといえば嘘になるけれど、ジョミーは王城が最も被害を受けるだろうという予言のほうがよほど気になった。
 もし…。もし国王様に何かあったら…? でも、武道に秀でた方だから、そう簡単には倒されたりしないと思うけど…。今回は相手が悪い。
 ジョミーは部屋に戻って、そんなことを延々と考え続けていた。
 だって…相手はグランド・マザーなんだから。恐ろしい魔力、残酷なまでに容赦のない攻撃力。どれを取ってみても、ただの人間には不利なのに…。ああ、あの人が国王でさえなければ…王城など放り出して逃げてといえただろうに。しかしそれは、責任感の強いブルーにとってはとても承諾できるものではないだろう。
 そのとき、部屋のドアがノックされた。
 「私です、入りますよ?」
 ドアの向こうからフィシスの声がした。ジョミーは居住まいを正してドアを見つめた。
 「ジョミー…あれほど部屋から出てはいけないと申し上げておりましたのに…。」
 なんと、フィシスにはジョミーが神殿の廊下で二人の会話を伺っていたことなどすっかりお見通しだったらしい。
 『ご、ごめんなさい、巫女姫様。でも…!』
 「フィシス、とお呼びくださいな。でも…何ですか?」
 優雅な微笑みを称えた彼女は、困ったように首をかしげた。
 『あ、あの…王城の被害が大きいっていってましたが、それは…。』
 「王城のことについては、陛下に任せておきましょう。あなたは、余計なことを考えず、こちらで精進なさってください。私も被害を防ぐため、できるだけのことはするつもりですから。」
 『……。』
 やはり、自分にできることはないらしい。
 「ジョミー、海魔使いからグランド・マザーがどんなに恐ろしい怪物かということは聞いておりますわ。ですが、ああ見えて、陛下はこの国一番の剣豪ですから、心配要りません。」
 もちろん、自分自身もそう思っている。しかし…心配なものは心配なのだ。
 『うん…。』
 「くれぐれも、短慮は起こしてはいけませんよ?」
 『う…。』
 フィシスに釘を刺され、ジョミーは不承不承うなずいた。
 だが、心の中ではブルーのことが気になってたまらなかったのである。
  その夜。ジョミーはこっそりと神殿を抜け出した。黒いフードつきの外套を目深にかぶり、暗闇に溶け込むように走ってゆく。が…。
 …お…重い…。
 あまり動かないときには思わなかったことだが、やたらと胸が重たい。ブラジャーというものをつけているが、やはり重いものは重い。
 でも…ぐずぐずしてはいられない。人目につかぬ前に神殿に戻らなければいけないし。そう考えて、海岸に急いだ。
 到着した場所は、岩場だった。そこから海を覗き込み、必死になって呼びかけた。
 お願い、誰か来て!
 人魚だったころにできた、魚を呼び寄せる術は今使えるかどうか分からない。でも、グランド・マザーのことはフィシスやブルーに任せたほうがいいというキースに頼れない以上、これしか方法がない。
 グランド・マザーの企みを知りたい…! それが分かれば、国王様のお役に立てるかもしれない!
 おそらく。情報のない中、城を防御するべく作戦を練っているだろう彼の人を思う。グランド・マザーの狙いさえ分かれば、お叱りを覚悟の上でフィシス様に事情を話して何とかなるかもしれないし…!
 『ジョミー?』
 その声に周りを見るが、誰もいない。だが、その声は優しいかつての友人のものだ。
 『サム…? サムなのか!?』
 どうやら、海の底の友人は声だけを届けてきたらしい。
 『ジョミー、久しぶりだな。人間になったってうわさ、本当だったんだ。』
 『うん、ごめん。何もいわなくて…。』
 誰かに相談している余裕など、なかった。ただ彼の人の傍へ。そればかりを考えていた。だが、サムは怒るどころか安心したように笑った。
 『いいよ、それより俺も用があったんだ。ジョミーのいるところはシャングリラだろう?』
 『? うん、そうだけど…。』
 『すぐに逃げるんだ。グランド・マザーがその国を襲うそうだ。』
 『サム!? 何か知ってるのか?』
 『ああ、グランド・マザーがシャングリラの双子の宝石を貰い受けると今さっき出て行ったところだ!』
 双子の宝石? 何だそれは?
 『どうやらそれは王城にあるらしい。ジョミー、王城からできるだけ離れるんだ!』
 王城…? 質素なつくりのお城にそんなものがあるんだろうか?
 『そんなはず…。』
 ない、といおうとして。
 『何でも、シャングリラの王様が持っている、二つの美しい紅玉を奪い取ることができれば、グランド・マザーは永遠の命を手に入れることができるっていう話なんだ。それであいつは躍起になって…。』
 国王様が持つ…二つの紅玉…?
 本人自体は派手だが、華美なことを好まないブルーがそんなものを持っているのだろうか、と思いかけて。
 『まさか…。』
 嫌な予感に襲われた。ブルーが持つ二つの紅玉とは…。
 『グランド・マザーは…ここに向かってるって…?』
 フィシスに伝えるため神殿に戻っていたのでは間に合わない…!
 『そうだ、もうすぐ見えてくると思うぞ。』
 ジョミーは海の彼方を見つめた。幸いまだグランド・マザーの気配はしない。
 『ありがとう、サム!』
 『いや、お前に会えてよかったよ。いいか? できるだけ王城から離れるんだぞ!』
 ジョミーは慌てて岩場から走り出した。向かった先は、サムが離れろといっていた王城である。
 国王様に知らせないと…! グランド・マザーの狙いは、国王様のあの綺麗な瞳なんだ…!
 自分が恋したあの紅い瞳を奪われるなんて…!!
 冗談じゃないと思った。相手が誰であろうと、愛しい彼の人は絶対に渡さない! この姿を国王様や他の人に見られたら、女性になることはできなくなってしまう。そんなことが頭をよぎったが、それでもジョミーは神殿に戻ろうなどと思わなかった。
 …もともと、国王様を見守るだけでいいって思ってたんだから! 国王様は、フィシス様に託した大事なお嫁さんと一緒になって…。
 ジョミーの足が止まった。そう考えた途端、ひどく悲しくなったが、頭を振って再び王城を目指して走り出した。
 …それでいいじゃないか。国王様には好きな人と一緒になってもらえれば…。僕の大切な人が幸せになるのに、何の迷いがある…!
 王城は高台にある。その門の前に到着したときには、さすがのジョミーも息切れが激しくて、しばらく門柱に背中を預けて呼吸を整えざるを得なかった。
 「誰だ…!?」
 そのときに聞こえた声にどきっとした。覚えのあるその声、この姿を見られたら、もう女性になれないけど…。
 ジョミーは意を決して声のした方向を振り返り、フードを取った。門の向こう、警戒するように剣を抜きにかかっていたリオは、ジョミーの顔を見るなり呆気に取られた表情になった。
 「ジョミー…! どうして…?」
 フィシス様のところにいるはずじゃ…と言いかけたが、遠くから低いうなり声のようなものがするのに、はっとして顔を上げた。津波のように見えるが、そうじゃないことは一目瞭然だ。
 『リオ、国王様はどこ!?』
 「ジョミー、そんなことよりも早くフィシス様の元へ…!」
 『僕、国王様に知らせなきゃいけないことがあるんだ…! そこを退いて!』
 そういってもリオは動こうとしない。それどころか、ジョミーに手を伸ばし、動きを封じようとする。
 ダメだ、こんなところで足止めを食うわけにいかない…!
 ジョミーはフェイントを使って、リオの横をすり抜けた。後ろでリオの自分を呼ぶ声が聞こえたが、構わず城内に走り出した。
 多分、国王様は家来の人たちと中庭にいる…!
 以前、地方巡りの壮行会が行われたその場所に。ジョミーの予想どおり、白皙の美貌に厳しい色を浮かべて、眼下に見える荒れ狂う海を見据えている彼の人の姿があった。
 ダメ…。隠れて、ブルー!
 心の中で叫んだ声が聞こえたわけではないだろうに。ブルーはふっとこちらを振り返り、呆然としてジョミーを見つめた。
 永遠の命をもたらす二つの紅玉。
 それが本当かどうかは分からないが、そういわれるだけの美しさと尊さを兼ね備えているその瞳…。
 絶対…渡さない、と。
 ジョミーは強く思った。
 
 
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        | 次の展開。「なぜここに来た!?」『あなたが心配だったんです…!』「僕のことなど構わずに、君は逃げるんだ、さあ!」『あなたを置いてなんて逃げられません…!あなたは僕の大切な…』「…ジョミー…」…。で、馬鹿馬鹿しくなって帰るグランド・マザー。…無理か…。 |   |