ジョミーは異国の白装束で、フィシスが錫杖を持って舞う姿を見つめていた。神事の手伝いと言っても今は後ろでフィシスを眺めているだけで、彼女が舞い終わった後手にしている杖を預かり、神殿に持っていくといったものであるため、とりあえず今はすることがない。
それよりも…。
『ジョミー、あなたの身体を女性のものに変えて差し上げましょう。』
昨日微笑みながら言われたフィシスの言葉を反芻して、ジョミーは困ったようにため息をついた。
「ジョミー、あなたの身体を女性のものに変えて差し上げましょう。」
聞いたそのときは、驚きのあまり固まってしまってまったく反応できなかったのだが、フィシスはそれを気にした風もなく続けた。
「海魔使いお一人では力不足ですが、私が力を貸しますわ。」
「これはこれは…。天球の巫女姫は手厳しいな。」
隣に座ったキースは苦笑いしながら自信たっぷりのフィシスをちらりと見た。
「でもそういうことだ。お前は放っておくと変なことで悩みまくるから、さっさと収まるところへ収まってしまえと思ってな。」
『収まるところへ…って…。』
「お前に任せておくと単純な話も複雑になりそうだから、女になってあの男の王妃にでも愛妾にでもなればいい。そうすれば大手振ってあの男と関係を結べるだろう。」
『キース…っ!』
「まあ、それは言葉が過ぎるのではありませんか?せめて、既成事実を作りなさいとおっしゃったほうがよろしいのでは?」
…それは表現が違うだけで変わらない、とジョミーは脱力しながら思った。その爆弾発言をした巫女姫は、にこりと笑う。
「でも、確かに海魔使いのいうことにも一理あるのです。陛下は公人ですから、男の子を正式に妻に迎えようとすれば、国民から反発されるかもしれません。王政国家にとって、国王が国民の支持を失うということは由々しき問題です。国民の政治離れが進み、ゆくゆくは国家の弱体化を招きます。それに、国民が了解したとしても、法律の改正や制度面の変更、その他いろいろな問題がありますので時間ばかり取られることになってしまいます。ですから、ジョミーに異存がなければ、あなたの身体を女性のものにしてしまったほうが一番よいことだと思うのです。」
そりゃ…それで国王様が喜んで僕をお嫁さんにしてくれれば万々歳だけどさ…。ジョミーは微笑むフィシスを見つめて息を吐いた。
だって…国王様には恋人がいるんだから…。それはフィシス様じゃないみたいだけど、きっと綺麗でおしとやかで王妃に相応しい女性に違いないだろう。ああ、ダメだ、なんだか落ち込んできた…。
「それから私が急にあなたを舞踏会から連れ出したのは、何も陛下への嫌がらせのためだけではないのですわ。」
ジョミーの揺れる内心に気がつかなかったように、フィシスはさらに続けた。
「昨日の占いで、この国に水難の警告が表れたのです。漁業が盛んなわが国のこと、それが海にまつわることだと確信できるのですが…一体何を意味しているのかは分かりません。津波が押し寄せるのか、漁船の海難事故が多発するのか…。それで海魔使いにここに来てもらったのですが…。」
…フィシス様とキースが一緒にいるのはそういう背景があったんだ…。ジョミーは目を瞠って二人を見比べた。
「でも、残念ながらよく分からないのです。これだけはっきりと水禍の予兆が表れているのに、その原因や現象が特定できないということは今までなかったことなのです。考えられるとすれば…。」
「海の魔女、グランド・マザーの気まぐれだろうな。」
フィシスの言葉を引き取ったキースが、渋い顔を作る。
…グランド・マザー?
懐かしい響きに、ジョミーの眉間にしわが寄った。
「お前も知ってのとおり、グランド・マザーは気に入らない村を水害に遭わせて全滅させるなんてことはザラで、気分次第では信心深い漁村にさえ災厄をもたらす。今回はどうもそれらしい。だが、目的が分からない。この国にいるお前に気がついたような様子はなかったんだが、念のためと思ってお前をマザーの力をもってしても破ることのできない結界を張るこの神殿へ連れてきたということなのだ。」
そ…んなことって…。
ジョミーは信じられないという気持ちで、キースを見つめ返した。
『僕が…原因で…?』
それならすぐにこの国を去らなきゃいけない…。国王様の、ブルーの大切な国民を危険にさらしちゃいけない…!
だが、キースはやれやれといった様子で額を押さえた。
「…だから、お前はどうしてそう短絡的なんだ。マザーの目的は分からないし、増してやあの女がこの国に固執するのはお前がいるためだなんて思っちゃいない。ただ、もしも彼女自らが王城まで攻め込んだとしたらどうなると思う? 読心術に長けたあの女のことだ、鉢合わせしたお前を見て、人間になりたがるほど恋した男と引き離してやるのも一興だと思うくらい予想はできるだろうが! とばっちりで海に連れ戻されるなんて冗談じゃないと思わんか?」
そ、それはすごく困る…。
ジョミーはぶんぶんと首を振った。一方、一通り説明がてら怒鳴ったキースは、こほんと咳払いした。
「…とにかく、グランド・マザーのことは、こちらの巫女姫に任せておけ。女傑同士、何とかなるだろう。」
「まあ! それはあんまりですわ!」
さすがにむっとしたようで、優雅で気品のあるはずの巫女姫は慌てて叫んだ。だが、フィシス自身もいつもの自分らしくないと思ったのか、気を取り直してほのかに笑いながらジョミーを振り返った。
「その問題は…この国にかかる災厄のことは海魔使いのおっしゃるとおり、何とかいたしましょう。そのために私がいるのですから。」
でも、とフィシスは笑顔で続ける。
「ここで発想を変えることにしましたの。せっかくあなたにここに来てもらったのですから、どうせなら一石二鳥といきましょうと。」
『え…? あの?』
…一石二鳥? って…ナニ?
ジョミーは戸惑ってフィシスを見つめた。
「女性の身体になることは、実はさして難しいことではありません。それを一生涯維持させるには、固定化のためにしばらく宮籠もりに入っていただく必要があります。期間は28日間。月の暦でひと月ということです。その間は、他人に会うことは許されません。具体的に申し上げますと、祈祷者である海魔使いのキースと私以外、ということになります。」
…それじゃ…国王様とは…?
「陛下とは28日間会えないことになりますが、大丈夫。私が責任を持って陛下をここには入れさせません。」
ジョミーはその言葉に呆気に取られた。
そんな…国王様と一ヶ月も会えないなんて…。
ジョミーは初めてブルーを見たときのことを思い出していた。あのときは船上でのパーティでもあったのだろう、華やかな音楽にきらびやかな光。そんな楽しげな雰囲気に好奇心を抑えられず、海の上に顔を出して船を伺っていた。
そのときパーティを楽しんでいた一団から離れ、甲板を歩いてきた人影があった。月を思わせる銀の髪、憂いを含んだルビーの瞳。その容貌に、ジョミーはひと目で彼に心を奪われてしまった。
…人間にこんな綺麗な人がいるなんて…。
人間は汚い。卑怯で利用できるものは何でも利用して、後は知らんふりだ。そう今まで教えられてきたというのに、この人はどうしてもそう思えなかった。
騒がしいのが嫌いなんだろうか…?
甲板の手すりに寄りかかったまま、暗い海をじっと眺めている。これだけの距離だ、彼から自分の姿は見えているはずはないのに、ジョミーは胸がどきどきした。ジョミーから見る彼の人は、美しい星空を背にした、夢のように美しい王子様に思えた。
どのくらいそうしていただろうか、着飾った女性が彼の人に声をかけてきた。今から思えば、彼の人が彼女に向けた笑顔は儀礼的なものだったのだろう。しかしそのときには、優しく慈愛に満ちたその微笑みにうっとりとしてしまった。そして、そのまま彼の人は相手の女性とともにパーティに戻っていってしまったが、ジョミーはその人のことがどうしても忘れられず、友人の人魚や魚たちに彼の人の特徴を説明して回って、憧れの彼の人がシャングリラの国王だと突き止めたのである。
その時点で彼の人を見てから5日間が経っていた。そしてその足でキースのところへ出向いて、この身体を人間にしてくれと半ば脅して頼んだわけなのである。
あのときでさえ、5日間がまるで何ヶ月も経っていたような感覚になった。それなのに…国王様と1ヶ月も会えないなんて…。それに…その間に国王様は恋人とデートなんかしちゃったりして…。それでもって、キ、キスもして、それからベッドに入って…。
ジョミーは青ざめたかと思うと次には頬を真っ赤にして、今度は泣きそうな表情でフィシスとキースを見つめた。
「…また出たな、考えすぎのクセが。」
「…陛下のほうこそ禁断症状に苦しみそうなのですけどねえ。」
しかし二人は苦笑いしてまったく他人事のようである。
『だ、だって…!』
「大丈夫ですわ、ジョミー。陛下はずっとあなたを待っていますから。」
ふわりと微笑むとフィシスは自信たっぷりにうなずいた。
ほ、本当だろうか? あんなに綺麗な国王様だもの、きっとモテモテで僕のことなんか忘れてしまうに違いないのに…。
「ではジョミー、あなたが安心できるように説明しましょう。陛下の心はあなただけのもの、といっても信じてもらえないようですので、もっと現実的な話をします。わが敬愛する国王陛下の婚約者は誰でしょう? 国内にも、諸外国にも、シン子爵のご令嬢、ジョミー・マーキス・シンだと知れ渡っております。ここで、陛下が他の女性と情を通じるなどということが起きるとどうなると思いますか?」
そう言われて、ふと考えてみる。
…確かに国王様からは、婚約や結婚の相手への裏切りは厳しく処罰されると聞かされたばかりだ。
「ですから、法律面から見ても陛下が浮気するなどありえないのです。」
分かっていただけましたか? と微笑むフィシスにうなずきはしたものの、だからと言って国王様と会えない寂しさはどうしようもない。
だが、フィシスはすでに気持ちを切り替えてしまっていたようで、では、と話を変えてきた。
「明日の神事が終了次第、祈祷に入りましょう。またそのときに。」
「承知した。」
フィシスに話をふられたキースはにやりと笑うと、ジョミーを見て。
「よかったな、これでお前の心配の9割は減るぞ。」
そう、含みありげに囁いたのだった。
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ジョミー女体化計画発動〜♪ は、いいとして…。女傑同士の対決…見たくないような…。 |
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