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    馬車の中では、巫女姫は微笑みながら神楽の奉納の手順を説明して、『決して難しくありませんから』と言ってくれた。しかし、ただただ恐縮しているジョミーには、その内容はほとんど頭に入ってこない。…ど、どうしよう…。
 国王の恋人である巫女姫とこうして一緒にいるだけで申し訳ないという気持ちになるのに、明日の神事にまで参加するだなんて!
 「ジョミー、そう緊張しないでくださいな。」
 フィシスはそう言いながら穏やかに微笑む。
 「そうですわね、明日のことは神殿についてからゆっくり話しましょう。」
 美しいだけでなく、優雅で高貴な巫女姫は、そう言ってから神妙な顔で頭を下げた。
 「ジョミー、どうか陛下を許してあげてくださいね。あの方は、今まで心を許し合える相手がおらず、大勢の家臣に囲まれながらもずっと孤独でいらしたのです。それが、ある日海の女神からの賜り物のごとく、突然純粋で可憐なあなたを授かったものですから、舞い上がってしまっているのですわ。」
 そう言われるのに、ジョミーは目を丸くした。
 だ…って、許すも許さないも、僕は国王様の傍にさえいられればそれでいいと…。
 「そうですか、ありがとうございます。陛下に代わってお礼を述べさせていただきますわ。」
 そういわれるのに、はたと我に返る。
 僕…、巫女姫様の前でなんてことを…!巫女姫様に対して、恋人である国王様に横恋慕しているということを堂々と考えてしまうなんて…!
 フィシス様は神様の声を聞く神聖なお方。何もかもお見通しで、シャングリラ最高機関の国王陛下でさえ頭を下げる存在だというのに…!
 「まあ、ジョミー。そんなに固くならなくても。私は陛下のよき相談相手であると自負しておりますが、決して恋愛感情を持ってはおりません。陛下もそれは同じです。」
 お二人はお似合いで、巫女姫様は僕なんか足元に及ばないほど美しい方なのに…! と思いかけて。そのあとジョミーはえっ? と目を丸くした。
 恋愛感情を持たない…? 国王様も…同じ…?
 「ええ。先々代の巫女姫が陛下のお母上であられたことで、陛下と私のことを恋人同士と誤解されている人もいらっしゃるのですが、陛下は私のことを妹と思っておいでなのです。私も陛下のことは兄という意識でおりますわ。」
 そう微笑みながら言われるのに、目を丸くしてフィシスを見返した。その様子に、彼女は苦笑いを浮かべた。
 「まったくもう、あの方は…。あなたに嫉妬してもらいたかったのでしょうね。それがために、あなたに辛い思いをさせてしまったというのに…。」
 で、でも…じゃあ国王様の好きな方って一体…?
 「陛下がしっかり反省なさるまで、私の神殿でおくつろぎくださいな。龍宮の姫君。相談したいこともありますから。」
 しかし。フィシスの言葉に、今度こそジョミーは驚いて動作が止まってしまった。
 今、巫女姫様は何と…? 僕のことを、龍宮の姫、と言わなかったか…?
 そのおかげでフィシスが『相談したいことがある』といったことについては、完全にスルーしてしまったジョミーだった。
 「さあ、もう神殿に到着いたしますわ。」
 フィシスはその事には触れず、閉じた目を馬車の窓の外に向けた。ジョミーもつられて外を見ると、質素だが荘厳な建造物が見えてきた。馬車はそのまま門を抜けて、玄関前で止まる。
 「さあ、降りましょう。」
 フィシスは先に馬車から降りると、ジョミーに手を差し伸べた。
 「フィシス様、そのようなことは私が…。」
 玄関から従者が慌てて走ってきたが、フィシスは首を振った。
 「いいえ、私が案内します。」
 ジョミーはフィシスの手につかまってよいのか悩んでいたが、彼女から「どうぞ」と言われるのに、遠慮がちに手を伸ばした。
 「疲れたでしょう? さあ早く奥へ。」
 フィシスはそのままジョミーの手を握って神殿へ入ろうとしたが、何を思ったのか突然足を止め、ふっと傍にいる従者を振り返った。
 「アルフレート、誰が来ても神殿に入れてはいけませんよ。例えそれが敬愛するわが国王陛下であったとしても。」
 「承知いたしました、フィシス様。」
 恭しく頭を下げると、アルフレートと呼ばれた従者は下がっていった。
 ジョミーはフィシスに導かれるまま神殿に入った。厳かでありながら、質素で風雅な趣をもつ建物に、王城に共通する部分を感じ、今頃国王は何をしているだろうと思ってしまった。
 「この部屋を使ってくださいな。」
 そこはこざっぱりとした清潔な部屋だった。フィシスはジョミーを先導して部屋の中に入ってドアを閉める。
 「ジョミー、お友達を呼んでも構いませんのよ?」
 その言葉にぎくりとした。
 …この人はどこまで知っているのだ…? 
    僕を龍宮の姫と呼んだり、友達などともって回った表現を使ったり…。
 もし…、僕の正体がバレたりしたら、もう国王様の傍にはいられないかもしれない…!
 ジョミーは巫女姫をじっと伺った。しかし、当の彼女のほうはと言うと、困ったように首をかしげているだけだった。
 「そう警戒なさらないで、ジョミー。あなたがもともとは海に住まうもので、陛下への愛ゆえにすべてを捨ててこの国へいらしたということは、最初から分かっておりました。並みの覚悟では、できないことでしょうに…。」
 かすかに微笑みながらささやかれるのに、ジョミーは驚いてフィシスを見つめた。
 じゃあ…、この人は最初から僕の正体を知っていたっていうの…? 知っていて…黙ってくれていた…?
 「あなたのお友達のこともよく存じ上げております。海魔使いのキース、海神祭のときにお話したことがございますわ。」
 その言葉に。
 …完全に力が抜けた。
 「まあ、大丈夫ですか?」
 へなへなと床にへたり込むジョミーに、フィシスが慌てて駆け寄る。
 …巫女姫様は、本当に僕のこと、分かっていたんだ…。僕だけじゃなく、キースのことまで…。
 今まで張りつめていた気が一気に緩むのを感じて、ジョミーは脱力のあまりその場から立ち上がれなくなりそうだった。もう緋色のドレスが皺になるとか、巫女姫様の前でみっともない格好をさらしてしまうとか、そんなことすら思い浮かばなかった。
 その様子を微笑ましく思ったのか、フィシスはくすっと笑った。
 「この姿は綺麗ですが、窮屈でしょう。どうかお着替えください。私は外に出ておりますから。」
 そう言ってフィシスは着替えを置くと、10分後にまた参ります、と言い置いて部屋を出て行った。
 …そうだったんだ…。巫女姫様とキースは知り合いで…。
 しかし、そう考えると同時に、今度は親友に対して腹が立ってきた。
 じゃあ何で黙ってたんだ、キースの奴! 巫女姫様と知り合いなら知り合いだと教えておいてくれればいいじゃないか!! 変に気を回したり、こんなに気を遣ったりしなくて済んだのに…!
 そう思いつつ、緩慢な仕草でドレスを脱ぎ、フィシスが用意してくれたものに着替えた。男女兼用で使えるような室内着だった。
 ふと部屋の窓から外を見ると、王城の明かりが目に映った。ここからは王城やその向こうに広がる海がよく見える。
 …今頃国王様は何をしているだろうか…? 舞踏会だったから、他の姫君と踊っていたり…するんだろうな…。国王様にその気がなかったとしても、周りの女性たちが放っておかないだろう。
 そこまで考えて、ふっとジョミーは嫌な考えに襲われた。
 巫女姫様が、国王様の恋人じゃないってことは分かった。巫女姫様がはっきりそうおっしゃった以上それは本当だろう。では、国王様の恋人は…一体、誰だろう?
 もしかして…。今の舞踏会に出席していた姫君の中にいたんだろうか? あんなに美しい姫が揃っていたんだもの、きっとその中に…。
 「まったく…。救いようのない馬鹿だな、お前は。」
 突然そんな声が聞こえて、ジョミーは慌ててしまった。
 『キ、キース!?』
 部屋に置いてある鏡台の表面が盛り上がり、そこから黒い人影が床に降り立った。
 「さて…と。ここなら遠慮なくお前と話すことができるな。」
 呆然とするジョミーの前で、黒い魔法使いがその姿を形作った。切れ長の目がにやりと笑う。
 「それにしても、よくもそこまで自虐趣味に走ることができるものだ。感心する。」
 その言葉にジョミーはぷうっとふくれた。
 『何だよ、それ!』
 「お前の好きなシャングリラ国王は、お前を目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりだというではないか。そのうわさは海の底まで届いているぞ。それを何もそこまで曲解しなくてもいいと思うのだがな。」
 『そ、そんなこといったって、国王様が僕みたいなやせっぽちの子どもを好きになるわけないじゃないか!!』
 「これはこれは…。お前を寝取られようが、掻っ攫われようが奴に同情の余地はないと思っていたが…さすがに気の毒になってくるな。」
 『キースっ!』
 どういう意味だよ!!
 「まあ、にぎやかですこと。」
 そのとき、フィシスが笑いながら入ってきた。
 「ごめんなさい、ノックしようと思ったのですが、あまりにも楽しいお話をしていらしたのでつい仲間に入りたくなってしまって。」
 突然の巫女姫の来訪に慌てたジョミーだったが、キースは悠然として彼女を振り返った。
 「邪魔している、天球の巫女姫。」
 「ええ、どうぞ。お呼びしようと思っていたところですの。」
 …本当に知り合いなんだ…。
 親しげに挨拶を交わす二人を、ジョミーは目を丸くして見守った。
 「ところで巫女姫。あなたは舞踏会会場から強引にジョミーを連れてきたようだが、国王からの圧力の心配はないのか?」
 「まあ、ご心配いただいてありがとうございます。でも、陛下と私は独立した機関ですから、いかに陛下が武勇に優れていようとも、おいそれとここには手出しできません。」
 「しかし、あの計画を実行に移すとなると、数日では済まぬぞ?」
 「もとより覚悟の上です。一度や二度は陛下と舌戦を交えなければいけないかもしれませんが、私の命に代えてでもジョミーは渡しませんから。」
 それにわが国民の尊敬を集める陛下のこと、決して野蛮な真似はなさらないでしょうから。
 そう言いながら、くすくすと笑う。
 「…そうか? あなたの話を聞いていれば、奴にとってはまさに初恋なんだろうに。そんな奴が一旦我を忘れると、とんでもないことになるぞ?」
 「大丈夫です、ここにはジョミーがおりますもの。下手に手出しして、一生自分の手に戻らぬことになったら取り返しがつきませんわ。そのくらいの分別はおありでしょうから。」
 「…なるほど。」
 その言葉に感心するキースを眺めながら、ジョミーの内心は複雑だった。
 すっかり別世界をつくる二人…。一体何の話をしているのか、分からない。
 『ちょっと…待って。計画って一体何のこと…?』
 「ジョミー。」
 高貴な巫女姫はにっこりと微笑んだ。
 「海魔使いお一人では無理でも、私が力を貸します。がんばりましょう。」
 
 
 
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        | ということで、ブルーの知らぬ間に進められる計画とは…! 見当ついちゃってる人には簡単ですね〜。 |   |