控え室に通されて、座って待つように言われたジョミーは、自分の着ているドレスをため息をつきながら眺めた。
緋色のドレスには、ところどころに金糸が使われ、豪華な風合いを醸し出している。それがまた、自分の貧相な体格と面白みのない顔立ちをさらに貧弱に見せているかのような、そんな気がする。
…どうしよう、僕のことが原因で、国王様が恥ずかしい思いをされたら…。
その国王は、ブラウ伯爵と簡単な打ち合わせをしているらしい。
…舞踏会、早く終わってほしいな…。
そのとき、表がざわざわと騒がしくなった。何だろうと思っていると、そのざわめきは徐々にこちらへ近づいてくるようだった。
「お、お待ちください、姫様…!」
「陛下の許可が…。」
誰かがこちらに向かっているらしい。呆気にとられてドアを見つめていると、そのドアが勢いよく開いた。
…フィシス…様…!?
以前王城で会った巫女姫が微笑みを浮かべたまま、ドアの向こうに立っていた。
な、何で、どうして…!?
半ばパニックに陥りながらも、逃げ出すようなこともできず、ただ凍りついたようにフィシスを見つめていることしかできない。
「み、巫女姫様、本日ジョミー姫様は陛下とともに舞踏会にお出になる予定で…。」
「分かっております。」
微笑みながら穏やかに、でも有無を言わせぬ雰囲気でうなずいてから、フィシスはゆっくりと室内に歩を進めた。その威厳のある堂々たる態度に、後ろにいる伯爵家の執事であろう初老の紳士は、それ以上は何も言えず、黙って巫女姫の行動を見守った。そして、フィシスはジョミーの前までやってくるとにこりと笑い、幾分か声を落としてジョミーにささやきかけた。
「ジョミー、あなたの辛い心のうちは、天球の宮まで届いていましたよ。」
へ…っ? 辛い心?
ジョミーは、目を丸くしてフィシスを見守った。どうやら、声のトーンを落としているのは、廊下にいる執事や舞踏会の招待客に聞かせたくないためらしい。
ちなみに、「天球の宮」とは彼女がいるという神殿の名称であった。
「まったく…、あの方にも困ったものですわ。あなたがこんなに悲しんでいるというのに…。」
言いながら腰を落として、そっとジョミーの頬に触れた。
『陛下に少しばかり、反省してもらいましょうね。』
その途端、頭の中に響いた声に呆然とした。思い違いでなければ、その言葉には面白そうな響きが含まれていたのだけど…。
「申し訳ありませんが。」
振り返ったフィシスはにこやかに、しかし毅然とした態度で執事に声をかけた。けれど、先に感じた楽しそうな余韻などまったくない。
…今のはなんだったんだろうか。
「ジョミー姫はこれから天球の宮に行き、しばらく私のお手伝いをしていただくことになります。ですから、この後の舞踏会には出ることはできません。」
「な、何ですと!?」
執事らしき人は、目に見えてうろたえた。
舞踏会の成功のために奔走しているというのに、このような不測の事態を、国王や伯爵不在のまま見過ごしてよいのかいう動揺が見える。しかも、どうやら巫女姫フィシスの権威は国王と同程度かそれ以上らしく、執事としての責務と国民としての義務との間の板ばさみになって悩んでいる様子がありありと伺えた。
それを感じたのか、フィシスは天女のような微笑みを浮かべた。
「姫の清らかな心と健やかな精神とは、神に仕えるのに相応しいものです。明日執り行われます神事に携わっていただくため、急なことですが潔斎に入っていただくことになりました。」
そ、そんな話、聞いてない…!
焦るジョミーだが、まわりはまわりで歓喜に包まれたようにざわめいていた。
巫女姫様がここまでお褒めになるとは…。
さすがは陛下が見初めただけはある…!
お妃となられる方が、巫女姫様の覚えもめでたく、神事にまで携わることができる方だとは、なんと素晴らしい!
…どうやらフィシスの権威は、神様がついているためか、国王を上回るようである。
「姫様のおっしゃることは分かりましたが…。しかしお待ちください、今陛下を…。」
「呼ぶ必要はありません、後で私から説明いたします。陛下も喜んでいただけることでしょう。」
あたふたと走ろうといた執事を凛とした声で呼び止めてから、フィシスはジョミーの手を取った。
「さあジョミー、参りましょう。」
優しくささやかれて、今度ははっとした。
今まで、巫女姫の美しさと気高さにぼうっとして、さらに思いもしない展開にすっかり固まっていたが、ここに来て自分が巫女姫の神殿に行くのがどういうことなのか、改めて思い至ったのだ。
この人は国王様の恋人で、僕はこの人の恋敵…なんだよね? その…巫女姫様と、一緒に天球の宮へ…!?
今更ながら慌ててしまう。
巫女姫様に連れられて行ったら、僕は一体どうなるんだろう!?
頭の中は混乱の極地にあるというのに、フィシスの優しい微笑みを前にしては何もできない。強い力ではないが、手を引いて促されるのに、つい立ち上がってしまったとき。
「フィシス!」
廊下から聞き知った国王の声が響いた。その途端、ジョミーはほっとして張り詰めていた緊張の糸がぷつりと千切れそうになったくらいだった。
「まあ、陛下。ご機嫌麗しゅう。」
フィシスはひざを折って優雅にお辞儀した。しかし、その礼節がまさに形ばかりのものであることに、当のブルーは分かっているようだった。
ブルーは部屋の中央まで歩いてくると、ジョミーをちらりと見てからフィシスに向き合った。
「これはどういうことだ?」
わずかばかりの怒りの色を宿した瞳に、ジョミーのほうが落ち着かない気分になる。しかし、当のフィシスはにこりと笑った。
「陛下なら、私がここに来た理由がお分かりになると思いますけれど?」
それは…、未遂に終わったとはいえ、ジョミーと身体の関係を結ぼうとしたことをさしているのだと。
そう思い込んだジョミーはますます蒼くなった。
「…とにかく、後でジョミーとともに君の居所まで赴くから、今は引き取ってくれないか。」
「お断りします。あなたにはよくても、ジョミーにとってはこの舞踏会は苦痛以外の何者でもありません。」
一歩も引く気のないフィシスに、国王は困ったように視線を泳がせた。
「このような場所で私と言い争うと、あまりよい結果にならないのではなくて? ジョミーを連れ出すのは、明日の神事のためと皆に伝えてありますし、私自身実際にジョミーにお手伝いしていただこうと思っていますの。ですから、早々に私たちを送り出したほうが、あなたとジョミーのためですわ。」
神事を執行する権限のある彼女とことを構えるのは、いかに国王と言え、許されることではないようだ。
「…それが狙いで、わざとここへやってきたのか…。」
深いため息をつくブルーに、フィシスは勝ち誇ったように微笑んだ。
「さすがは聡明な我が王、よくお分かりですね。」
「…誉められた気がしないけどね。」
苦く笑いながら、今度はジョミーを見つめた。
「ジョミー、すぐに迎えに行くからね。」
えええっ!?
あまりの展開に、ジョミーは目を見開いて固まっているよりほかがない。
「巫女姫は、神楽の奉納を君に手伝ってほしいそうだ。それが終わったら、すぐに迎えに行くから。」
そう言いながら、身をかがめてジョミーの髪にキスする様子に、まわりからはほう…というため息が聞かれたが。当のジョミーはそれどころではなかった。
だ、だって、フィシス様は、国王様の…! それなのに、巫女姫様の神殿で、明日の神楽の奉納のお手伝いをするだなんて…!!
しかし。
フィシスに手を取られたまま、ジョミーは天球の宮に向かうよりほかがなく、何とも言えない気持ちで馬車に乗ったのだった。
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フィシス様のお仕置きという奴です♪ ジョミーはジョミーで、えらく悩んでおりますが…♪ |
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