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  …これで…、いいのかな?洗面器に水を汲んでじっと眺めてみる。
 今日は満月で、今は夜中の12時近く。キースとの定期報告の時間だ。確か、水面に向かってくれればいいと言ってたから、大丈夫だと思うけど。
 洗面器の波立った水面が収まると、鏡のようにこちらを映し出す。今は、思案気に首をかしげている自分の姿が映っているだけだ。
 でも…、どう見てもこの顔は、あの国王様に釣り合いそうにないんだけど。
 美しい彼の人の顔を思い浮かべて、ついため息をついてしまう。
 ただの同情、だよな、僕を傍に置いてくれるっていうのは。それでも国王様は優しいから、いろいろと心を砕いてくれるから…、つい夢を見てしまいそうになる。
 望まれて、ここにいるのだと…。
 「ジョミー。」
 その声に。はたと我に返って下を見ると、水面にキースが口元に笑みを浮かべて映っていた。
 『キース、久しぶり!』
 こうして見る親友は、海の底にいたときとまったく変わっておらず、安心感を覚える。
 そして、いつもの癖で、つい口の形だけで話してしまう。でも、キースには通じているようなので、問題はなさそうだった。
 「元気そうで何よりだ。
 で、お前は今どこにいるんだ?」
 『お城の中!
 ねえキース、聞いてよ。僕今シャングリラ国王様の婚約者ってことになってるんだよ!』
 つい嬉しくて、喜色満面で報告するが、反対にキースは眉間にしわを寄せた。
 「…なぜこんな早くにそんな話になってるんだ…?」
 自分の演出効果がそこまでの結果を生むとは思っていなかったようで、胡散臭いと思っているさまがよく分かる。しかし、当のジョミーにはまったく通じていなかった。
 『うん、婚約者って言っても、婚約者のふりをしてるんだけどさ。
 ほら、国王様ってすごく綺麗で優しくて、それでもって頭がよくて人徳があるだろ?だから、婚約者になりたがる女の人が多いらしくてさ。でも、国王様は自分の結婚相手を他人に決められるのが嫌だから、しばらく婚約者のふりをして一緒にいてほしいって言われてるんだ。』
 それを聞くと、キースは難しい顔をした。
 「ジョミー、それは変だぞ…?
 お前のような身元も分からない子供で、しかも男を仮とはいえ婚約者に仕立てる意味がない。バレたときのリスクが高すぎる。
 普通は多少容姿に難があっても、出自のしっかりした女にすると思うがな。」
 『うん…、まあそうだけど…。』
 それは…、そうだよな、と自分でも思っているうだけど…。
 「何か企んでいるんじゃないのか、その国王は。」
 疑わしそうに言うキースに、ジョミーは勢いよく首を振る。
 『そんなことないよ…!国王様はそんな人じゃない!』
 「お前は相変わらず単純だな…。」
 一方のキースは苦々しくため息をついた。
 さすがにジョミーもむっとして言い返す。
 『単純って何だよ!国王様って本当に優しい人なんだから!
 初めて婚約者として押しかけ見合いに来た姫の前に出たときなんか、僕を庇ってくれたんだからな!』
 「ほう…?」
 ジョミーがむきになって当時の状況を説明してやると、キースはその顔に冷笑を浮かべた。
 「では、国王は作り話をすることで、お前を庇うと同時にその姫に罪悪感をかぶせて自ら身を引かせるように仕向けたと言うわけか。
 なんだか聡明というよりも狡猾といったイメージだな。」
 『だからどうしてそういう言い方しか…!』
 ジョミーの抗議などほとんど聞いていないようで、キースは一人うなずきながら続ける。
 「辣腕というのはあながち誇張でもないようだな。
 ジョミー、なおさら気をつけたほうがいいぞ。油断がならない男のようだからな。」
 『油断がならないって…。
 じゃあ、例えば国王様はどんなことを考えているっていうの!?』
 自分が憧れている国王のことを、あれこれと難癖つけられるのは不愉快以外の何者でもない。それが皮肉屋の親友の言うことであったとしてもだ。
 「そんな男の考えていることなど分かるわけがないだろう。しかし、あくまで推測だが…。
 その国王は命を狙われているのだろう?ならば、国王の恋人は別にいて、その本命を守るために後腐れのないお前を婚約者に仕立てているのかもしれん。お前なら身元も分からないし、死んだとしても大して罪悪感を覚える必要はないからな。」
 そんな意地悪っぽく言うキースに、ジョミーはむっとする。
 『何だよ、そんな言い方ないだろ!?』
 「すまん、昔から俺は正直ものなんでな。」
 キースはシニカルな笑みを浮かべていて応じるが、しかしその次の瞬間、咳払いをして言いなおす。
 「ま、まあ、あくまでも最悪の場合を想定した推測だがな。」
 ひどく、自分が落胆したのを感じる。
 『…分かっているよ、そんなことくらい…。』
 …キースの言うことは、表現は悪いが本当のことだ。
 身元の不確かな自分のことを、一国の王たる彼の人が簡単に信用するわけはない。初日に直感がどうとか言っていたが、それだって何百万、何千万の国民の生活がかかっていると思えば、そんな不確かなものを簡単に信用していいはずはない。
 それに…。
 海で拾った少年を気に入って婚約者に仕立てたというよりも、大本命の女性を守るため、どこの馬の骨とも分からないものを婚約者に仕立てて、弾除けにしているほうがよほどしっくりくる。
 …何を期待していたんだろう…。
 あんなに美しい国王様のことだ、本当の婚約者はきっと、この世のものとも思えぬほど綺麗で清楚な姫君に違いない。
 ジョミーのひどく落ち込んだ様子に、キースは顔をしかめながらも、「ま、後で泣くよりはな。」とつぶやいていた。
 
 「ジョミー。」
 まったく事情を知らない人に見られてもいいように、ジョミーはいつも男性とも女性とも判断のつかないような服を着るようにしているのだが、今日はなぜだかワンピースに袖を通してしまった。
 廊下の角でばったり出会った国王は、それを見て不思議そうに首をかしげる。
 「どうしたんだい?今日は来客の予定はないけど…?」
 …やっぱり…、似合わないのかな…?
 自分でもそう思っていたので、さらに沈んだ気分になってしまう。
 『…はい、着替えてきます。』
 魅力があるなんて自惚れていたわけじゃないけれど、身代わりとしての利用価値さえないんじゃなかろうかと悲しい気分になってしまって。
 落ち込んだ表情のまま、方向を変えようとした。
 「それには及ばないよ。」
 戻ろうとするジョミーの手を掴んで、彼の人はにっこりと笑う。
 「ちょうどいい、じゃあデートでもしようか。といっても、城の周辺だけどね。」
 デート…?
 でも、公務なんかでお忙しいんじゃ…と思っていたら、
 「午前中は予定が空いている。
 それとも、僕と一緒に外に出るのは嫌かい?」
 そ、そんなことない!
 慌てて首を振ると、その様子がおかしかったらしく、くすっと笑う。
 「よかった。じゃあ行こうか。」
 いつものとおり、手を差し出してくれる。
 その手に触れていいのだろうか…。と少しの間悩んでいると、国王は困ったように首をかしげた。
 「…レディ扱いされるのは、嫌かな?」
 『い、いえ、そんなつもりじゃ…!』
 慌てて首を振ってから、遠慮しつつも彼の人の手に自分の手を重ねた。
 
 君に見せたいところがあって。
 そう言いながら歩き出して数十分になる。
 お城の周辺というから、少し散歩する程度かと思っていたのだが、国王はずんずん森の奥に入っていく。これでは午前中に戻れないのではないだろうかと思って、ジョミーは握られている手を引いた。
 『国王様、午後の公務に差し支えます…!』
 「…ジョミー、今僕たちは二人だけだよね?」
 国王にやんわりと言われて、はっとして言い直す。
 『あ…、そうでした。
 でもブルー、これじゃ午前中に戻れるかどうか…。』
 「大丈夫、すぐそこだよ。」
 言いながら百メートル程度歩くと、突然生い茂った木々が途切れて、代わりにまぶしいほどの蒼が広がった。森を抜けて出てきたのは、岬の先端。断崖絶壁の真上。怖いと思うよりも先に、ジョミーはその光景に目を奪われてしまった。
 …すごい、こんなところがあるなんて…!
 眼下に見えるのは真っ白な砂浜と紺碧の海、その中に点在するのは白い壁の建物だ。空は雲ひとつない真っ青な空色で、その向こうに見える真っ白な帆船を際立たせている。
 「ちょうどここは、君と出会った砂浜の反対側でね。
 あの海の中に建っている小さな家々は漁師の家で、その向こうの大きい白い建造物が海上に建つホテルだ。船で通りかかる旅人の癒しの場となっている。」
 空と海の蒼と、砂浜と洋館の白とのコントラストはまさに絶景。海の中にずっと住んでいた自分も見たことのない素晴らしい景色だった。
 「気に入ったかい?」
 振り返ると、彼の人の紅い瞳がふんわりと微笑みながらこちらを見ていた。
 『うん!』
 「よかった。やっと笑ってくれたね。」
 そう言われてようやく、国王が自分をここに連れてきた目的を悟る。
 「ジョミーには笑顔が似合う。だから、君は笑っていてくれたほうが、僕は嬉しい。」
 こんなに気を遣ってくれて、微笑みかけてくれる。それなら…、身代わりだろうが、弾除けだろうがいいじゃないか。
 この人に必要とされるのなら…、何だってできる。
 ジョミーはこっそりと心の中でつぶやく。
 だから…、それ以上は望まない。それでいいんだ…。
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        | お得意の思い込み、勘違い〜!次回、更なる勘違いに突入でーす。 |   |