戻った僕たちを待っていたのは、落ち着かない風体で歩き回るハーレイ侯爵と、そわそわした雰囲気のリオだった。
「陛下!どこへ行っていらしたのですか!」
「散歩だが?」
澄ましてそう言ってから、この人はふわりと笑う。何度見ても、この人の笑顔は綺麗だ。
「ああ、あなたと言う人は片時もじっとしていると言うことがないのですね!」
しかし、侯爵はそれに見とれている暇もないらしい。
「…? 何をそんなに慌てている?」
「フィシス様がいらしておられるのです…!」
「フィシスが…?」
何かあったか…?とこの人が不思議そうにつぶやく様子と、ハーレイ侯爵とリオの慌てた様子とのギャップに、首を傾げるしかない。
「とにかく会おう。彼女はどこにいる?」
「陛下のお部屋に…。」
「そうか。ではジョミー、一緒に来てくれ。」
僕も…?
フィシスという人がどんな人かは知らないけれど…。この国の重要な地位にいる人か、国王様の…、大切な人なのか。
そんな人に、この僕が会ってもいいんだろうか…。
「フィシスは、この国の巫女なんだよ。」
ジョミーの疑問が伝わったのか、この人は笑顔で教えてくれる。
「巫女は神に仕えるこの国の預言者だ。だから、彼女は執政の助言をする立場にある女性なんだよ。
ハーレイやリオが慌てていたのは、いつもは神殿にいる彼女が突然予告もせずに来たものだから、占いにとんでもない結果が出たのではないかと心配したからだ。しかし、彼女自身は遊び心のある女性でね。」
今回もなんとなく遊びに来ただけじゃないかな。
そう言ってにこやかに微笑んだ。
…そう言えば、国王様のお部屋に入るのって初めてだよな…?
そんなことを考えながら、廊下を歩いていると、その突き当たりに重々しい扉が見えた。
「ここだよ。」
しかし、その重層なドアを開くと、決して贅沢なつくりとはいえない王城と同じように、質素な部屋の風景が広がる。無駄に華美なことは好まない、国王の飾り気のない性格を現しているようだ。
その部屋の中央にあるソファからゆっくりと立ち上がる人影があった。
「まあ、陛下。お久しぶりですこと。」
長く美しい金の髪に、整った容貌。白いドレスに身を包んだ、その清楚でしとやかな外見そのままの、優雅な物腰と涼やかな声に、ジョミーははっとして立ち止まった。
国王に対し、気品のある仕草で深々とお辞儀する姿に、つい見とれてしまうほど、綺麗な人だった。
「久しぶりだね。今日はどうかしたのかい?」
フィシス、と呼びかけると、彼女はゆっくりと顔を上げて微笑む。しっかりとまぶたで閉じられた目に、彼女が盲目であることが分かった。
「あなたの『婚約者』を私に紹介していただけませんこと?」
その言葉にどきりとした。
…違う、そんなはずないじゃないか!きっと、僕じゃない本当の婚約者のことなんだ。
そう思っていると、彼女の顔がこちらを向いたような気がした。
「金髪で緑の瞳が美しい、とても健康的な方のようですわね。」
…国王様の本当の婚約者も、金髪で緑の瞳の女性なんだろうか?
それなら…、なおさらこの場にいることもはばかられる。相手は目が見えないとはいえ、預言者たる巫女なのだ。そんな彼女の前では、自分がまがい物であることなどすぐに分かってしまうだろう。今はワンピースなど着てはいるが、何よりもこの身は男のものなのだから。
「やれやれ。やはり遊びに来ただけか。」
そう苦くつぶやく国王に、フィシスはふふ、と笑う。
「ハーレイやリオには悪いことをしたと思っていますわ。私が動くと、話が大げさになってしまって。
でも、あなたはお忙しい方ですし、今は『婚約者』に夢中のようで、なかなか私のところにはいらしてくださらないようですし。」
ちょっとした恨み言を口にして微笑む彼女に、国王は苦笑いした。
「いずれ紹介する予定だったんだよ。でもいろいろと取り紛れてしまってね。」
「まあ、それはお幸せそうでよかったですわ。」
とにかく…、早くここから出よう。
そう思ってじりじりと出口に後退るが。
「ジョミー。」
もうすぐドアまで到達というところになって、国王がくるりと振り返った。その紅い瞳を見ただけで、動作が止まってしまう。
「改めて紹介しよう。わが国の預言者であり、巫女姫でもあるフィシスだ。」
「初めまして。」
フィシスは白いドレスの裾を持ち、膝と腰を折って優雅にお辞儀をした。
当然、自分にはそんな礼儀作法は分からない。彼女のような優雅な仕草も、流れるような品のある身のこなしも出来はしない。
「フィシスには隠し事は一切出来ない。彼女は目が見えないが、その分、人の気配に敏感で、真実を見る『目』を持っていてね。
さすがに、国王である僕も彼女には勝てないんだ。」
「まあ、陛下!それは失礼ですわ。」
どちらも冗談を言い合っているような軽い調子だったのだが。それを冗談だと受け取ることが出来なかったものがひとり。
…ど、どうしよう…。
半ばパニックを起こしかけていたのかもしれない。預言者であり、真実が見えるという彼女の前にいると思うだけで、心臓がどきどきして止まらない。
『あら、あなたは男の方でしたのね。何を思って陛下の婚約者を名乗っていらっしゃるのかしら?』
そんな風にずばりと言われてしまったら…。
「フィシス、こちらはジョミー。
でも、ジョミーは口が利けないので、挨拶は割愛させてほしい。」
「まあ、そうでしたの…。分かりましたわ。
ではジョミー、これからも陛下のことをどうぞよろしくお願いしますわね。」
え…?えええ?
その言葉に、呆然としてしまう。
なぜだかよろしくお願いされてしまって、ジョミーは呆気に取られてしまった。
これだけ距離があっては、巫女姫とて自分が本当の『婚約者』ではないと、分からなかったのかもしれない。でも、もしかして…。
分かっていて知らぬふりをしたのか…。
「さて、フィシス。もう12時になってしまった。昼食でも食べていかないか?」
「嬉しいですわ。」
「ではジョミーも…。」
『あ、あの!僕は食欲がないので…!』
一緒に、と誘われそうになるのに、慌てて断った。
3人で食事などしていても、おそらく食は進まないだろうし、何よりも巫女姫フィシスの前にいるだけでも緊張して何を食べているのか分からないだろう。
『では…っ、失礼します!』
「ジョミー…?」
怪訝そうな国王に背を向け、慌ててドアから出て行く。
ばたばたと走って別の棟に来たとき、ようやくほっと息をついた。
…ああ、よかった。これ以上醜態を晒したら、本当に国王様に愛想をつかされてしまう。
そう思って柱に瀬を預けていたのだが。
「…ねえ、巫女姫様ってすごく綺麗な人ね。」
「それはそうよ、神に仕える神聖な方だもの!」
メイドたちの足音と、声が聞こえてきた。どうやら、国王を訪ねてきたフィシスの噂話らしい。なぜか分からないが、咄嗟にジョミーは物陰に隠れた。
「陛下とご一緒にいらっしゃる姿なんて、宗教画のように美しいし!」
「亡くなられた王太后陛下は、あの巫女姫様の先々代の巫女姫だったんでしょう?てことは、やっぱり陛下のお妃様は、あのお美しい巫女姫様!?」
え…?
「そうかも!」
「素敵!美男美女のカップルって存在するのねー!」
そんな黄色い声が遠ざかっていっても、ジョミーはその場から動けなかった。
…ということは。
フィシスという巫女姫は、本当は国王様の…?
8へ
出た出た!誤解、勘違い、早とちり!この調子でひとり悲劇のヒロインになって〜♪ |
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