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  廊下を歩きながら、やっぱりやめておこうか、今なら間に合うし、とつらつら考えていた。今から会うのは、隣の国の公爵とそのご令嬢で、身分違いもはなはだしい上に上流階級の作法さえ身につけていない自分では、隣を歩く美しい彼の人に恥をかかせることは必至だからだ。
 ジョミーの足がぴたりと止まる。
 「…?どうしたんだい?」
 彼の人は急に立ち止まったジョミーを不審そうに振り返る。
 『…僕には無理です…。』
 「ジョミー。」
 『僕があなたの婚約者だなんて、恐れ多くて…。』
 うつむいてそうつぶやくと、彼の人がため息をつく様子が分かった。
 「そうか…。
 分ったよ、ジョミー。無理を言って…、悪かった。」
 その言葉に顔を上げると、彼の人がかすかに微笑みながらジョミーを覗き込んでいた。
 「突然変なお願いをしてすまない。忘れてくれ。」
 その微笑みがひどく悲しそうで、ジョミーは慌ててしまう。
 国王様、もしかして失望されたの、かな…。
 承諾してくれてほっとした反面、彼の人が笑顔を浮かべながらも沈んだ面持ちを見て、落ち着かない気分になる。さらに、自分が行かなければどうなるんだろうと思って愕然となる。
 こんな子供の自分に頭を下げてまで、婚約者に仕立てたいのなら、随分と断りにくい状況なんじゃないだろうか…。
 僕が行かなければ、無理やり婚約させられてしまうってことは…?
 そう思い当たると今度は別の意味で慌てる。
 そ、そんなことになったら…、国王様は意に沿わない人と結婚しなきゃいけないじゃないか…!それに、僕だってそんな国王様を見ていたくない…!
 ジョミーはきっと顔を上げると、戻ろうと方向を変えようとしている彼の人の前に回り込んだ。
 『国王様、僕、やっぱりご一緒します…!』
 その変化に、彼の人は少し驚いたようだったが、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 「ありがとう、ジョミー。嬉しいよ。」
 それで国王様のお力になれるのなら。
 彼の人の嬉しそうな表情を見ていると、意味もなく自信が湧いてくるのを感じた。
 頑張らなきゃ。この人に恥をかかせないように…。
 先ほどからの自信のなさそうな様子からは考えられないほど、背筋をしゃんとして顎を引いて前を見るジョミーの姿に、彼の人はおかしそうに笑う。
 「ジョミー、戦いに行くわけじゃないんだから、そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。でも。」
 と、今度は耳元でささやく。
 「そうしていると、姫どころか女王様のようで、僕が気おくれしてしまいそうだね。」
 …もう、この人は何を言い出すんだか…。
 でも、彼の人の笑顔をまた見ることができたという事実のほうが、今のジョミーにとっては重要だった。
 
 部屋に入ると、初老の紳士と、自分よりも少し年上だと思われる綺麗な女性がソファに座っていた。
 き、緊張する…。
 彼らはあからさまにはしないものの、自分に対して不愉快な思いを抱いているのは肌で分かった。押しかけ見合いに来たのなら、それも当然だろう。
 昨日の話では、国王が密かに決めた婚約者がいると彼らに言ったところ、ぜひ会わせろときかなかったという話だが。
 「こちらがシン子爵のご令嬢ですか。」
 シン子爵とは、国王の遠縁にあたるという貴族で、急きょジョミーを養女にするという国王の無理難題を快く聞き入れてくれたという人のよい老人だそうだ。実際ジョミーはまだ会ってはいないが、リオの話によれば、国王を孫のようにかわいがってくれているという。
 「そう。名前はジョミー・マーキス・シン。
 昨日も話したとおり彼女は口が利けないので、彼女への質問があれば私が答えよう。」
 悠然と微笑む彼の人は、まだ若いとは思えないほどの貫禄で、隣国の公爵という初老の紳士にまったく引けを取らない。
 …国王様って…、すごい…。自分のおじいさんくらいの人を相手に、全然怯んでないかない。
 ジョミーは密かに感心する。ついでに。
 今、『私』って言ったよね 
    …?国王様って、こういう場では『私』なんだ…。
 そんな風に国王に意識が向いているジョミーには、公爵やその姫君が自分を値踏みするかのように見つめていることなど、まったく気がつかなかった。
 「確かに…、将来が楽しみなご令嬢ではあるが…。少し若すぎやしないかね?
 それに、シャングリラの国王の妻になろうという方が、喋ることができないなど、致命的だと思うがね。増してやあなたが国をあけるときには、その留守を預かる立場になるのですぞ?」
 公爵が言うのに、ああ、やっぱり…と落ち込みそうになる。
 そうだよな…。普通そう思うよな…。
 人間になる代償として声を失ったことは仕方ないとあきらめてはいるし、国王の妻になろうなどという大それた気持ちを持っているわけでもなかったが…、そう言われるのはやはり…、堪える。
 「若いということに関しては、あと5年ほど経てば問題はない。
 それに、口が利けないということについても、ジョミーはそのハンデを感じさせないほど表情は豊かだし、私や私の部下は読唇術ができるから、さして不自由なことはないな。」
 微笑みながらも有無を言わせない国王の弁護に、ジョミーは現金なことに嬉しくなって、つい国王に対して感謝の意をこめて微笑んでしまったのだが。
 どうもそれがいけなかったらしい。
 公爵家の姫が突然立ち上がった。
 「客の前で歯を見せて笑うなど、王家に嫁ぐもののすることとも思えませんわ。」
 そう詰るように言い放つ。
 え?何で…?
 ジョミーにとってみれば、目を白黒させるしかない。
 そ、そんな決まりってあるの…?そりゃ、上流階級の作法なんて知らないけど…。
 「それに、随分と流行遅れのドレスですのね!
 子爵家には、新しいドレスを買うお金もないのかしら…?」
 え…、ええ?流行遅れ…?
 こんなに綺麗なドレスなのに??
 意地悪そうな笑みを浮かべてそう言われるのに、気分を害するより先に呆気にとられてしまう。
 「いや…、これはすまない。」
 突然、彼の人が謝罪するのにさらに唖然とする。
 しかも、謝っている相手は…、勘違いでなければ、僕のような…。
 そして、今度はやはり呆然としている公爵令嬢に翳りのある笑顔を向ける。
 「姫、これはジョミーのせいじゃない。
 彼女が着ているのは、私の母の形見でね。随分と古いものだから、そう言われても仕方がない。」
 …そうだったんですか…?
 言われて初めてこのドレスの持ち主を知って驚くと同時に、しみじみとしてしまう。
 …だから、国王様は僕を見て綺麗だといっていたのだろうか…。お母さんの姿を重ねて…。
 「ジョミーには、私のわがままを聞いてもらっただけなのだから、どうか彼女を責めないでもらえないだろうか。」
 彼の人から悲しげにそう言われるのに、さすがに公爵令嬢である姫君も、もう何も言えずに黙り込んでしまわざるを得なかった。
  その後は二言三言話をして、隣国の公爵とそのご令嬢は城を後にした。二人が乗った馬車を見送ってから、ジョミーは国王に向き直る。
 『国王様、このドレス汚したら困るのですぐに脱ぎます。』
 でも脱ぎ方がよく分からなくて…と続けるのに、彼の人は困ったように笑う。
 「ジョミー、また忘れているね。二人っきりのときには、僕のことは『国王様』じゃないだろう?」
 『あ、すみません…。
 でもブルー、このドレスはお母さんの形見なんでしょう?早く脱いで大切にしまっておかないと…。』
 「そんなわけはないだろう?僕の母が死んだのは僕が生まれて間もないころだよ。そのときの衣装など、もうない。」
 え…、だってさっき…。
 彼の人は含みありげに微笑みながら、ジョミーを見やる。
 「姫が流行遅れなどと言い出すものだから、少しばかり話を作っただけだ。」
 え?えええ??
 『あの、じゃあこのドレスを僕に着せたのは、僕にお母さんの面影を見たかったわけじゃ…。』
 そう伝えると、今度は嬉しそうに笑う。
 「君まで信じたとは、僕の演技力もなかなかのものだね。」
 そう言って自画自賛してるし…。
 そりゃ…、国王という職業である以上、駆け引きや腹芸なんかはお手のものだろうけど!
 …すっかり騙されてしまった…。
 そう思って、がっくりと肩を落としてしまったジョミーだった。
 
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        | ブルーは結構黒いですね〜。実は、そんなのも大好きなもので…。 |   |