え…っ?
水面から顔を出して、これからどうしようかと思ったとき。
目の前の砂浜に。会いたくて会いたくてたまらなかった彼の人が立っていた。彼のほうも、びっくりしているらしい、こちらを見て綺麗な紅い目を見開いている。
そ、そりゃ、会いたかったけど、こんな突然に…。本当にこの人の前に出てくるなんて!
心の準備も何もできてないのに!
それはついさっきのこと。
『…ダメだ、みすみすお前が不幸になるのが分かっているのに、そんな頼みをきけるか!』
『自分で納得してても…?』
『それでもだ。
とにかくあきらめろ。忘れてしまうんだ、それが一番いい方法だ。』
キースは頑として首を縦に振らなかった。
『じゃあ、いい。』
『分かってくれたか。』
ほっとしてキースが微笑むのに。
『マザーに頼んでくる!』
そう言うと、さすがに黒い魔法使いは慌てた。
『ば、馬鹿かお前は!?マザーみたいな悪徳魔女にそんなことを頼んでみろ、最後には命まで取られるハメになるぞ!』
『どうせ最後には死ぬんだから、それでもいい!』
『ま、待て待て、それだけは絶対にやめろ!
マザーはお前を不幸にするためには、国王の命さえ狙うかもしれんぞ…!?』
ああ、そうだった…、あの人はそのくらい平気でやる人だ。
僕のことはどうでもいいけど、彼の人にまで魔手が伸びることだけは断じてあってはならない。そう思って唇を噛む。
『だって…。』
『ああ、分かった!協力してやる。』
やけくそ気味になって叫ぶキースを驚いて振り返った。
『だが、条件はつけるぞ!定期的に俺に報告しろ。満月の0時、水面に向かってくれれば話ができる。その結果、国王に脈ナシと判断したら、即座にお前をここに引き戻すからな。』
『でも…。』
『反論は許さん!お前の親友として…、それが最低の条件だ。』
渋るキースを脅して拝み倒して、人間にしてくれることを承諾させて。
それは感謝しているけど、これはないだろうと思う。
あのとき、船上で見たときと同じ、輝く銀の髪と白皙の美貌、それらの淡い色彩を裏切るかのような強い紅玉の瞳。自分が一目ぼれした彼が目の前にいるのに。
…話しかけることが、できない…。
『それで、人間になるためには、お前からその代価をもらわなきゃいかん。』
『それっていくらくらい?』
あまりに高額なら、どうしようと思う。
『金じゃない。そのものが持つ能力…、というのがお決まりのパターンだが。
そうだな、例えばお前の声とか。』
『声…?』
『俺にそれを払うと、お前は喋れなくなる。』
『ええっ!?じゃあ、あの人と話せないの?』
『そういうことだ。』
『えっと、じゃあ他の代価は?』
『お前の光とか、音とか。』
『それを払ったら、僕はどうなるの?』
『目が見えなくなったり、音が聞こえなくなったりする。』
『えええっ!?
そんなことになったら、僕はあの人の綺麗な顔を見ることも、声を聞くこともできないじゃないか!あの人の月も凍るような美しい姿を見たくて見たくて仕方ないのに!それに、あの人の声だってまだ聞いてないのに…!きっと、すごく優しい響きなんだろうって楽しみにしてたのに!!』
そんな夢見るようなジョミーの言葉に。
キースは、俺が知るかと言わんばかりの態度でふんと鼻を鳴らした。こればかりはキースに同調しても仕方ないだろう。
『じゃあお前の声だな。
まあ、あの王がうわさに聞くとおり聡明な人間なら、お前が喋れないハンデなどないに等しいだろうから。』
お前は黙ってても考えていることが表情に表れるし、と言われ、そうだったのかと今更気がついた次第である。
キースから、どうせ記憶喪失のフリでもしなきゃいかんのに、喋ることができたらお前のことだ、絶対ボロを出す、などと言われていたが。
これでは必要なことさえ話せない…!
いや…、仕方ないのか。声を失うことは人間になるための代償なのだから。
でもでも、これじゃあ彼の前に出たら、僕は変な人になっちゃうじゃないか、キースの馬鹿!
『女の姿にしてやれたらよかったんだが…。それこそ、とんでもない代償が必要だからな。』
『うん。ありがとう、キース。十分だよ。』
女性の姿か…。憧れないわけではないけれど、仕方ない。これ以上、キースを困らせることもできない。
『その代わり、出会いくらいは演出してやろう。』
『へ?』
演出…?
何ですか、それは。
『王は今、砂浜を散歩中だ。都合よく、護衛もいないな。』
『…分かるの?』
『まあな。じゃあ、このまま王の前まで送ってやる。』
『えええっ!?そんな、突然…!』
『出会いはいつも突然だ。じゃあ、がんばれよ!』
言うが早いか、ごうという音ともにものすごい勢いの海流が起こる。
『ちょ…っ、待ってよ、キース!』
海流に飲み込まれつつも、黒い魔法使いに抗議しようとしたが。
『演出のひとつで、お前の着るものは用意しないからな!王に何とかしてもらえ!』
信じられない言葉を聞いて、さらに慌てる。
『え…、ウソ!?そんな…!!』
彼の人の視線につい身体を掻き抱いてしまう。
距離があるから気がついていないようだけど、服も着ていない、下着さえ着けていない状態で、彼の前に出るのは決まりが悪い。
海の底にいるときには考えもしなかったけれど、こうやって地上の想い人の前に出ると、裸でいるのはとんでもなく恥ずかしい。男同士で照れることはないのかもしれないが、やはり美しい彼の人の前に裸体を晒すのは抵抗があった。
しばらく見つめ合って動けずにいたが、彼の人はふっと表情を緩めて、穏やかな微笑を浮かべる。
「…こんな時間に海の中にいると、風邪をひくよ?」
彼がそう言うが早いか、寒気を覚え、くしゃみをしてしまった。この二本の足がつくと同時に、体質まで人間になってしまったらしい。
ほら、ね。
そう言っておかしそうに笑いながら、彼の人は一歩前に出る。ブーツが波に濡れるのも厭わず、また一歩。
こんなところにまで足を運ばせるわけにはいかない。けれど、服も着ていないのだから、恥ずかしいし…。
思い悩んだけれど、浜辺に向かって進むことにしたが。でも、浜には上がれない。最初の出会いが、こんな裸だなんてあんまりだ、と心の中でキースに八つ当たりする。
しかし、今はここにキースはいない。彼の人と僕だけ。
遠目でも、僕の状態が分かったらしい。彼の人は立ち止まると、首をかしげた。
「…何かあったのかい?」
ああ、記憶喪失のフリしなきゃ!そう思って、ここは何処?私は誰?を言おうとしたが。
…そうだった、口が利けないんだったと思い出した。
人魚から人間になるための代償。
うつむいて、黙るより他がない。
「何があったのかは知らないけれど、とにかく上がっておいで。」
優しくそう言われるのに。おずおずと浜辺に向かって歩き出す。
波が腰の辺りまで届く浅瀬まで来て、体重が足にかかったときに、足がもつれてひざをついてしまった。予想外のことにびっくりする。
ああ、歩くのって初めてだから、慣れてないんだ…。
これではとても、浜辺に上がることができない。増してや浮力のないところを歩くなんて…。
困って途方に暮れていると、それを感じ取ったのか、彼の人は紫色のマントを肩から外し、左手に持ってこちらまでやってきた。自分も濡れることなどまったく意に介していないらしい。
「歩けないのか?」
こくりとうなずくと、彼の人は優しく、そう、と言って手を差し伸べる。
「では、この手に掴まって。」
言われるがままに手を出して彼の人の手を握ると、ぐいと引っ張られ、あっという間に抱き上げられてしまった。
この人が濡れてしまう…!
慌てるこちらの気持ちを無視し、あらわになった身体に先ほど外したマントをふわりとかけて、今度は浜辺に向かって歩いて行く。
「身体が冷たくなっているよ。暖めなければ、風邪をひいてしまう。」
微笑んでそう言われるのに、うっとりする。
この人は、以前見たとおり綺麗で、思ったとおり優しくて。初めて聞いた声は、少し低めの落ち着いたトーンで。
「君、名前は?」
そう訊かれるのに、困ってうつむいてしまう。
喋ることができないとは、不便なことだ。それでも、彼の人の微笑を見、彼の人の声が聞けただけでもよしとするべきなのだろうが。
「…もしかして、口が利けない…?」
訝しげにかけられたその言葉に、勢いよくうなずく。
その仕草がおかしかったようで、彼の人はくすっと笑った。それだけで、花が咲いたかのようにまわりが華やかになる。
「そうか。
じゃあ、声に出さなくてもいいから、自分の名前を言ってみて。」
…何の意味があるのだろうと思ったけれど、彼の人がそう促すのだから、口の形だけで名前を刻んでみる。
「そう、ジョミーか。いい名前だね。」
え…?何で分かったの?
疑問に思っているのが顔に出たのだろう、彼の人はまた微笑んだ。
「僕は元々難聴だから、読唇術には長けているんだ。」
これは補聴器でね、と耳にかけている器具をさされるのに、なるほどと思う。
かくして、このインパクトのある出会いは何とかクリアしたようだった。
でも、これからどうしよう…?
まだまだ課題山積状態だけど、彼の人の腕が気持ちよくて。今はこの幸せに浸っていようと、目を閉じた。
2へ
とりあえず、出会いまでを書いてみたくて…!はい、次は天使に取り掛かりまーす!その次は放置状態の連載にも…。 |
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