ところは、海の底。魚たちの楽園というべき穏やかで美しいときが流れる深い海底に、踊るように、舞うように泳ぐ美しい人魚の姿があった。
金髪に緑の瞳。激しい潮の流れさえ楽しむように、微笑を浮かべ、暗い深海に向かって泳ぐ姿には恐れなどは感じられない。その暗い海底ですら、人魚の美しい姿があたりを照らし出すように明るくなったような気がするくらいだ。
人魚は不意に動きを止めると、軽やかな声で、キース、と呼んだ。
やがて、さらに深い海の底から応えがあった。人魚は戸惑うこともなく、さらに泳ぐ。そして、岩と岩の間の穴倉のような場所に、目当ての人物を見つけたらしく、にっこりと笑う。
「キース、久しぶり!」
キース、と呼ばれた黒髪の魔法使いは、突然やってきた人魚に、目を細めた。
「何だ?お前が改まってこんなところへやってくるとは珍しい。」
ジョミー、と呼びかけると、金髪の人魚はいたずらっぽく笑う。人魚の姿で描かれるのは女性が大半だが、この人魚は少年の姿をしている。
しかし、少年の姿をしているだけで、美しく整った顔や生き生きとした表情、軽い身のこなしは、マーメイドの名に相応しく、生ける真珠のごとき輝きを備えている。
「あの、あのさ、相談があるんだ。ていうか、頼みごとがあるの!」
戸惑いがちに言うジョミーという人魚に、キースはふん、と鼻を鳴らした。
「ほう、お前が俺に頼みごととは。」
それで?と促すのに、ジョミーはじっとキースを見つめた。
「ねえ、キースは魔法使いだから、何でもできるんだよね?」
「何でもとは言い切れんが、大概のことはな。」
「そうだよね…。」
言いながら考え込むジョミーに、キースは眉を寄せる。
「どうした?」
普段のジョミーは元気が泳いでいるようなもので、こんな風に思い悩んだような彼の姿は初めてだ。それによくよく見れば、少しやつれたような気がする。以前はふっくらしていた頬がこけて、目の下には隈さえ見える。
「キース…。僕、人間になって地上に行きたい。」
「…何だと…?」
思いつめたように言うジョミーに、キースは眉をひそめた。人魚は通常、海底深くにいるもので、地上との接触はしないことになっている。
「それはなぜだ?」
注意深くジョミーに問う。
地上とは別個の文化を持つ海底の王国の存在は、人間たちに知られてはならないし、知られたら最後、人間たちの好奇の目に晒され、王国自体が崩壊するだろう。
「地上に…会いたい人がいるから…。」
その答えにますますキースの表情が強張る。
「まさかと思うが。地上の女に恋をしたわけではないだろうな…?」
「ち、違う!!」
首がちぎれんばかりに振り、否定するジョミーにほっとする。ジョミーは思い込みが激しいところがあり、それが恋愛に向けられたらどうなるか、想像するだけでも恐ろしい。増してや、その相手が人間の女性だといわれた日には、どうしようかと思っていたところだ。
「そうか。それならいい。」
しかし。ジョミーは上目遣いにキースを伺って。
「地上の、男の人を好きになったって言ったら…、怒る…?」
「何だと!?」
ためらいがちに言われたその言葉に頭の中が沸騰しそうになって、黒髪の魔法使いは目をむいた。
「お前、地上の人間との色恋沙汰はご法度だと知らないわけではないだろうが!!」
「分かってるよ!分かってるんだけど…!」
キースの勢いに負けないくらいに言い返していたジョミーだったが、すぐにしゅんとしてうつむいてしまう。
「…好きになっちゃったんだから、仕方ないじゃないか…。」
その様子に、キースは深いため息をつく。
「…まったくお前という奴は…。」
だから、こいつと付き合うとろくなことにならないのだ。思い込みは激しいし、こうと決めたらてこでも動かない。一旦信じてしまうと、裏切られることさえ恐れず一途に思い込む。
「それで、どこの誰なんだ、その好きになった男というのは。」
そう問いかけるのに。
「王制国家シャングリラの国王。」
あっさりとすごい返事をするジョミーに、呆気にとられる。
「…お前…、身の程知らずもその辺にしておかないと、いい加減見捨てるぞ。
シャングリラの国王といえば、若いが辣腕で、近隣国家との調整もそつなくこなす名君の誉れも高い王だろう。」
そうなの?と言わんばかりに首を傾げるジョミーに、頭痛がする。
「よく考えてみろ。普通の一般国民ならまだ脈もあろうというものだが、相手は国王だ。国家の最高権力者だぞ?
例えお前が人間になって、よしんば国王と会えたとしてもだ。国家を担う王ともあろうものが、身元も分からない後ろ盾もないお前を、側に置くわけがなかろう。」
「そ、それはそうなんだけど…。」
そのことは理解しているらしい。口ごもりながら、うつむいて悲しそうに目を伏せる。
「大体、お前いつ国王なんぞを見る機会があったんだ?」
ここからシャングリラまでは距離がある。ちょっと散歩に出てきました程度で到達できる距離ではないはずだ。
「その、この間この上を大きい船が通りかかって…。それで、興味があって海面に顔を出して見ていたんだ。」
好奇心旺盛なジョミーならありがちだ。
「…そのときに、船に乗っていたのか?その王様が。」
「うん。綺麗な女の人と一緒だった。」
それを聞くと、キースは思いっきり眉間にしわを寄せた。
「お前…、どこまで馬鹿なんだ…?
地上のものに恋した人魚が、人間でいられる条件はただひとつ。そのものと結ばれることだけだ。それなのに、そいつにはすでに女がいるんじゃないか。お前、略奪愛でも仕掛ける気か?
知らないはずはないと思うが、そいつと結婚できなかった場合、お前は海の泡となって消える運命だぞ?」
「…それでもいい。」
そんな警告にさえ首を振るジョミーに、キースはがっくりして肩を落とす。
「ジョミー…。」
「だって、この間から彼のことを思い出すたびに苦しくて苦しくて…。会って話をしたい…、ううん、そんな贅沢は言わない、遠くから見ているだけでもいいんだ。
例えば、お城の召使になれれば側にいられるし…、彼が結婚するその直前まで、あの綺麗な顔や姿を見ていることができるかもしれないだろ?」
「…お前は…。」
「だからお願い!こんなこと、キースにしか頼めないんだ…!」
僕を人間にして、と。
泣きそうな顔をして頼んでくるジョミーを、キースはひどく困惑して見つめているより他がなかった。
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中途半端な連載がヤマとある中で、こんなものをアップしてしまう私をお許しくださりませ〜!ジョミブル書いてたら、ブルジョミも書きたくなってしまったのー。男の人魚は、マーマンとかシーマンで、半魚人だろうというツッコミはナシの方向でお願いします! |
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