『ブルー?』
優しく囁かれる思念に、はっとする。
いつの間にか眠っていたらしく、慌てて目を開けると、ベッドから数メートルのところに青白い光を放つ人影が見えた。
…ジョミー?
少年らしい面差しは影をひそめ、憂いに満ちた緑の瞳とシャープになった顔立ち、そして以前よりも高くなったであろう背丈に戸惑って、返事ができない。その彼が、安心したように微笑んだ。
『よかった、元気そうで。』
そう言われるのにむっとした。
「…ジョミー、君の本体は今どこだ?」
来てくれたのは嬉しいが、彼は実体ではない。恐らく意識だけを飛ばしてきているのだろう。フィシスから、人類統合軍を相手に戦っているとは聞いているが、久しぶりに会うジョミーが実体でないという事実に腹が立った。
『ナスカの地上基地です。あ…ナスカとは、今若者を中心に…。』
「それはフィシスから聞いた。」
疲弊していたミュウの若者たちの安住の地。仮の居住地であるとはいえ、根無し草のように宇宙をさまよっていたミュウたちにとっては、新たに見出した安らぎなのだとフィシスは言っていた。
『…すみません…。』
途端にしゅんとするジョミーに。
…強く言いすぎたと反省した。彼は彼で、僕が眠っている間がんばってきたのだから。
「謝ることは…ない。君はみんなをまとめてよくやっていると聞いているから。」
そう伝えれば、ジョミーはほっとしたように笑う。だが、すぐに表情を曇らせた。
『いえ、あなたを地球へ連れていくと言いながら、こんなところで時間を取ってしまったのは、申し訳ないと思っています』
そうしていると、出会ったばかりのときの少年らしさが垣間見える。そのことにブルーはほっと息を吐いた。
ジョミーが悪魔でありながらこの世界に留まっているのは、ともに地球へ行くという約束のためだ。そのときの心をジョミーが変わらず抱き続けていると感じて、嬉しくなった。
「…ジョミー。ナスカでの出来事で、僕に報告することはないのかい?」
しょんぼりとしたジョミーに謝る必要はないといおうとしたのだが、そのまま話が変な方向に流れるような気がしたので、手っ取り早く話題を変えた。
『もう誰かから聞いたのでは?』
「意地悪しないで教えてくれ。君の口から聞きたい。」
そうねだるように言えば、ジョミーはくすっと笑った。
『ええ、まずはカリナとユウイが結婚し、自然出産に成功しました。そのほか数組のカップルが自然出産を試み、ナスカで生まれた子どもたちは7人になりました。その子どもたちは…。』
しかし、ジョミーが言いかけたところへ、警報が鳴った。その途端、ジョミーの表情が固く、冷たくなるのが分かった。
『…こちらを片付け次第、シャングリラに上がります!』
話はそのときにと告げ、ジョミーは強引にテレパシーによる会話を打ち切った。
…片付ける…。
どうやら、警報は人類の戦闘機が迫ってきているということらしい。ということは、当然『片付ける』のは人類の戦闘機ということになる。
ブルーはナスカ地上にいるはずのジョミーに思いを馳せた。
…君の中では、人類とミュウとはそういう関係なのだろうか…?
『敵哨戒機、墜落します…!』
やった!
さすがはソルジャー・シンだ…!
反撃の暇も与えず敵をやっつけた!
青の間でスクリーンに映し出される映像を見ながら、ブルーは複雑な気分に陥っていた。
あれは敵なのか? 確かに人類はミュウの虐殺を繰り返し、また実験と称した虐待をも繰り返してきた。けれど…。
真の敵は、人類ではない。
そう、思ってきた。だからこそ、人類との平和的な和解をと考えていたのだが、15年を経過した今、いや、ナスカという安住の地を手にした若者たちは、人類は自分たちを害する敵だと思っている。
…ジョミーの攻撃力に心酔する若者の心からは、そんな意識を感じる。ここにいるミュウの若者のほとんどは、人類がミュウにしたことを知識として知ってはいても、実際に体験したことがないためか、憎しみとか恨みといった感情はほとんどなかった。少なくとも、自分が眠りにつくまではそうだった。
けれど今は…そんな負の感情をひしひしと感じる。あのときと変わったことといえば、アタラクシアの雲海に潜むのではなくナスカという星に住んでいること、それからジョミーが皆を守っていること…。
ナスカを奪われまいとして戦おうとする若者を責めることはできないが、少なくとも敵は人類ではない。間違えてはいけない。それを…ジョミーは何とも思っていないのか…?
『入ります。』
青の間の外から確固たる存在感と思念波とを感じ、はっとした。
彼はいつの間にここへ戻ったのだ…?
「…先ほどは失礼しました。」
以前よりも低くなった声。
ベッドに通じる通路をゆったりと歩く現実のジョミーには、思念体であるときと同じように少年らしさは消え、ほっそりとした細面に大人の表情が見える。それに思ったとおり背も20センチは高くなったようだ。貫禄が伺え、指導者代行という雰囲気がありありと感じられる。リオを従わせる仕草もさまになっている。
それはそれで嬉しい。自分が眠っている間、彼の毅然とした姿と絶大なる力に皆がどれほど安心を覚えたか分からない。だが、心を騒がせているのはそんなことではなく…。
「いや。」
「幸い、偵察艇一機だけでしたので、難なく撃破できました。」
「パイロットはどうした?」
すると、ジョミーの目が不思議そうに見開かれたが、ああ、と納得したように息を吐く。
「…生かしておくわけにはいきません。今ここを知られるわけにはいかない。」
その答えに、少なからずとも愕然とする自分を感じた。予想はしていたが、その言葉をジョミーの声で聴くと、ひどく悲しい気分になった。
「リオ、外してくれ。」
ジョミーは背後に控えるリオに、振り返りもせずに指示する。リオは無言でうなずくと、ブルーに会釈して退出するべくドアに向かって歩き出した。その様子に、この二人の平生のやり取りが伺えるようだった。
…ジョミーがここに来たばかりの時には、リオとは兄と弟のように笑いながら話していたというのに、その関係もすっかり変わったようだ。
「…ブルー?」
訝しげな声に再びはっとした。目を上げると、ジョミーが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「ああ、すまない。」
「…怒って、ますか?」
そういいながら、上目遣いに見上げてくる。
何のことを言われているのか分からなかった。だから。
「…何を?」
そう、訊いた。
「いろいろ…。人類統合軍のパイロットを殺してしまったことや、地球へ行かずナスカに留まっていること、それに…あなたを眠らせてしまったこと…。」
まるで、叱られるのを覚悟して恐々こちらを見つめているその様子に。
つい…笑ってしまった。
「ブ、ブルー?」
「いや、すまない。君の仕草があまりにもかわいかったものだから…。」
ジョミーが変わってしまったと思い込んでいたが、どうやらそんなこともないようだ。
「…かわいいって…。僕、これでも大きくなったんですよ? 立ってみますか?」
だが、ジョミーには気に入らなかったようだった。むっとした表情でこちらをにらんでくる。
背だってあなたを追い越しているのに…とぶつぶついうジョミーを見て、また笑いがこぼれそうになったとき、ふっと先ほどのジョミーの言葉が思い出された。
…『あなたを眠らせてしまったこと』…? ということは…。
「…やはり、君だったのか…。」
すると、ジョミーの拗ねた顔が表情を失った。
「おかしいとは思っていた。いくら寿命がつきかけているとはいえ、急にこんな永い眠りにつくなんて。どういうことか、説明してくれるね?」
ジョミーがシャングリラを乗っ取りたかったとか、ソルジャーになりたかったとは思わない。…いや。真実は分からない。ジョミーには変なところで遠慮があるようで、心のうちをさらけ出して話をしたということがない。
「…気がついてなかったんですね…。」
無表情だったジョミーが、ふっと自嘲的に笑った。その姿にブルーの眉が寄る。
失言だった、とつぶやいてから、ジョミーは顔を上げた。その表情は、今までに見たことのない冷酷なものだった。
「…いえ。あなたなら本来の力を取り戻せば分かることだ。隠す必要もない。」
…言葉を失う。開き直ったとも思えるジョミーの言葉に、かつてたびたび夢に現れては無邪気に笑いかけていた彼が思い出され、そのギャップに戸惑った。
「そのとおり、僕があなたを眠らせました。できればこのままずっと眠っていてほしかったんですが、あなたの力を僕の魔力で押さえ込もうとすること自体、無理があったようです。」
「なぜ…?」
呆然といった体でジョミーの酷薄な微笑みを見つめた。彼はしばらく黙っていたが、息を吐くと再び口を開いた。
「…あなたのやり方に限界を感じたんです。あなたを長と仰いでいては、いつまで経っても地球へなど行けない。」
このとき。
自分の中に沸き起こった感情はなんだったのだろうか。怒りかもしれないし、悲しみかもしれない。人類から身を隠し、物資を奪い、ミュウの子どもたちを攫ってきた方法が、最上の方法だとは思っていなかった。だが、それを否定するようなジョミーの言葉が心に突き刺さった。
それだけ言うと、ジョミーはふいと後ろを向いた。
「…もうあなたに術をかけるようなことはしませんが、僕のやることに口を出さないでください。」
300年間生きてきたというのに…このとき、自分の中にはジョミーにかける言葉など存在しなかった。
「ナスカに留まったのは、疲れ切ったミュウの心に一時だけでも安らぎを与えることができればと思ったから。それにうそはないけれど、ナスカの持つ豊富な資源にシャングリラの設備や軍備の増強を図ることができる、さらにあと数人だけでも高いサイオンを持ったものを作り出すことができればと考えて、自然出産も試みようと…そう思った。人類統合軍を、自分たちを脅かす敵だと認識させれば、心優しくか弱いミュウだとて団結して地球への戦いに身を投じてくれるだろう、と。」
地球へ向かう戦いに、と彼は続けた。
…ジョミー…。
信じられない思いで、ジョミーの後姿を見つめることしかできなかった。淡々と言葉を紡ぐ彼の表情はうかがうことができない。
だが、若者に与えた希望の裏側で、密かにジョミーがこんな計画を推し進めていたとは、まったく思いも寄らなかった。それは誰しもがそうだろう。それが証拠に、長老たちは若者たちのナスカへの愛着に眉をひそめ、その原因を作ったジョミーを非難していたが、彼の計画にはまったく気がついていた様子はない。
「…若者たちに、戦うべき敵を彼らの目に焼き付けてからこの地を離れます。」
戦うべき敵を焼き付ける…?
「それは…どういうことだ?」
「見ていれば分かります。」
後ろを向いたままそれだけ言うと、ジョミーはゆっくりと青の間を出て行った。
以前はジョミーと会うのは嬉しかったし、話すのは楽しかった。彼と言葉を交わすと、浮き立つような気分になれたからだ。けれど、このときばかりはジョミーを引き止めることも呼びかけることもできず、複雑な思いで彼の後姿を見送っていた。
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お久しぶりの更新+ナイトメア♪ こちらも終幕が近いのであります〜。 |
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