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  じゃあまた来ますね、ブルー。そう言って君が行ってしまった後は、することもなく手持ち無沙汰だ。さらに意識が沈みこむまでの少しの間、待たなくてはいけない。
 そのとき、ふと何者かの気配を感じた。ジョミーではない、誰か別の…。
 「あれ?」
 目の前に、思いっきり首を傾げている少年がいた。
 「ここだと思ったのに…。間違えちゃったのかな?」
 …またか。
 闖入者はこれで何人目だろうか。こう回数を重ねられると、怒るというよりも呆れてしまう。
 目の前の黒髪黒眼の少年は、ブルーに対してにっこりと笑ってぺこりと頭を下げる。
 「ああ、すみません。勝手に入り込んでしまって。
 ジョミーの気配を追ってきたのですが、どうも入れ違いになってしまったようです。」
 …まだ礼儀正しいほうか。
 「ジョミーの友人かな、君は。」
 「はい、シロエといいます。よろしく、ソルジャー・ブルー。」
 こちらの身元が割れているということは当然だと思っていたが、それよりも彼が『名乗る』という行為自身に驚いた。
 先日来たあの少女たちと違って、こちらはことの良し悪しをわきまえているように見えるのだが。
 「あ、僕らが名乗る意味を知ってるんですか?ジョミーから聞いたのかな。」
 ジョミーからではないが、その辺の細かいことに触れて時間を費やすのも無駄なことだと思ってあえて訂正はしなかった。
 「命を預けるようなものだと聞いている。」
 「そのとおりですよ。」
 シロエは同意しつつ続ける。
 「ジョミーがあなたを信用しているという事実だけで十分なんですよ、僕が名乗る理由としては。」
 意外に思った。ジョミーは人望があったと聞いたが、これは盲目的な信望というレベルだろう。
 ブルーの沈黙をどう解釈したのか、シロエは笑顔を浮かべた。
 「僕は、ジョミーがあなたに力を貸すことには反対はしません。基本的にジョミーのやることに異論はないんですよ。」
 しかしシロエはそこまで話して、ただ、とトーンを落とした。
 「魔物から人間になってしまうともう戻れないから、ナイトメアとして何かできることはないのか、もう少し考えてくださいという意味で、人間になることに反対しているだけなんです。
 それで保留という手段を取ったのですが…。」
 …なるほど、ジョミーの弁護を買って出たというのは彼なのか。確かに、その気になれば弁が立つのかもしれない。
 「でも、ジョミーのがっかりする顔も嫌いなんですよね、本当のことを言うと。
 今回は、ジョミーにとっては当然ですが、僕にとっても不本意な結果が出たので、せめて早めに報告に来たんですけど。
 ああ、あなたにも関わることだから、お知らせだけしておきましょうか。」
 「僕に?」
 「ええ、ジョミーの処分についての結論が出たんですよ。
 追放処分は見送りです。完全に撤回されました。」
 つまり…、ジョミーは?
 「今までどおりナイトメアとして、活動してもらうことになります。
 こちらにいることは、別に咎められるようなことはありませんので、ご心配なく。」
 「…それだけ、ジョミーは重要な存在だということか?」
 ナイトメアとして。
 「そう言えるでしょうね。
 あんな子供みたいな人ですが、こちらの世界ではかなり力を持ち、それなりの地位にいましたからね。しばらく留守にしただけで、皆随分とジョミーのありがたみが分かったようですから。」
 追放処分を保留したのが裏目に出たということなのだろう。
 「ジョミーは怒るようなことはないと思いますけど、残念に思うでしょうね。だから、せめて早めに知らせておこうと思いまして。」
 そういいながら次には困ったなとつぶやいている。確かに、悪い知らせを持ってくるなら良い役回りとは決して言えないだろう。
 しかし、残念ながら同情はできない。こちらも別の意味で困るのだから。
 「まあ、元々反対しているものは多かったんで、予測できないことじゃなかったんですけどね。
 ところでソルジャー・ブルー、なぜジョミーと契約するのが嫌なんですか?」
 急に振られた質問に、眉根を寄せる。
 一言では説明できないし、説明する気もない。その部分は一種の聖域のようなものだ。
 「君に、言わなければいけないことなのか?」
 その素っ気ない返事に、シロエは気分を害した風もなく、肩をすくめた。
 「…まあいいですけど。人それぞれ理由がありますし、魔物との契約はそれだけリスクを伴いますしね。
 でも、正直に言って、ジョミーは他の魔物とは違いますからね。誠実だから裏切るようなことは絶対にありませんし、力はありますし、言ってみればお得な契約だとは思いますよ。来世に頓着しなければ、ですが。」
 そんなことは今更言われなくても分かっている。
 ジョミーをただの魔物だと割り切っていないからこそ、契約することを拒否しているわけなのだから。
 「では、僕はこれで失礼しますね、ソルジャー・ブルー。ジョミーにも早く知らせたいので。
 …あなたもあまり気を落とさずに。」
 去り際にシロエからかけられた言葉に、複雑な気分になった。
 そんなに落ち込んでいるように見えるのだろうか?
 追放処分が撤回されたことに対する無念さというよりも、魔界でジョミーを必要とするものたちへの嫉妬と言ったほうがいい。ことが魔界で起こっているため、それに関与することができないことも一因だ。
 そう、結局見ていることしかできないのだから。
 「何度もごめんなさい!」
 程なくして、ジョミーの声が響いた。
 来るとは思っていた。多分、あのシロエという魔物にことの次第を聞いて、その足でまっすぐにここに来たのだろう。
 「さっき、ここに来てた奴が言ったと思いますが…。」
 「君の追放処分が撤回されたという話なら聞いた。」
 「…そのとおりです。」
 表情にはいつもの柔らかい笑顔がない。ジョミーは真剣に何かを考えているらしく、同意したっきり黙り込んでしまう。
 そして、はあ、とため息をついてうつむいた。
 「それで、あなたに言っておきたいことがあって…。」
 まさか、君はこのまま魔界に帰ってしまうようなことはないだろうね?
 そう思っていたら。
 「僕、魔界に戻りますね。」
 想像していたそのままの言葉を聞いて、声が出なかった。
 ところがジョミーはというと、ブルーの意識など眼中にない様子だった。
 「さすがに、これで戻らないと問題でしょうから。」
 …君の問題は魔界だけなのか…?
 そう言おうと思ったが、それより先にジョミーが顔を上げた。
 「それで、あなたに伝えたいことと言うのは、僕の身体のことなんですが。」
 「…身体…?」
 突然何のことだろう、と思っていると。
 「ええ、そのままいなくなると不自然でしょう?だから、身体だけは残して行きます。
 一見昏睡状態に陥ったように見えますが、単に精神が抜けているだけなので、心配は要りません。数日以内に戻りますので。
 …あなたに心配をかけるのが、僕の気がかりですから。」
 「…君はここに帰ってくるつもりなのか…?」
 「当たり前じゃないですか。魔界には、抗議にいくだけですよ?」
 …よかった…。
 さも当たり前のように言われた言葉に息を吐く。
 「まさかと思いますが、これで僕が魔界に戻って帰ってこないと思ったとか?」
 ジョミーはというと、そんなブルーの様子がおかしくてたまらないらしく、さっきまでの真剣な様子とは打って変わって、笑いたいのを堪えているようだ。
 大体、君が紛らわしいことを言うから、と文句でも言ってやろうかと思ったとき。
 「僕が帰るところはあなた以外ありません。」
 だから、待っていて。
 そうささやかれるのに、まあいいか、と思ってしまう自分もいて。
 「できるだけ、早く帰ってきてくれ。」
 「はい、僕だってあなたの顔を見られないと欲求不満になりそうですし。
 しばらくの間お別れですね。」
 ようやくいつもの笑顔を浮かべたジョミーに安堵しつつ。
 しかし、やはり魔界に行くというジョミーを見送るのは心配だった。
 
 
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        | 受難再び!やはりナイトメアの展開はこうでなくては…。(違うだろー!!) |   |