|   『そうだ、その手があった!』
 嬉しそうにそう言って消えていったナイトメアは、それからしばらく現れることはなかった。
 ここにいても辛いから、もう来ないつもりなのかもしれない。
 ジョミーの契約を受け入れなかったことに間違いはなかったと思うものの、もう二度と会えないのかと思うと、もっと他の言い方もあったのではないかと思えてくる。
 どう説得方法を変えようと、結果は同じなのに。
 「ブルー…。」
 何の前触れもなく響いた、ジョミーの声と思しきものは、ひどく遠いところから聞こえた。
 …やれやれ、幻聴まで聞こえるようになったか。
 「ブルーってば!聞こえないの!?」
 今度のは随分と近くなったような気がした。しかも、上のほうから聞こえてくる。
 これは…、幻聴じゃない?
 「…ジョミー?」
 ふと上を見ると、ジョミーが上から降りてくるところだった。
 いつも何もないところから現れ、何もないところへ消えていく彼にしては珍しい登場方法だ。
 「久しぶり!元気だった?」
 息せき切って、という表現がふさわしいだろう。ブルーの目の前まで来ると、ジョミーは声を弾ませて、嬉しそうに微笑んだ。
 「…もうここには来てくれないのかと思った。」
 君が来てくれたおかげで、この真っ暗な世界が急に明るくなったような気がする。そのくらい君の存在は僕にとって大きい。
 「そんなわけないよ、また今度って言ったじゃない。
 そんなことより起きて!」
 「ジョミー…?」
 ジョミーは嬉しそうにしながらもブルーの手を掴んで力任せに引っ張った。
 その力は驚くほど強く、意識の底にあったブルーをふわりと浮上させた。
 「知らせたいことがあるから!」
 「ジョミー…っ!」
 ジョミーは降りてきた逆を辿るかのようにぐんぐん上昇していった。その強引さに引きずられるようにブルーの意識が急速に覚醒へ向かう。
 「…っ。」
 まず感じるのは、身体の重さ。そして気だるさ。
 意識が戻っただけなのに、ひどいめまいがする。まわりがぐるぐると回っているような感じだ。その感覚に酔って、再び意識を手放しそうだ。
 例えて言えば、二日酔いで目を開けるのも億劫なのに、急に起こされたような気分。
 「おはよ、ブルー。」
 その声に重いまぶたを開けると、ベッドサイドでにこにこ笑うジョミーがいた。
 「…ジョミー?」
 ブルーの手を握っているところを見ると、その触れた場所からブルーの意識に入ったらしい。接触テレパスのようなものだ。
 …だから今回は上から降りてくるイメージだったのか…。
 確かに以前、夢の世界にだけいるわけではないと言っていたジョミーだったが、ナイトメアともあろうものが、そんなまだるっこしいことをしなくてもと思えるのだが。
 「ブルーの寝顔、しばらく眺めてたんだ。でも、やっぱり起きてるあなたに会いたくなって。」
 「…そう言えば、知らせたいことがあると言っていたね。」
 ブルーはゆっくりと身体を起こした。
 夢の中に直接現れなかったことと、何か関係があるのだろうか。
 「あ、そうそう。僕、今日から…。」
 「ここにいたのか、ジョミー!」
 ハーレイの怒鳴り声が聞こえた。
 …なぜハーレイがジョミーのことを知っている…?
 しかしジョミーはハーレイの怒鳴り声などまったく意に介していないように、笑顔で振り向く。
 「なんだ、もう見つかっちゃったのか。」
 「見つかったかじゃない!大体君には遠慮というものが…。
 おや、ソルジャー、お目覚めでしたか。」
 ジョミーにばかり注意を向けていたハーレイは、そこでようやくブルーのことに気がついたらしい。
 「ああ、ついさっき。」
 「だから、挨拶してたんだよね!」
 ねー、とジョミーは同意を求めてくるが何がどうなっているのかさっぱり分からないので、この場は黙っておくことにする。
 「勝手に挨拶に行くな!そういうことはこちらで指示する!」
 と、ジョミーに釘をさしてから、ハーレイはブルーを振り返った。
 「ソルジャー、彼はジョミー・マーキス・シン。目覚めたばかりのミュウです。」
 何だって…?
 「目覚めたばかりなのですが、能力はかなり強い。あなたと同じ、タイプ・ブルーです。」
 「だから、これからここに住むことになったんだよ。」
 「こら!敬語ぐらい使わんか!!」
 悪魔が…、タイプ・ブルーのミュウ…?
 目覚めたばかりで、聞き間違えているのか?それとも…。
 「とにかく、ここを出ろ!ここは君のような新米ミュウの入り込むところでは…!」
 「ハーレイ、外してくれないか。」
 「は?」
 唐突に会話に入ってきた、というよりも会話を断ち切ったブルーに、驚くハーレイ。
 「彼と話がしたい。」
 「はあ…。」
 さぞ不思議に思っているだろうが、どうも補聴器の具合が悪いとかそういう問題ではなさそうだ。
 ハーレイは妙な顔をしながらも、分かりましたと言って部屋を出て行った。
 「さて、どういうことか説明してもらおうか。」
 ナイトメアなのに、人間の、というかミュウのふりをしているのはなぜか。いや。
 気をつけて見れば、ふりではない。彼からはもう魔物の気配は消えている。
 「…やっぱり、怒ってる…?」
 ジョミーはさっきの元気はどこへやら、一転してしゅんとして上目遣いでブルーを伺っている。
 「ジョミー、僕は説明してくれと言ったんだよ。」
 ジョミーの現在の状況は分かったが、ここまでの経緯がまったく分からない。
 「…今キャプテンが話したとおりだよ。
 名前はジョミー・マーキス・シン。養父はウィリアム・シン、養母はマリア・シン。成人検査でミュウとして目覚めたばかりで…。」
 「そんなことを聞きたいわけじゃないんだよ、ジョミー。
 なぜ君がミュウなんだ?」
 単刀直入そう訊けば、観念したようにジョミーはため息をついた。
 「…だってあのままナイトメアでいても、あなたの力にはなれなかったから…。」
 …絶句である。
 そんなことのために、魔物の力を手放したというのか?
 「まさかと思うが、それがために君は人間になったというわけか…?」
 「まさかって言い方しなくてもいいだろ!?それと人間じゃなくて、ミュウ!」
 ブルーの言い方にむっとしたのか、ジョミーはけんか腰で怒鳴った。しかし、次の瞬間には急にしおれたようにうつむく。
 「あなたが僕の力を利用する気がないのなら、せめてあなたのその目に地球を見せてあげたいって思った。そのために僕ができることは何だろうとずっと考えていた。」
 「………。」
 「だから、決まりごとに囚われない人間、というかミュウになって、あなたの手助けがしたくて。」
 「………。」
 「…やっぱり怒ってるよね…?」
 そんな目で見つめられると、怒るに怒れない。それに、理由が理由だ。気が抜ける。
 「…呆れただけだ。」
 それが正直なところ。そもそもこちらが怒るような筋合いの話ではないのだ。
 だが、自分が魔物でなくなった意味をジョミーが本当に分かっているのか、それが気になった。
 「『人』であるということは、魔物本来のものよりも寿命ははるかに短く、使える力もわずかなのだろう。」
 「うん。」
 ジョミーは素直にうなずく。
 本当に分かっているのか、さらに心配になってきた。
 「『人』であっても永遠の命を望むものや、力を望むものもいるというのに。君はそれをこともなげに捨ててしまったんだよ?」
 「僕が望むものはあなただから。」
 だからそんなの関係ないよ、とつぶやく。
 「あなたと一緒に生きて死んでいくのもいいかなと思ってさ。僕、これからはあなたとずっと一緒にいたいから。
 寿命も力も、あなたと引き換えにするなら惜しくない。」
 さすがに。
 それ以上は何も言えなくなってしまった。
 「ブルー…?」
 …ジョミーには告白をしているという認識はあるのだろうか。いや。
 おそらく、ごく普通のことを話しているような感覚に違いない。それが証拠に、表情も声音も落ち着いていてまったく乱れがない。むしろ、こちらが黙り込んだことを不審に思っているらしい。
 「…先を越されたな。」
 「え?」
 案の定、ジョミーが不思議そうな顔をする。
 「では、君はもう魔物ではないわけだな?」
 まあ、こうなってしまったのなら仕方がない。とあっさり現実を受け入れることにする。
 それに魔物の力がないのなら、どう逆立ちしても、寿命を延ばすといった契約などはなくなるはず。そう思ったのだが。
 「あー、それがさ。」
 と、ジョミーはばつが悪そうに頭をかいた。
 「僕はそのつもりだったんだけど、勝手に弁護してくれる奴がいて…。」
 もう少しで魔族の世界から追放だったんだけど、執行猶予になってるんだ、とジョミーは説明した。
 「つまり…、一応身体や能力はミュウのものだけど、まだ魔族に戻ることができる、っていう状況。
 でも本当はそんな予定じゃなかったんだよ!その、勝手に弁護に立ってくれた奴が口のうまい奴で、気がついたらそういうことになってて…。」
 そんな話を聞いてつい思ってしまったことが。
 …なんて中途半端な…。
 だった。
 「でも、ずっとこのままでいたら、さすがに追放処分にはなるよ!魔界だってそんなに甘くないからね!」
 いつのことなんだろう、それは。
 僕が死ぬまでに君は本当にミュウになってくれるのだろうか…。なんだか生殺しにあっているような気がしてきた。このまま君に何も言えずにしばらく過ごすのかと思うと、ため息が出そうだ。
 「ねえ、本当に怒ってない…?」
 ブルーの沈黙を誤解したらしく、ジョミーは不安そうにこちらをうかがう。
 「怒ってないよ。」
 …ジョミーがここにいる。今はそれで満足しよう。
 「よかった…。」
 ブルーの微笑みに安心したらしく、ジョミーもつられるように笑顔を浮かべた。
 が、次の瞬間には神妙な顔をした。
 「でさ、ブルー、僕思うんだけど。」
 ジョミーはためらいがちに切り出す。
 「もしも、あなたの好きな人が僕だったとしたら…。
 あなたに先立たれる運命だったとしても、僕はあなたに気持ちを打ち明けてもらいたい。思い出は辛いものだけじゃないと思うし、ときには生きるための力になると思う。」
 「ジョミー…。」
 うつむき加減で話していたジョミーは、ふと顔を上げ、次にはまぶしいほどの笑顔を浮かべた。
 「だから、応援する。ブルーとその人が幸せになれるように!」
 ブルーはというと。
 寝起きのときよりもさらにひどいめまいに襲われたような気がして、反応ができなかった。いや、もうめまいというよりも、金だらいが頭上から落ちてきたような感覚だった。
 「じゃあそろそろ行かないと。キャプテンが待ってるから!
 起こしてゴメンね、ブルー。ゆっくり休んで。」
 言いながら手を振って出て行くジョミーを引き止めることもできず、呆然と見送るしかできなかった。
 ジョミーが青の間から消えても、動くどころか眠る気にさえまったくならず…。
 君の望みは僕だと言ってくれたのに。
 「…嫉妬どころか、気にもしてくれないのかい…?」
 君以外だと思っている僕の想い人に対して。
 さすがに、いまだにジョミーがナイトメアという立場を保ったままだという事実が呪わしかった。
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        | 近々アップと言っていたのに時間がかかってゴメンナサイ…。どうにも最後はお笑いになってしまいました。 |   |