社長たるブルーは、新プロジェクトはシンに任せると言っていたが、彼自身は日中は通常業務をこなしており、プロジェクトにかかる業務はあの少年少女たちに任せきりらしい。しかも、シンの業績自体はまったく落ちていない。と言うことは、彼は実際プロジェクトにはほとんどタッチしていないのだろう。
「どのくらい進んでいるんだ…?」
「あんたの気にするようなことはない。」
ハーレイが廊下の端でシンを掴まえて問い質しても、彼の返事は素っ気ない。
「それに、あんたは社長のお守をしていればいいんだから、どうでもいいことで気を回す必要などない。」
しかめっ面で、これ以上構うなと言わんばかりだ。
「ど、どうでもいいとは何だ…!」
「あんたは、ブルーの…いや、社長のスケジュール管理だけに没頭していればいい、と…。」
慌てて言い直したが、ハーレイはその言葉を聞き逃さなかった。
「君は…!社長まで呼び捨てにする気か…!」
そう責めたのだが。
当のシンは、自分の失言に対して、慌てたように片手で口を押さえていて、その様子がいつもの彼らしくなくハーレイには映った。
…珍しい、こんな非常識でも社長に対する礼儀はわきまえているのか。
そう思ったが、考えてみればシンは、社長の前ではずけずけとした物言いや荒っぽい言葉遣いは別にして、悪態や暴言の類は吐いたことがない。
しかし、それもうなずけるか。何せ自分が仕える人なのだから。
そんな誇らしい気持ちに、ハーレイはこっそりと胸を張った。
ブルーは、この会社の社長となってまだ3年しか経っていないが、そのカリスマ性にはただただ驚くばかりだ。
3年前、この会社は今以上に行き詰っていて、倒産もやむなしという状況まで追い込まれた。前社長は自殺、残された役員は途方に暮れたのだが、そのときに新社長として後釜に座ったのが、前社長の遠縁だというブルーだったのだ。
誰もが人員の削減を考えていたところが、ブルーはそれをやらなかった。もちろん、人件費の削減は行ったが、それがために解雇した社員は一人もいなかったのだ。
…それがよかったのか悪かったのか、今となってはよく分からないが、ブルーの手腕により、資金繰りは何とか目処がつき、まだ業績が上向いたわけではないが、今は落ち着いている。
そんな折に持ち上がった新規プロジェクトなのだ。これで失敗でもしようものなら、出資している会社は一斉に手を引いてしまうだろう。
「…まあ、反省しているのなら社長を呼び捨てにしてしまったことは不問にしよう。
しかし、君は自分の立場がどれほど重要か分かっているのか?君が担当する新規事業は、会社の命運をかけているのだぞ?」
だが、その後段を聞いたシンは、またいつもの不遜な態度に戻ってしまっていた。
「だから? この会社のことなど、どうでもいいと何度言わせれば気が済む?」
「な…っ!」
今のしおらしい態度は一体なんだったんだ!?
「とにかく。あんたは社長のお守さえしていればいいんだ。」
「お守りお守りと言うな、失礼な!」
まるで子供の相手をしているように聞こえるではないか!
「では体調管理といっておく。」
うるさそうにこちらを見遣ってつぶやいたその言葉に、今度は別の疑問が湧いた。
確かに。天は二物を与えずとのたとえのとおり、ブルーにも欠点がある。それは、身体の弱さなのだ。
見目麗しく、物腰も柔らかで、才能にも恵まれているというのに、生まれつき身体が丈夫でなく、少しのことで発熱することもたびたびある。それでも、熱が高く身体を動かすことさえ億劫なときでも、何も言わず平気な顔をして仕事をこなしているときすらあるのだ。
だがしかし。
何でそんなことを知っているのだ、こいつは…?
よく考えれば、シンの帰りを待って遅くなったときにも、『こんなに遅くまで残らせて、風邪でもひかせたらどうする』と言っていたのを思い出す。
身体が弱い、ということは、対外的に伏せてある。会社のトップに立つものの健康が優れないなどということが表に出てしまうと、どんなうわさが流れるか分からない。トップに立つということは、それだけ責任が重い、ということなのだが…。
「…君は、どこかで社長の体調の風評を聞いたことがあるのか…?」
その言葉にも、シンは詰まったように黙り込んだ。
「まさか…、変なうわさが流れているわけでは…。」
「そんなことないはない。」
しかし、シンは即座に否定してきた。
「あの社長の線の細さと色の白さを見れば、誰だって身体が丈夫だなんて思わないだろう。大体今日社長が不在なのは、大方熱でも出したからだろうが。」
…大当たりだった。
今日、ハーレイがブルーを迎えに行ったとき。いつものとおり、車に乗り込もうとして彼とすれ違ったときに熱いと感じて改めて熱を測ったところ、39度近い熱だったというわけなのだ。
以前、無理を押して入院直前まで悪化したことがあり、そういう場合は代理が効かないときを除き、極力休んでもらうようにしている。
しかし、こいつは見かけによらず社長のことを気にしているのだろうか? 他人の陰口などどこ吹く風と受け流し、業務の邪魔になれば手段を選ばず排除するともっぱらのうわさのこの傍若無人な男が…?
「…変な評判が立っていないのなら、いいが…。」
何はともあれ、こいつの推測だけの話だったのか。
ハーレイは心の中でそうつぶやいて、ほっとため息をついた。そして、新プロジェクトの話を再会しようとしたのだが。
「失礼する。来客がある時間だ。」
あっさりとハーレイをかわすと、さっさと歩き出してしまった。
「シン…!」
だが、シンはまったく足を止めることなく、そのまま歩き去ってしまった。
その同時刻。
立派な屋敷の門扉の前で、シルバーフレームの眼鏡をかけた赤毛の青年は、まるでにらみつけるようにその向こうに見える屋敷を見つめていた。スーツ姿であるところを見ると、どこかのエリート社員のようである。
どのくらいそうしていたのか、門柱に取り付けられているインターフォンから雑音のようなものが聞こえてきた。
『君は確か、トォニィだったね。入ってこないか。』
続いて、社長室で聞いた、あの涼やかな声が聞こえてきた。だが、トォニィはそれを聞くと苦虫を噛み潰したような顔をした。
「別に用はない。近くを通りかかっただけだから、これで戻る。」
言いながら、きびすを返そうとしたのだが。
『せっかくだから、お茶でも飲んでいかないか?』
その言葉で足が止まったが、トォニィは冷笑を浮かべるとせせら笑った。
「いいご身分だな。人が働いているのに、お茶の誘いか?」
『そうだね、すまない。でも、息抜きは必要だよ。それに、シンに渡してほしいものがあるんだ。頼まれてくれないか。』
そう言うと、トォニィは押し黙った。
『今、門扉のロックを解除する。
正面に階段があるから、そこを上って右に曲がり、突き当たった部屋まで来てほしい。…すまないが、今日は体調を崩していてね。出歩いたのがバレると叱られるものだから。』
ここまで来てくれないか、と言われるのに。
「茶は要らないからな。」
それだけ言うとトォニィは、門を押して中に入った。
言われたとおりの順路で到達した部屋のドアを、ノックも何もなしに開いた。
ここに来るまで、誰とも会わなかった。それどころか屋敷にはまったく人の気配がない…?
「よく来たね。」
「あんたが来いって言ったんだろ。」
ベッドの上の佳人に満面の笑顔で迎えられたトォニィは、それとは正反対に仏頂面で相対した。
「それで? ジョミーに渡したいものって何だよ?」
「ああ、そのテーブルにある包みだ。」
蒼白な顔色だが、笑顔と声は普段と変わりがない。
トォニィは不審そうな顔つきで、ゆっくりとテーブルに歩み寄ってきちんと包装された小さな箱を手に取った。
「何だよ、これ。」
…気のせいか、包装紙も古びているような気がするが。
「返しておいてくれと頼まれていたんだ。」
「誰から?」
「…妹からだと言っておいてくれ。」
箱を取り上げて怪訝そうな顔をしているトォニィに、ブルーは寂しげに笑う。
「おそらく…、そう言えばシンには分かるだろうから。」
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更新が滞っていてすまんこってす…!早くシンブルになりたーいっ!というわけですが、まだ入り口すら見えない状況です〜…。 |
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