深夜。
酒が入っているせいか、隣の部屋の男たちがいびきをかいて眠っている様子が開いたドアから見える。いや、ひとりだけはまだ起きていて、酒びんをあおっている。
ジョミーはその男を伺いながら、じっと黙って考え込んでいた。
「…ジョミー、君はもう…」
「しっ、黙って!」
逃げろ、と言おうとした少女に、ジョミーは短く言い放ってから、我に返ったように「ゴメン」と頭をかいた。
「…とにかく、あなたは身体を休めてて」
それに対して何か言おうとした少女だったが、結局何も言わずに安っぽいベッドに身を横たえた。今は小康状態を保っているが、喘息の発作は少女の身体から体力を奪ってしまったらしい。荒く息をつく姿に、それがよく分かる。
しかし、今はもう2時。夜明けを待ってから警察が踏み込のなら、もう時間はいくらもない。
そのとき、ふらりと男が立ち上がった。用を足しにでも行くのか、ふらつく足取りで二人のいる部屋を通過して、外へ出て行く。それを待っていたかのように、ジョミーはすっと立ち上がった。
「手、出して」
小さな声でささやくと、少女はきょとんとして少年を見つめた。
「早く」
促されるままに、縛られている両手を差し出す。同時にジョミーの手に鈍く光るものが握られた。声を出す間もなく、それがすっと振り下ろされ、少女の手を縛っていた縄がはらりと落ちた。
「早く、こっち」
自由になった手の片方を引っ張って、ジョミーは少女に起き上がるように促した。
「ジョミー、君…?」
「早くしないと、奴が戻ってくる。その前にここを出なきゃ…」
「でもジョミー…」
「早く!」
小さな身体からは考えられないほど強い力で引っ張られ、少女はつられるようにして起き上がった。
「でも…僕は君の足手まといになる…」
「いいから!」
さらに引っ張られ、少女はジョミーに引きずられるようにして立ち上がった。
ジョミーが向かったのは、裏口らしい。ジョミーは、男が出て行った方向とは反対側の小さなドアをそっと開けた。外を確認してから少女を伴ってドアを出て、音をたてないように再び閉める。どうやら、裏口はごみだめのような裏通りに通じていたらしい。
「ジョミー…僕は多分逃げ切れない。だから…」
「こっちだよ!」
少女の当惑したような声を遮るように、ジョミーは掴んだ手を引いた。だが、十メートルも行かないうちに、少女の足が止まる。
「もう少しだから、がんばって…!」
立ち止まって苦しそうに息を吐く少女に、ジョミーは励ますように掴んでいる手を強く握った。しかし、少女は首を振る。
「この身体では、追手がかかれば逃げられない。君だけ逃げて…」
「大丈夫! 僕が絶対に君を逃がしてあげるから!」
自信たっぷりに胸を張るジョミーに、少女は目を瞠った。
「こっち。もう少しだから、ね?」
言いながら少女を引っ張って、路地を曲がる。そこでジョミーは少女から手を離した。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、ジョミーは小さなマンホールのふたをぐっと掴んだ。重そうな音を立ててふたが持ち上がり、真っ黒な穴が現れた。
「暗くて見えにくいけど、このマンホールには点検作業用のはしごがついてるんだ。早くここを降りて」
「ここ…って…?」
目を丸くしている少女に、ジョミーはにこっと笑った。
「僕たちのアジトに隠れていれば、見つからないよ。その…綺麗な服は汚れちゃうだろうけど…」
そう言われて、改めて中を見る。いつつくられたものなのか知らないが、さびついたはしごが見える。そう大きいマンホールでもないため、ここを降りて行けば、確かに真っ白なワンピースは赤茶けてしまうだろう。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも…。
「…どうして…君は僕を助けようとする…?」
「え…どうしてって…」
抑揚のない問いかけに、ジョミーはきょとんとする。
「…言ってみれば僕は捨て駒だ。そんな僕を、どうして助けようとする?」
「僕がそうしたいから」
ジョミーの答えは単純なものだった。何の迷いもなくそう言ってから、ジョミーは照れたように頭をかいた。
「そりゃ、僕はあなたの事情なんて知らない。けど、僕があなたを助けたいんだ。だから…お願い、一緒に逃げて…?」
その言葉に、少女は呆然としていたが。
「どっちだ? どっちに行った!?」
「子どもの足だ、そんなに早く逃げられるわけはない。探せ!」
向こうから、男たちの気色ばんだ声が聞こえてくるのに、慌てて背後をうかがった。ここに来るのも時間の問題だ。
「早く…! 奴らが来てる!」
確かにこんなところで悠長に話をしている暇ではない。少女は意を決したように、マンホールのはしごに掴まって下へ降り始めた。ジョミーも同じようにはしごに掴まり、重いマンホールのふたを音のしないように閉じた。その直後、男たちが慌てて上を走って行く靴音が狭い穴の中に響く。
ジョミーはほっと息を吐いて、下にいるはずの少女に「ゆっくり降りて」と声をかけた。
「急がなくていいから。ゆっくり」
それから二人は黙々とはしごを降りた。やがて足がコンクリートの床に届く。が、まわりは真っ暗で何も見えない。
「あ、ちょっと待ってて」
ジョミーの声がしたと同時に、ぱっと明かりがともった。小型の懐中電灯を持っていたらしい。決して十分な明かりではないが、ないよりましといったものだろう。二人が下りた場所は、下水の流れる大きな地下道といったところだった。すえた匂いに、少女は顔をしかめる。
「ゴメン…あなたの身体にはこんな場所はよくないのは分かっているけど、どうしようもなくて…。もう少し歩いたら、ちょっとはマシな場所に出るから。だから…我慢して」
言いながら、ジョミーは再び少女の手を取って歩き始めた。
「でも、ここにいれば奴らは手出しすることができないよ。この迷路みたいな地下道の地図はどこにもないし、大体こんなところが僕たちの住みかだなんて思ってないだろうし」
「住みか…?」
「うん。家がないからね、僕たちは」
そう言いながら、今度は数歩歩くだけで息の上がる少女に気を遣って、ゆっくり歩く。
足元ではキィキィとねずみの鳴き声が響き、そこここを走っている様子さえ分かる。普通の女の子なら悲鳴を上げるだろうに、この少女はそんな様子はない。蒼白な顔色だが、特にねずみを怖がる様子はなかった。
「…ねずみ、平気?」
「…別に…」
ジョミーはその様子に首を傾げたものの、男たちの言う上流階級だから、ねずみを見たことがないのだろうと思った。
…それに、こんなところで泣き叫ばれたら、さすがに僕も困るし…。
「…ここに…住んでいるのか」
そんなことを考えていると、少女が低い声でつぶやいた。
「うん…。環境が良くないのは分かってるんだけどね。仕方ないよ」
自分の境遇を悲観した口調では決してない。少女は、自分の手を引いて前を歩くジョミーを見つめた。
「君の…親は…」
「いない。物心ついたときから、いた記憶がない」
そう言ったが、次にはぱっと笑顔になってこちらを振り返った。
「でも、仲間はいるんだ! 大事な仲間だよ」
「…仲間…」
「うん、お互いに助け合って生きている、大切な仲間なんだ。だから…あなたのこともきっと助けてくれる!」
その台詞に、少女は呆気にとられたように黙り込んだが、やがてふっと表情を緩めた。
「そう、か。ならばなおさら、僕のことはさっさと切り捨てたほうがいい」
それを聞くと、ジョミーはむっとしたように頬を膨らませた。
「どうして!」
「さっきの男たちは、僕を取り返そうと躍起になっている。捕まればただでは済むまい。君の仲間もだ」
それを聞くと、ジョミーはにこっと笑った。
「大丈夫! あんな奴らに捕まるような間抜けじゃないよ、僕も仲間も!」
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あれれれ…。3回で終わるどころか、過去はあと2回は行きそうです、すみません…。現代ではもう1回で終わりという状況なのに…。(汗)
やはり「ブルー」という名前を書けないのは、ストレス…。 |
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