『いつもの喘息の発作だから』
切れ切れにそう伝えてきた少女は、今も苦しそうに咳き込んでいる。
「いつもの発作って…放っておいて治るもんでもないんだろ!?」
ジョミーは怒ったようにそう言うと、少女を振り切って隣へ続くドアを開けた。
「ま…って…!」
「呑気に酒飲んでる場合じゃないだろ!? あんたらの大事な人質が病気なんだよ!」
ドアを開け放つなり、ジョミーは馬鹿騒ぎしている男たちに怒鳴りつけた。
「何だと、この野郎!」
「貴様何様のつもり…!」
「ガキのくせに…!」
気色ばんだ男たちが一斉にそう言いかけて。
「…病気だと?」
ようやくジョミーの言葉が脳に届いたと見えて、ひとりの男がのぞきこんできた。顔面蒼白にして冷や汗をかきながら、苦しそうに咳き込んでいる少女の姿に、男たちも一瞬たじろいだ。
「なぜだ!? さっきまで平気な顔してたくせに…っ!」
「け、仮病じゃないのか!?」
仮病で冷や汗までは出ないだろう。ましてや、少女ののどからは、ヒューヒューという妙な音が鳴っているのだ。男たちはそう言っておろおろと目を泳がせた。
「喘息だって言ってた。どうせ病院には運べないんだろ? 薬買ってくるよ」
ジョミーがそういうのに、男のひとりがむっとしたように顔をゆがめた。
「何勝手なこと言ってやがる!」
「じゃあ、あんたが喘息の薬買ってこいよ。僕はここで彼女をみてるから!」
だが、ジョミーの言葉に男は嫌な顔をした。
「だ…大体、今の時間にやってるドラッグストアなんて…」
「僕が知ってる。あんたたちが知らないんなら、僕が買ってくる…!」
…どうやら、土地勘はジョミーのほうにあるようだ。
男のひとりが仕方なく、ジョミーの差し出した手に一枚の紙幣を渡した。ジョミーはそれを本物かどうか確認してから、少女の枕元までやってきた。
「急いで薬買って戻ってくるから、もう少し我慢して」
「…ミー…」
苦しそうに咳き込む合間、少女は何か言いかけたようだったが、それは言葉にならなかった。
「うん、大丈夫だよ。すぐだから」
安心させるように笑ってから、ジョミーはきびすを返した。
「持ち逃げ済んなよ、小僧」
「誰がそんなせこい真似するかよ!」
出て行きしな男にそう言い返して、ジョミーは走って外へ飛び出した。
「…ふん。まったく上流階級は、身体もうやわに出来てるんだな」
「まったく、金のかかるガキだ」
苦しそうに咳き込む少女を蔑んだように見下ろし、男たちは再び酒盛りに戻って行った。とりあえず、今発病しているのが喘息というもともと持っていたらしい病気であること、それから薬さえあれば何とかなるだろうという無責任な安心感に、またリラックスできたらしい。
それでも、さすがに今度はドアを閉めることはしなかった。苦しそうに喘いでいる少女をちらちら眺めている。…しかし、見ているだけで介抱しようとする様子はない。また、少女のほうも何をも求めることがない。ひとりで息苦しさに耐えているだけだった。
「ただいまっ」
時間にしてほんの5分程度だろう。ジョミーが室内に走り込んできた。
「けっ、早いじゃねえか」
「ガキが色気づきやがって」
「馬鹿言うなよ!」
ジョミーは大声で言い返すと、すぐに持ってきた袋を開けようとした。だが、金を渡した男がさっとその袋を取り上げてしまった。
「何すんだよ!」
「おい、釣銭寄越せ」
そう言って手を出したが、ジョミーはふんと鼻を鳴らした。
「あるわけないだろ! あれでも足りなかったんだよ」
「足りなくて、どうやって買ってきたんだ!?」
「値切ったんだよ! ほら、店の親父に書いてもらった明細! 差額払う気があるんなら、いくらでも預かるけど!?」
その汚いメモ書きを見て…男は不承不承薬の袋を渡した。汚い字とはいえ、子どもの書けないような薬の内容に、信憑性があったらしい。ジョミーはそれをひったくるように受け取ってから袋を開ける。
「ええと、親父から最初にこのスプレー缶で吸入しろって言われたよな…」
「ふん、せいぜいしっかり看病してやることだな…!」
そうつぶやきながら袋の表書きを見ている少年を憎々しげに見やって、男たちは白けたように隣の部屋へ出て行った。
「親父脅して強い薬もらってきたから、早く効くはずだから」
そう言いながら、少女を抱き起こし、スプレー缶を口にあてがってから背中をさすってやる。息をする間もないほどひどく咳き込んでいた少女も、少しずつ落ち着いてくるのが分かって、ジョミーはほっとしたように笑った。
「…強い薬だから、乱用するなって言われたけど、発作がひどいって言ったらこれくれたんだ。本当は、医者が処方しなきゃもらえない薬なんだって。…これくれたのは麻薬で商売してる腐れ薬剤師だけど、僕たちみたいな子どもには、ちゃんとした薬くれる人だから大丈夫」
まだ呼吸も荒いし、ぐったりとしているが…。それでも咳はおさまってきたらしい。紅い瞳をうつろに開いたまま、ぼんやりしている様子にジョミーは優しく話しかけた。
「このまま眠れるのだったら、眠ったほうがいいよ。あっと、その前に薬飲んで」
そう言ってから、ジョミーは錠剤を取り出した。
「水で飲みこまずに、舌で転がすように服用してって言われた。そんなに苦くないはずだからって」
その錠剤を素直に受け取りはしたものの…少女は薬を飲もうともしない。
「…ねえ、また発作が起きるかもしれないから、飲んで…? もしかして、いつも飲んでいる薬と違うかもしれないけど、今は…」
「…君は、彼らに雇われているのか?」
少女はぽつりとそうつぶやいた。さっきまで咳をしていたためか声はかすれていて、喋るたびにゼイゼイという苦しそうな呼吸音が聞こえてくる。すると、ジョミーは苦いものを飲みこんだよな顔をしたが、やがて観念したようにこっくりとうなずいた。
「う…うん…」
そうか、とつぶやいてから、少女は自ら上体を起こそうとしたが、結局再度ジョミーの腕の中に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫!?」
声をかけたジョミーだったが、やがて「すまない」という声が聞こえるのに、困ったように眉を寄せた。
「…これが犯罪だって分かってたんだけど…お金が必要だったから…。その…ゴメン…」
だが、少女はその謝罪に首を振った。
「…君を責めるつもりなどない。それよりも、君の取り分は、僕の身代金が入ったら支払われるのか?」
淡々とした少女の口調に、ジョミーはまた言葉に詰まったようだったが、しばらくしてからうなずいた。
「…うん。前金は少しだけもらったけど…」
そう言うと、少女はジョミーを見つめた。まっすぐな視線に、ジョミーは居心地が悪くなって目を泳がせかけたのだが…。
「それは悪いことをした。僕の身代金は入らないから、君はただ働きになってしまう」
…そうはっきりと宣言されるのに…ジョミーはぽかんとした。
「君には世話になったから警告しておく。予定では夜明けを待って、身代金は支払わないという連絡が入る。ほぼ同時に警察が踏み込むから、逃げるのなら今のうちだ。雇われているだけなら、彼らには何の義理もないんだろう」
「そ…そうだけど…」
「それなら、今のうちにここを出て、なるべく遠くに逃げればいい。巻き添えになったら、悪くすれば死ぬかもしれない」
だから早く、と重ねて言われるのに、ジョミーはきょとんとしていたが、慌てて隣を伺った。幸い、男たちは酒盛りの真っ最中で、こちらに気がついた様子はない。
「待ってよ、それってどういうこと? 身代金が入らないって…。あいつらの話じゃ、あなたはお金持ちの跡取り娘で、身代金は絶対にもらえるって…」
ジョミーは小さな声でそう聞いた。
「そんなもの、払うはずがない」
「な…なんで…?」
「それは」
少女は一瞬目をそらしたが、再びジョミーの目をじっと見た。
「それは、僕が『イライザ』じゃないからだ」
あっさりとした返事に…ジョミーは口をぽかんと開けたまま呆然とした。
「君には…悪いことをした。だから、せめて逃げてくれ。一緒に逮捕されるとあとあと面倒だし、それ以前に…僕をここに来るよう仕向けた人は、誘拐犯を全員殺す気でいる。君までそれに巻き込まれることは…」
「それを言うならあなたのほうだろ!」
隣を警戒して小さな声ではあったが、ジョミーはそう怒鳴った。
「あなたが誘拐したはずの人じゃなかったなんてあいつらに知れたら、あなたこそどうなるか分からない! 身代金は払わないって言うんだろ? それに、警察が乗り込むとなると、あいつらはあなたを盾にして…!」
「盾にはならないよ。僕は『イライザ』じゃないから、盾の価値もない。盾にしたとしても、僕ごと撃たれるだけだ」
「そんな! 落ち着いてる場合じゃない、あなたのあなたこそ早く逃げないと…!」
「僕はいい」
かすれた声だが、確固としてそういう。
「僕は、殺されるべくしてここに送り込まれたんだから」
静かにそういわれるのに。ジョミーは驚いて目を丸くした。
17へ
うわあ、前に過去編は3話と言ってましたが、終わるかどうか怪しくなってきました。…! 次で終わらなかったらすみません〜!! ついでに、悲壮な過去でごめんなさい〜! 次は、愛の逃避行っぽくなればいいなあ、イメージ的に♪ |
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