話は十数年前にさかのぼる。
がたがたと走るほろのついたトラックの荷台の中。たばこのにおいが漂う薄暗い場所に、上機嫌な男たちの笑い声が響いていた。
「こんな楽な仕事はねぇな」
「まったくだ」
三人の男は酒を飲みながら、にやにや笑って後ろに座る12、3歳くらいの少女を振り返った。ふわふわした銀色の髪。紅い瞳は一点を見つめたまま、微動だにしない。人並み外れてかわいらしい外見、フリルのついた白いワンピース、人形のような表情のなさに、本当に等身大のピクスドールかと勘違いしそうだ。
「自分が誘拐されるって分かってるのか分かってないのか。大人しくしろ、ついて来いって言ったら、『分かりました』だもんな」
それとも、浮世離れしていて、俺たちが何なのか分からなかったのか?
男たちの声が聞こえていないわけでもあるまいが、少女は反応しない。聞こえないふりをしているのか、はたまたぼんやりしているのか、まったく動かない。膝に置いた両手首を縛られてはいるが、そんなことをしなくても逃げ出す様子はなかった。
「これだけ綺麗なら、小さくても期待できるんじゃないか?」
「やめとけよ、大事な大事な人質だぞ? 金をもらう前に傷ものするわけにゃいかないぜ」
どっと笑いが起こる。それでも、少女はただ黙って座っていた。泣くこともなければ、怖がりもしない。
やがて、トラックは急ブレーキをかけて止まった。
「何だよ、危ねえ!」
「ちゃんと運転しやがれって!」
そう言いながらも、男たちのひとりはほろから注意深く外をのぞいた。そして、安全を確認したのか、あとの二人に降りるようあごをしゃくって指示する。
「降りるぞ、嬢ちゃん」
下卑た笑い。それでも、少女は表情一つ変えず、すっと立ち上がった。白いスカートがふわりとたなびく。その様子に、男は不快そうに眉をしかめた。
「…けっ、かわいげのねえガキ」
それでも…顔色を変えることがない。
「そう言うなよ。上流階級ってのは、こういう面白みのねえもんなんだろうよ」
もう一人の男が笑う。
「まったく、つまんねえ。感謝しなよ、嬢ちゃん。てめえが金づるでさえなければ、めちゃくちゃにしてやるところなんだからよ」
しかし。そんな言葉にも反応しない。
少女は静かにトラックの荷台を降りて、男たちに促されるままバラック建ての小屋に入った。
「おい、小僧。しっかり見張ってろよ」
男が、中にいた10歳くらいの金髪の少年に大声で命じている。そこは椅子と簡易ベッドがひとつずつあるだけの、ほこりっぽい殺風景な部屋だった。
「…ったく、うるさいって…」
そう、面倒くさそうに応じた少年だったが…振り返った途端、白いワンピースを着た少女の姿に、ぽおっとなってしまった。その様子に、男は面白そうに笑った。
「何だよ、変なこと考えてるんじゃないだろうな?」
「だ…っ、だからうるさいってば!」
照れ隠しのように怒鳴った少年を、男は鼻で笑ってから、隣の部屋に消えた。おそらく食事でもとりに行ったらしい。おいしそうな匂いが漂ってきた。
「あ…の…」
部屋の中には、少女と少年だけが残された。
「とにかく、座ってよ。…き、汚い場所だけどさ…」
言いながら、少年は椅子をすすめたものの…その椅子が汚れていると気がついて、慌てて自分の服の袖で椅子の座面を拭いた。それはさながら、淑女をエスコートする小さな紳士のようだった。
そんな少年をじっと見ていた少女だったが、やがてやはり表情も変えず歩き出し、すとんと椅子に座った。白いワンピースが身体の動きに合わせてふわりと舞った。
「あの、さ…。僕はジョミー。君は?」
紅い瞳がちらりと少年、ジョミーを見やる。だが、口を開く様子はない。
「お腹…空いてない? のどは乾いてない? …その手、痛くない…?」
返事を待っている少年は、まるでご主人から命令されるのを待っている子犬のようだった。が…少女は黙って首を振ってそれに応えただけだ。
「…そう…。じゃあ、何かほしくなったら言ってよ」
何も命じられなかった子犬は、しょんぼりとしながらそれだけ言った。
夜になり、隣の部屋にいる男たちは相変わらず上機嫌で酒を飲んでいた。
「これで、俺たちも億万長者だ」
隣から男の大声が響く。
「けどよ、あんなにふっかけて大丈夫なのか?」
「大丈夫さ、あのガキは大事な跡取り娘だ。いくらでも金を出す」
「天下の大財閥だからなぁ」
と、そのとき。これまで無表情だった少女の顔に、歪んだ笑みが浮かんだ。
「あ、笑った!」
その嬉しそうな声に、少女は笑みを消して少年に目をやった。
「やっと笑ってくれた。ずーっと顔が変わらなかったんだもん!」
ジョミーはといえば。少女が連れてこられてからずっと彼女を監視し続けていた。というよりも…単にずっと少女を見ていただけである。
「笑ったらきっとかわいいだろうなって思ってたんだ。やっぱり、笑顔のほうがいいよ!」
そんなことを言い出す少年に、少女は呆気に取られてからふっと笑った。
「…君は変な子だな」
少女が使うにしては荒っぽいともいえる言葉遣い。それに、見た目に反した低い声に、ジョミーはきょとんとした。
「僕なんかに構っても面白くないだろう。僕は逃げないから、君は休んだらどうだ?」
「面白くないなんてこと、ないよ! ていうか、一緒にいると楽しい!」
その言葉に、びっくりしたように目を見開いてから、今度は気まずそうに視線をそらした。
「…別に気を遣う必要はない」
「遣ってないって! 本当に見ているだけで楽しいんだから…! あなた綺麗だし…。ええっと、イライザって名前なんだよね?」
少女は不思議そうな顔をしたが、「ああ」とつぶやいて隣の部屋を見やった。
「あいつらがあなたのこと話してるのを聞いててそう思ったんだけど…違った?」
首をかしげて伺ってくる少年に、苦笑いする。
「…そうだね」
何か含みがありそうだと思ったようだが、名前を教えてもらったのが嬉しかったのか、ジョミーは嬉しそうに笑った。
「あ…っと、じゃあイライザ、寝るとこ作るね。夜も遅いし…」
言いながら、少年はクローゼットを開けてシーツを引っぱり出す。それはひどくほこりを被っていて、とても衛生的とはいえない。けれど、どうもそれしかないらしい。それを鉄パイプ製のベッドに敷いていく。そこにはマットはなく、目皿だけが乗っている。
「その…あんまり寝心地はよくないと思うけど…ゴメン」
それにシーツを敷いて、上掛けをかけただけの簡単な寝床。それを申し訳なく思っているらしく、ジョミーは頭をかいて謝った。
「…ありがとう」
少女はそう言って立ち上がったが、ふっとジョミーを見下ろした。
「…君は帰るのか?」
「僕はここにいるよ。見張ってろって言われたし、それに…」
そう言って言葉を切ると、今度は照れ臭そうに笑う。
「あなたって綺麗だから…ずっと見ていたいし…」
そう言って笑う少年から目をそらし、少女はベッドへ移動した。ひとつに縛られた両手で、上掛けをめくろうとしたが、ジョミーがさっとめくってしまった。
「手、縛られてるから僕がやるよ!」
役に立てるのが嬉しくて仕方ないというオーラが満ち溢れているジョミーである。その様子を見つめながら、少女は黙ってベッドに横になった。
「…すまない…」
だが、その言葉は少女の口の中で消えていった。
「? え、何か言った?」
それは、ジョミーに届くことはなかったが。それでも少年は部屋の端っこに座り、目を閉じて横になった少女を幸せそうに眺めていた。の、だが…。
それからしばらくして。
少女の形のよい眉がひそめられ、コンコンと咳き込み始めるのに、ジョミーは驚いてベッドに駆け寄った。
「ど、どうしたの?」
しかし、返事はない。喋ることができないほど、咳がひどいらしいことを見て取って、ジョミーは男たちのいる隣室へ行こうとしたが、方向を変えた少年を引っ張る感覚に、立ち止まった。
ふと見ると、少女の手がジョミーのシャツの裾を掴んでいる。
…知らせなくてもいい。
暗にそう伝えてきている辛そうな紅い瞳に、ジョミーはただ戸惑っていた。
16へ
うぬー。『ブルー』という名前が書けないというのは、何というストレス…!
過去編はこの一話で終わるはずが、どうも三話くらい引っ張りそうです。どうかお付き合いをば…!
にしてもシン様ってば、このころは完全に子犬状態…。 |
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