「さて。そろそろ種明かしをしてくれるんだろうね」
夜遅くなってから社長室に戻ったブルーは、秘書のように問題の倉庫まで同行したシンを振り返った。
「それは今度ゆっくり話しましょう」
そう言って隣に控えるハーレイを呼ぼうと部屋を横切ろうとしたシンだったが、ブルーに止められた。
「このまま帰っても眠れるとは思えない」
「…それでも休んでください。もう夜も遅い、あなたは自分の体力のことを考えてください。あなたはこの会社の代表でしょう」
少しは自覚してください、と続けられるのに、ブルーは首を振った。
「だからこそだ。経営者として、この会社の代表として、この一件を一番詳しいだろう君に訊く必要がある」
「…今日見たことがすべてだというのに…」
そう言いながらも、シンは足を止めてブルーの前までやってきた。
「とにかく座って。あなたに倒れられでもしたら大変だ」
「言われなくても座るよ」
疲れたからねと言いつつ、ソファに腰掛けるブルーを眺めながら、シンはほっとしたように息をついた。
「…アドスには、以前から不正をしているのではないかという疑いがありました。それは、僕が営業課にいたときにも影でささやかれていたことです」
「…そういううわさがあるのは知っていたが…」
だが、定期、または随時の監査ではまったく引っかからなかった。だから、ただのうわさだと思ったのに。
そういうと、シンはふっと笑った。
「だから内部監査は甘い。法を遵守し、書類を中心にしか見ない。せめて、僕のところへ監査に来たときくらいにしつこく関係人調査くらいしていれば、もしかして尻尾くらいはつかめたかもしれないな」
「おや。では君は、いったいどんな魔法を使ったんだい? 支店長室の金庫のことまで知っていたようだが?」
「魔法は種を明かしてしまうと、ただの小手先の手品でしょう。その辺はあまり詳しく話してしまうと、つまらない」
「…さては、あまり感心できた方法じゃないね?」
「それはご想像にお任せします」
「君のことだ、その事実はかなり前から分かっていたんだろう」
「そうですね、あなたのことがなければ、もう少し泳がせておいたでしょうね。僕の目的のために」
「目的か…」
シンの言葉に、ブルーは遠い目をした。その心は10年以上も前にさかのぼっていた。
「…僕の命があったのは、君のおかげだったな」
その言葉にシンは返事をしなかった。
「金銭目的で誘拐されて、身内から身代金を払わないと言われた日には、即座に殺されても仕方ない」
「…別に、恩に着せるつもりなんかありませんよ」
シンはむっとしたようにつぶやいた。
「君は昔からそういう性格だね。」
シンは、ブルーをむっとした表情で睨みつけてから、ふいっと視線をそらした。
「世間話をするくらいなら、帰ったほうがいいんじゃないですか?」
「すまない、君と過ごした時間が懐かしくなっただけだよ」
邪気のない笑みを向けられ、シンはそれ以上言葉を継ぐことができなくなったらしい。ため息をついてからブルーの前のソファに座った。
「…外から見ると、中にいるときよりもよく見えるというものがありまして」
「シャングリラ・コンツェルンから出向して部外者になると、不正の事実がよく分かるようになった、ということか?」
「そういうことです。おまけに、僕がシャングリラの子会社とはいえ、代表になったということで、内部分裂でも起こそうとしたのか、アドスの不正の詳細を耳に入れてくれるものもいまして。ならば、少しばかり調べてみるかという気になったんですよ。先に言ったとおり、法を遵守していては得られるものも得られないと思いましたので、少しばかりやり方が過激だったことは否定しませんが」
…おそらく、『少しばかり』どころではなかったのだろうが。
「つくづく、君を敵に回さなくてよかったよ」
まんざら冗談でもなさそうに言ってから、「それで?」とブルーは先を促した。
「あとは、あなたがさっきご覧になったとおりです。仮想取引に二重帳簿、粉飾の典型の手口でアドスは売上を誤魔化し、売り上げや在庫をかすめ取っていたわけです。監査が有効に機能しなかったことについては、アドスの粉飾が完璧であったことや、内部監査では限界があったことに同情の余地はありますが、不正が見抜けなかった事実は動かしようがない」
「君の会社へ監査に入ったときに、君はこの社内の不正の事実を匂わせただけで、具体的なことは何も口にしなかったと聞いているが」
そのときに教えておいてくれてもいいだろうに。
しかし、シンはふんと鼻を鳴らしただけだった。
「それはそうでしょう。大体あのときは僕自身に嫌疑がかかっていたのだから、当事者がそんなことを言い出しては、単なる責任逃れに思われるでしょうし、それに」
そこでシンは言葉を切り、意地悪く笑った。
「僕がありていに事実を告げて、それが監査役に伝われば、どうしてもアドスに知れることになる。そうなれば、監査など意味をなさない」
「…そんなものか?」
ブルーは戸惑ったように首をかしげる。
「そんなものです。現監査役の前身は、シャングリラ・コンツェルンの取締役でしょう」
「…確かにそうだが」
「ならば、それは当然の成り行きだ。大体、あなたは経営者としてはあまりにも無防備です。解任請求のことだってそうでしょう、もっとまわりの人間を疑う癖をつけないと…」
「その言葉、ずっと前にも君に言われたね」
「…覚えていません」
言いながら、シンは怪訝そうに眉をひそめた。
「今日はどうかしたんですか。今まで蒸し返そうとしなかった昔のことをやたらと持ち出しますが」
「そうだったかい?」
だが、ブルーはしれっとしたものだ。シンはため息をひとつつくと、続けた。
「あの密告文は、トォニィに書かせました。こんな事例がほかにもあるという警告の意味を込めて。でも、あれはまったくのでたらめではなかったんですよ」
それも見抜けないとは情けない、とシンはつぶやいたが、それではシドが気の毒だろう。アドスの不正を見抜くくらいだ、シンの粉飾にかけての知識は半端ではあるまい。
やはりとんでもない悪ガキだ、と苦笑いしてからブルーはシンを真正面から見た。
「…で、それだけの大口をたたくのならば、君のほうはきちんと穴埋めできているんだろうね?」
「当たり前でしょう」
さも当然と言わんばかりにシンは言い放った。それもそうだろう、他人を告発するくらいだ、自身の身辺くらい綺麗にしておかなければならない。
「では、その不正使用分の使い道は?」
そこでシンは含みありげに笑った。
「本物の泥仕合のための保険です」
「…保険?」
何のことか分からない。
「今回はうまく切り抜けられましたので使いませんでしたが、解任請求の緊急動議が提出されたときの次の対抗手段です。使わないにこしたことはありません。」
澄まして言ったあと、シンはソファから立ち上がった。
「もういいでしょう。そろそろハーレイ秘書官が焦れて顔を出すころですから」
「もうひとつ訊きたいことがあるんだが」
そのまま隣の部屋に行こうとしたシンを、ブルーは再び止めた。その様子にシンはむっとした表情を浮かべる。
「保険とは一体なんだ?」
シンは盛大にため息をつくと、疲れたようにブルーを見やった。
「あなたという人は、本当に子供みたいですね。株ですよ」
「株?」
ブルーはきょとんとしておうむ返しに言った。
「どこかの株で…もうけたのか…?」
そういうと、シンは額を押さえた。
「ああ! あなたという人はどこまでボケているんですか! シャングリラ・コンツェルンの株です!」
「? それなら、君の会社だって持っているだろう」
「それでは足りません。いや、そもそもあれは、僕が代表を務めている子会社の株なのであって、僕のものではありません。それに、少なくとも主要株主になるくらいでないと、株主として認めてもらえないでしょう。発言権は持ち株の割合によって決まるんですから」
その言葉に、ブルーの目が見開かれた。
「主要株主…ということは、君はこの会社の発行株の一割を持っているのか?」
「…そうですよ。全部が全部僕名義ではありませんが、いざとなれば名義を書き換えできるようになっていますから」
「…これは驚いたな。君はこの会社の社員でありながら、大株主でもあるということなのか」
感心したように言うブルーに、シンは不承不承うなずく。
「…そうでなければ、株主総会を開いて不正経理の是非を問うなんて脅しはできないでしょう」
もちろん、あくまで脅しですけどね、と続ける。
本当に臨時の株主総会を開いて、社内の醜聞をさらせば、ブルーが矢面に立つことになる。シンとしては、それは避けたい。
また、取引するのなら部下という立場ではなく、会社に出資を行う株主、しかも大口の株主という立場のほうが有利だ。それに、表向きシンはブルーと一定の距離を置いていたので、今回の騒動がブルーのためだという推測は成り立たないだろう。少しくらい親しく話をしても、せいぜい仕事上のことくらいにしか思われないに違いない。それに自分の素行が素行だ、今回のパフォーマンスは昇進が目的だと思われるだけ。ましてや。
…十年以上前の事件にさかのぼるわけがない。
シンはそう考えて、今回の暴露劇に及んだのだ。
「なるほど」
「分かっていただけたのなら、もう帰ってください。僕も今夜の便で向こうに戻ります」
「これはさびしいことだ。君とゆっくり話したいと思っていたのに」
その言葉に、シンは苛立ちを隠そうともせず振り返った。
「とにかく、早く帰ってください…!」
しかしブルーはと言えば、「本気で怒らせたか」とつぶやいただけで、楽しそうに微笑んでいた。
その様子を訝しく思ったものの、シンはハーレイにブルーを送るよう頼むために秘書室に寄って。
それから、その足で空港に向かったのだった。
14へ
さて〜、そんなわけで種明かし編。でもこのあとびっくり仰天なことが。(特にシン様にとって、ですが)あと一話で終了です〜。 |
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