電話がけたたましく鳴る。時間は夜中の1時半。ブルーははっきりしない様子で上体を起こし、頭を振った。
…誰だ…?
表示されているナンバーには心当たりがない。ブルーは注意深く受話器を取った。
「…もしもし?」
『ブルー?』
「ジョミー!?」
ナンバーをもう一度確認するが、国際電話などではない。国内のホテルか、友人の家か…少なくとも自宅ではないことは確かだった。
「…驚いたな。君が帰国しているなんて知らなかったよ。いつ戻ったんだい?」
この子は相変わらずびっくり箱のような存在だ、と思いながらブルーは微笑んだ。だが、しかし、シンは慌てているようで、その問いには答えなかった。
『こんな時間に申し訳ありません。明日は取締役会だったと思いますが?』
「…そうだが…」
それがどうかしたのか?
取締役会は、その名のとおり出席者が十人前後の取締役の会合である。今回開かれるものは、年に数回開催されている定例的なもので、差し迫った議題はない。せいぜいが補正予算の承認や財務状況の中間報告といったものである。
『あなたにお願いがあります。代表取締役として僕に発言権を与えてください』
その台詞には、眉をひそめた。
シンの立場は、組織の中では重要な地位ではあるが、取締役会に発言できるようなものではない。ましてやシンの担当しているプロジェクトは、今回討議する内容にあたらない。
「…何を…するつもりなんだい?」
だが、そんなことは百も承知だろう。分かっているからこそ、自分に発言権をくれと言っているのだ。
『すみませんが、今その質問には答えられません。』
「それでは僕も君に発言の許可を出すわけにいかない」
頑なにそういうと、電話口の向こうのシンはため息をついた。
『…困った人だ。僕が何の考えもなく、そんなことを言っていると思っているのですか?』
「だから、君の考えを教えてくれと言っている」
まるで駄々っ子を相手にするようなシンの物言いに、ブルーはむっとした。
『残念ながら、僕は観客が見ているから興奮するタイプではないのですけどね』
「それは一体…」
と、言いかけて。
ブルーはふっと受話器を耳から外して見つめた。
『気がつきましたか? あなたのそんな聡いところ、大好きですよ』
受話器からそんな声が聞こえてくるのに、今度は神妙な顔で再び受話器を耳に当てた。少しばかり雑音が入る。
「…分かった。君が何をたくらんでいるのかは知らないが、任せよう」
『たくらんでいるなんて人聞きの悪い』
「悪だくみだろう、君はそういうことは昔から上手かった。大体、監査を引っ張り出そうとした件も、君の作戦の一部なんじゃないのか?」
『あれだけヒントを与えてやったというのに、肝心な部分が見抜けないとは、監査役は罷免したほうがいいんじゃないですか?』
「ああ言えばこう言う…」
とんでもない悪ガキだな、とささやきながら笑ったが、ブルーはふっと真顔になった。
「ひとつだけ聞かせてくれ。君が警戒しているのは、僕に関わることなんだろう?」
『それ以外、ありますか?』
笑みを含んだ声がそう応じて。では明日に、と言ってから電話は切れた。ブルーはすっかり冴えてしまった紅い目を窓の外に向け、受話器を戻す。
「…やれやれ…。ここまで嫌われているとはな」
おそらく明日の取締役会には、議案がひとつ追加されるのだろう。いわゆる、緊急動議というものだ。
緊急動議とは、会議などで予定外の議事を緊急の議題として取り上げるように求める提案だが、取締役会で代表取締役のあずかり知らぬ緊急動議であるのなら、代表の解任動議である可能性が強い。いや、代表だけでなく、取締役自体の解任なのか。
「…それならそれで仕方がないが…あの子は一体何をするつもりなのかな?」
自分の身の振り方よりも先に、シンが何をしでかすつもりなのか、ブルーにはそれが気になった。
翌日。
取締役会の10分前に、シンはブルーの元を訪れた。
「先ほど、ハーレイ秘書官からいやな顔をされましたよ。でも、足止めはされませんでしたけどね」
「彼には君が訪ねてくるだろうから、すぐにここへ通すよう言っておいたからね。それで、今なら発言権がほしいといった理由を教えてくれるんだろうね」
そういわれて苦笑いを浮かべたシンだったが、すみませんが、といって首を振った。
「時間がありません。とにかく先に確認させてください。今日の議案はいくつまであって、営業成績に係るものは何号ですか?」
「やはり、教えてくれる気はないのか…。議案は5号まで、うち財務状況の中間報告議案は3号だ」
そういいながら、ブルーはシンに取締役会資料の写しを渡した。
「では、3号議案に補足説明を入れます。会議はそれが原因で少々荒れるでしょうが、僕にしてはもっとも穏便な方法を採ったと思っておいてください」
シンはというと、その議案を眺めながら顔も上げずにつぶやく。
「また勝手なことを…」
そういいながら、ブルーの目は笑っている。やんちゃ放題の子どもを見るような目つきだ。
「君の行動には驚かないつもりだけどね、でもそのあとに来る緊急動議にどう対応する予定だ? おそらく、代表の解任なら、出席するほかの取締役への根回しは終わっているだろうに」
「それどころではなくなるでしょうね。でも、いざとなればこちらも首謀者となっている取締役の解任請求の緊急動議で対応します。」
シンは当然のように、何でもないことのように言う。しかし、それでは取締役会が泥仕合と化す可能性だってあるのだ。
「…君は、穏便な方法を採ったと言っていたと思ったのだけどね」
「穏便な方法ですよ」
「…緊急動議自体、穏便な方法じゃないと思うよ?」
「道理をわきまえない野獣に対して行儀よく振舞うことに、何か得なことがあるんですか? 業績が上向いた程度であなたを切り捨てようとする連中に、礼をつくす必要はないでしょう」
立て板に水式に続けられ、ブルーはため息をついた。
「…分かった。君に任せるといった以上、僕は口を出さないよ。でも…」
ふっとブルーの紅い目がシンを射た。その朱の色は深い色をたたえている。
「君にとっては、これは好機だったんじゃないのか? 僕を連れ出すという当初の目的が生きているのなら」
その言葉に、シンの目が不愉快そうに眇められた。
「僕は、あなたを連れ出したいのであって、あなたが追い出されるのを待っているわけじゃありません」
今度は気分を害したようにそれだけ言うと、シンはくるりと背を向けて、ドアに向かった。
「先に行ってます」
今度は返事も聞かずドアを閉める様子に、ブルーはくすっと笑った。
「…そういえば、あの子はそういう性格か」
施しを受けることをよしとせず、ほしいものは自分の手で掴み取る。人をうらやんでいるだけの人々の中にあって、決して諦めない不屈の精神を宿した緑の瞳。
「その強さに…惹かれたんだったな…」
定時となり、取締役会が始まった。
過半数の取締役の出席のため、会議は適法に成立した旨が報告され、議事は何事もなく進んでいった。誰もが壁の花(?)となっているシンを気にしていたが、事前に代表であるブルーから特別に報告すべき事項があるからと連絡が行っていたため、取り立てて騒ぎにはならなかった。
「続いて第3号議案だが――」
財務状況の中間報告。
営業部長が後ろの席から立ち上がり、かろうじて黒字を保っていることを説明した。新規プロジェクトのため、事業規模は大きいが、差し引きすると大変わりしないという、シンにとっては耳が痛いだろう事項が話の中に混じる。
だが、その報告にもシンの表情は動かず、ただ黙って会議の進行を見守っているだけだった。その報告も終わりに近づいたころ、シンが動いた。
「今の報告に補足したいことがあります。発言をお許しください」
「よろしい」
どうせ、自分の手柄話だろう。
そんなしらけたムードの中、シンは傍らの女性社員に全員に配布するようにと資料を渡した。女性社員は頭を下げ、出席者に資料を配っていった。
しかし。
その資料は何かの売上表と倉庫の写真らしい。日付は直近のもので数日前。こんな場で配られる類のものにしては、妙なものであることに、出席者のほぼ全員が呆けた。
これは何だ?
どこの写真だ?
どこ社の、何の売上明細なんだ…? 相当額は大きいようだが。
いや。ちょっと待て…。
じっと配られたものを見つめていた一人がはっとしたようにつぶやいた。
商品名は見覚えがある。それどころか、写真に写る在庫の山にも見覚えがある。
「…これは…!」
「一体全体、これはいつの写真だ?」
「この商品は今、こんなに多くの売れ残りはないはずだ」
「だが、この売上表と写真の日付は…」
出席者たちのざわめきに、シンは薄く笑った。
「おや。ひと目で分かっていただけるとは、さすがにシャングリラ・コンツェルンの経営陣」
「しかし君、これは一体…!」
「仮想売買、ということなのでしょう。通謀した外部企業に在庫を転売し決算後に買い戻す、粉飾の一般的な手口のひとつです。さらに、買い戻したあと、売上の大部分を会社の事業会計とせず、自らの懐に入れていたとなれば、背任行為もここに極まれりといったところですね」
「だが…この商品を取り扱っているのは…」
その場にいた人間の目が、一斉にある人物に注がれる。
「き、君、何を言い出すんだ! しょ…証拠でもあるのか!」
頭の禿げ上がった恰幅のいい初老の男は、その視線を跳ね返すかのように怒鳴った。
「証拠? なんでしたら今からこの写真の倉庫のある場所に行ってみますか? 支店長室の金庫の中身も一緒に見ていただければ、あなたの担当している部門の報告と実体とがかけ離れていると分かるでしょう」
「言いがかりだ! こいつは私を落としいれようとしているだけだ…!」
「ですから、今からこの場所を見に行けばはっきりする。できれば監査役、それはあなたの部下にお願いしたいものですが」
急に名指しされ、監査役である男は慌てたように、「いやしかし」とか「だが今は」とかぶつぶつ言い出したのだが。
「至急シド・ヨーハン主査に現地へ向かうよう連絡を取ってくれ。僕もすぐに出る」
ブルーの毅然とした声が響いた。
解任請求の緊急動議前で、しかも可決どころか提案さえされていない今は、ブルーが代表だ。その命令は決してないがしろにできない。おまけに、その代表自身が動くとなれば、監査役としては座ってなどいられない。
監査役は、分かりました、とつぶやいてから席を立った。
「アドス、君にも来てもらう。これが真実なら、納得のいく説明がほしいからな」
冷たい紅の瞳を悄然とした男に向けると、次に呆気にとられている取締役の面々に向かってわずかに笑みを浮かべた。
「今日はご苦労だった。だが、これで取締役の2人が欠けるため、取締役会の定足数を満たさなくなる。残りの議題については、後日臨時取締役会を開くか、書面表決を行うことにしたい。では行こう。シン、君にも同行を頼む」
シンは黙ったままうなずいて、歩き出したブルーのあとに続いた。部屋を出ると、外に控えていたハーレイに、「車を頼む」とだけ言って、速度も落とさず歩き出した。
「これだけの大騒ぎが『穏便な方法』か…」
廊下を歩きながら、実はブルーは笑いがこみ上げるのをかみ殺すのに必死だった。
「…? 何か言いましたか?」
ブルーが口の中でつぶやいた言葉は、シンの耳には届かなかったらしい。不思議そうにしているシンに、ブルーはわざとしかめっ面をつくった。
「いや、何でもない。君がこの不正の事実をどうやって知ったのか、あとでしっかりと教えてもらうからな」
13へ
うわあ、粉飾とか仮装売買とか、かーなーりーリアルと重なってしまって書いていながらちょっといやんなワタクシ。でもこれ以上このネタは引っ張りませんので!
余談ですが、企業の財務諸表を見るとき、経常利益がほんの少しである、低位安定している場合は、粉飾している可能性大だそうですよ〜。今後の参考になさってくださいませ♪ |
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