「…お話があります。」
「なんだ?」
会議の合間に社長室で一息ついていたときのことだった。今はブルーとハーレイのみが室内にいて、ほかには誰もいない。
「ジョミー・マーキス・シンのことです。」
ブルーの怪訝そうな様子に、ハーレイはためらいがちに切り出した。
「シンが何か?」
「海外での彼の振る舞いは目に余るという匿名の投書が届きました。」
ご覧になりますか? と分厚い封筒を見せられるのに、いや、と首を振る。
「どうせ、彼に対する中傷がほとんどなのだろう。だが、君がわざわざ僕に見せに来るくらいだ、どんな内容だったか気になるな。説明してくれ。」
「は…。おっしゃるとおりで、内容の大半はシンの誹謗中傷でしたが…気になることがありまして。」
「言ってくれ。」
「はい、彼はまるで自分がシャングリラ・コンツェルンの代表のように振舞っていると…。」
そのときのブルーの反応は、少し紅い目を見開いただけのものだった。
「海外ではこちらの組織のことなど分からないために、海外の窓口になるシンがわが社の代表だと勘違いされているのかと思いましたが、どうやらシン自身がそう勘違いするように仕向けているようで…。一度しっかりと釘を刺したほうがよいのではないでしょうか。このままではあれはますます増長しかねません。」
「…なんだ、そんなことか。」
ブルーの楽しそうな微笑みに、ハーレイは呆気にとられた直後、むっとして叫んだ。
「そ、そんなことかではありません…! シンはあなたをないがしろにしているのですぞ!?」
「それは仕方あるまい。彼はまさにわが社の海外の顔なのだから、それも当然だ。君が『目に余る』というものだから、片っ端から得意先の女性に手をつけているのかと思ったよ。」
「それはやっているでしょう、彼のことなら! ええ、絶対に!!」
「シンは随分と君には信用がないんだね。」
「あるわけがないでしょう、彼の素行には常々頭を痛めていたのですから! 表立って問題にならないからいいようなものの、これがわが社のイメージを貶めるような事態に発展したらと思うと、胃が痛くて仕方ありません…!」
「そんなに気にすることもないだろう。彼だって分別のついた大人なんだ。」
「年齢的に成人しているのは確かですが、分別がついているかどうかは分かりかねますな!」
だが、ハーレイは取り乱した自分を恥じたのか、そこで咳払いをした。
「そ、その件については今問題にするべきことではありません。そうではなく…シンは妙なたくらみをしているのではないだろうかと思えるのです。」
「妙な…?」
「…あなたはシンのことを信用なさっておられるので、ショックを受けるかもしれませんが…。」
そこまでハーレイが気を遣うこととは一体なんだろうと思いつつ、ブルーはうなずいた。
「構わない、教えてくれ。」
はい、と返事をしてからハーレイは息を吸った。
「…現在、この会社は海外プロジェクトに主眼を置いて事業を展開しております。そして、それは今のところ成功しておりますし、それがシンの手腕であることはよく分かっています。しかし、それがためにシンが手にした権威と権限は、乱用してよいはずがない。」
「…例えば…?」
「シンは必要だからと海外に子会社をつくり、その代表になっていますが、そこを利用して大量の資金集めを行っています。」
「…子会社とはいえ、独立採算なのだからそれも当然ではないのか?」
それ自体は不思議ではない。本社から補助費は出ているがそれは微々たるもので、基本的にシンは自分たちの事業に必要な資金のほとんどは自分たちで用意しなければいけないということになる。
「その資金の半分は、シンの私的流用に消えているようなのです。」
…その言葉に、さすがにブルーは黙り込んだ。
「これだけでも見過ごせない事実です。しかも、何に利用されているかもまったく分からないようなのです。シンの暮らし向きが派手になったとか、そういった話もありません。…まあ、あの男はもともとが派手ですから、少々金回りがよくなった程度では変わらないかもしれませんが。」
「それも、その手紙の中に書いてあるのか。」
「…はい。」
「その手紙が信用に足る理由は?」
そう問い詰めれば、ハーレイは諦めたように首を振った。
「理由は…何もありません。ただ、この手紙に書かれていることには妙な現実味があって、全くのウソだと言い切れない。匿名の手紙など無視すればいいだろうとおっしゃるかもしれませんが…これが本当なら放置しておいてよいものとも思えません。」
それが、本当なら…。まさにそのとおりだ。そして、その手紙にあることが事実なら、告発者はシンの部下だろう。
「しかし、やはり真相は分からないので、私の信用の置けるものを調査に出向かせたいと思っているのですが。」
許可していただけますか?
そういわれるのに、ブルーはしばらく考えていたが、やがてうなずいた。
「ただし、他社に気取られるな。内紛などというスキャンダルは、ライバル社の格好の餌食だからな。」
「心得ております。では。」
ハーレイは頭を下げると、そのまま社長室を退出した。重そうなドアが閉じられたあとには、ブルーはひとり部屋の中に取り残された。
「…やれやれ。あの子は一体何を始める気なんだ…?」
そうつぶやいて、天井を仰いだ。
この人事は諸刃の剣だ。そう言って反対していた幹部を思い出す。ブラウの賛成がなければ、この人事は実現しなかっただろう。
何を考えているのか分からない、あれは野心の塊のような男だ。底が知れないと。この異例の抜擢に警戒する声ばかりがささやかれたものだったのだ。
「私的流用…か。しかしそれが本当なら、すべてが明るみに出たときにはもう手遅れのような気がするが。」
…あの子はそういう子だ。幼いころも大胆な行動をとる子だと思っていたが、大人になってからというもの、それがさらにグレードアップしているような気がする。
ふっとブルーの口元に笑みが浮かんだ。
「…あの子が何をしでかすか楽しみだといったら、ハーレイに叱られるだろうな…。」
シドとショオンは、空港からシンの経営する子会社に向っていた。
シドはシャングリラ・コンツェルンの監査部門の主査であり、ショオンはその次席である。今回の訪問は抜き打ち的なもので、もし不正を働いていたとすれば、隠蔽する暇などないはずだ。
そう思い、シドは気を引き締めた。
会社に到着すると、シンは不在で彼の片腕といわれるトォニィがいた。
「こちらの会計報告や業務活動に不正があるという情報があった。」
応接セットに座ると同時にシドは切り出した。だが、トォニィは興味なさそうにふうんとつぶやいただけだった。
「よって今日から一週間、会計監査及び業務監査に入る。拒否するつもりならなおさら疑惑が強まるだけと思っていただいて結構。いいな?
トォニィ・アスカ。」
そう宣言すると、トォニィは面倒くさそうにため息をついた。
「…いいけどさ。こっちの邪魔にならないようにしてくれよ。」
トォニィに、特に慌てている様子はない。そのほかの社員も「何を暇な…」とつぶやいているだけで、後ろめたいような様子はなかった。
「分かった。では、書類を確認するための会議室を用意してくれ。」
「…それが一番問題なんだよな。会議室は応接室も兼ねているから、使われると困るんだ。とりあえず、社長室で見てくれよ。ジョ…シンは今日戻らないし。」
そんなこんなで、シドとショオンは、シンの部屋に通された。
「.…何かやってる雰囲気じゃないですね、シドさん。」
ショオンは次々に運ばれてくる書類を眺めながらそうつぶやいた。
「いや、分からん。単に悪いことをしているという意識が欠落しているだけなのかもしれん。だが…。」
シドはそういいながら、意外なほど質素な社長室を眺め回した。規模の小さい子会社なのだからそれも当然だが、素行の派手なシンがこんな部屋で仕事をしているのかと驚いてしまった。
部屋自体は事務机と二人がけの応接セットしかなく、それ以上は室内に入らないようで非常に狭い。調度品の類は一切なく、ぱっと見、不正を働いている様子はない。
シドはシンの机に近づいて、その引き出しをがらっと開けた。
「シ、シドさん!?」
「相手は百戦錬磨だ、簡単に尻尾は出さない。私物もチェックしなくてどうする。幸い、自信があるのか単に無知なのか、社長室に案内してくれたことだしな。」
しかし。
引き出しの中に私物らしきものはほとんどなく、また告発のきっかけとなった手紙にあったような証拠もなかった。
これは明日にでもシンの自宅に押しかけねばと決意を新たにしてから、シドは会計書類を手に取った。
11へ
うえー、なんだかリアルと重なるなあ…。しかし、こんなので見つかるほどシン様はお間抜けじゃありませんよ♪ |
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