ふと腕時計を見ると、9時20分。
…家庭環境の複雑さからくる虚言癖を持つ子どもは多いが、ブルーのそれは用意周到に準備されたもの。虚言癖と言うには、あまりにも完璧すぎた。
ふっとジョミーの脳裏にブルーの顔が浮かぶ。
『婚約しよう』
微笑みながら、何の気負いもなしにそういわれた。その言葉に…動転しながらも、いつも静かに一人で立っているブルーに頼られた、好意を持ってもらったと思って、嬉しかったことは否めない。
だから、なんだろうな。こんなにショックなのは…。
ジョミーはいったん自宅に戻り、気持ちを整理しようと椅子に座った。しかし、落ち着こうとすればするほど心は乱れる。
何かわけがあるのかもしれない。いや、きっとあるのだろう。けれど、今の自分では冷静にブルーの前に立てる自信がない。ゆえに…顔を合わせると、何を口走ってしまうか分からない。約束の時間は迫ってきているというのに…。
そう考えながら、ジョミーはゆっくりとまわりを見渡す。
…資産家というのは信じていいと思うけれど、その相続をめぐり、両親と対立していて、さらには政略結婚まで仕掛けられそうになっているということ話は怪しい。それが証拠に『叔父さん』とブルーはとても親しげだ。
…じゃあ、何のために僕なんかに声を掛けたんだろう? 僕をからかうため? それとも…?
そう思いながら視線をめぐらせたその先に。
修学旅行に行ったときの写真があった。そのときに担任をしていたクラスのみんなと撮った写真だったのだが、それはまさにブルーを叱りつけた、あのときの旅行だ。
『自分を叱ることができるものなどいないと思っていた』
『ジョミーが新鮮だった』
そんなことを言っていたと思い出して…。
なんだかだんだん腹が立ってきた。
…まったく、優等生かと思いきや、とんでもない悪ガキだ…! しかも、頭がいいというところが余計に厄介だ。
落ち込んだ気分を押さえ込むように、教師的な使命感がめらめらとジョミーの心の中に燃え盛ってきた。
どんな理由があろうが、人をだましてはいけない。だます前に相応の理由を説明する必要がある…!
ジョミーはきっと前を見据えると、椅子から立ち上がった。ブルーに対抗するなら、搦め手のほうがいいのだろうが、僕にはそんな器用なことはできない。とにかく。
ジョミーは鍵を取ると、玄関に向った。
…二人に会おう。そして、どういう魂胆か、探ってやる。どんなにお金持ちで、どれほど優秀であろうと、大人をからかうなんて100年早いと教えてやらなきゃ…!
そう思って、ブルーのアパートに向ったのだった。
「あなたかな、ブルーの学校の教師というのは。」
案の定、テラスでブルーと話していた男が叔父役らしい。尊大な態度で、玄関から客間らしき部屋に入ったジョミーを嘲るように見つめた。
「担任でもないのに、わざわざこんなところまで来ていただいて、申し訳ない。だが、教師とはいえ口を出していいことと悪いことがある。…失礼だが、あなたは何歳で、教師となって何年になられたのか?」
「今年で25歳、教師になってからは3年です。」
「なるほど、どおりで…。」
若い人だから、仕方がないのかと嫌味に笑うブルーの叔父に、さすがにむっとする。だが、ここで感情的になっても仕方ないと思い、息を吐いた。
「自己紹介が遅れました。僕はジョミー・マーキス・シン、ブルーの…あなたの甥御さんの学年の教師です。」
今、ブルーはただ黙って静観している。神妙にはしているようだが、彼にとっては結果は分かっている出来レースだからだろう。
「こちらこそ失礼した。ウィリアム・ハーレイだ。」
失礼などと毛ほども思っていないということがよく分かる、偉ぶった様子。だが、これも仕組まれたものだろう。
「では、ハーレイさん。最初に確認しますが…結婚とは夫となるもの、妻となるものの両者の合意があってはじめて成り立つものだと思っています。僕が聞く限り、二人は合意とは程遠いのではないかと思いますが…。」
「私の娘はブルーに夢中だよ。幼い頃から慕っていて、大きくなったらブルーのお嫁さんになるんだと公言して今に至っている。」
…それが本当なら、随分とませた子どもだ。
見るか? とポケットから出してきた写真を見せられて…ちょっと驚いた。
すごく…かわいい、かも。
目を閉じている写真だが、長い豊かな金髪に整った容貌。あまり似ていないが、美形という点では、従兄弟のブルーと共通するものがある。…これも、『叔父』の話を信じれば、ではあるが。
「だがまあ、彼にとっては不満なんだろう。私にとっては目に入れても痛くない、かわいい娘なのだが、全盲なのだ。」
すると、今まで沈黙を守っていたブルーが、首を振った。
「そんなことは言ってない。フィシスのことは今でもかわいい妹だ。」
「口では何とでも言える。だが、こんな教師まで引っ張ってくるほど、あれが嫌いだということなんだろう?」
「だから、そうではない。かわいいと思うことと、結婚相手に選ぶということは、違う。」
「その話はもういい。」
ハーレイはそう言い切ると、ジョミーに向った。
「あなたのようなお若い教師はご存じないようだが、あなたの勤める学校には私から多額の献金がなされている。」
それは聞いていたが、ジョミーは黙っていた。
「これから先、君が教師として生きていきたいのなら、余計なことはしないことだな。特に、今のような越権行為は、君の学校長も嫌がられるだろう。」
…なるほど、これが切り札なわけか…。もしかして、婚約者になるということを拒否すると…逆にこの手を使う予定なのか?
ブルーを伺ったが、彼の表情からは何も読み取れなかった。それなら、と心を決めた。
「そうですか。では、好きにどうぞ。」
そういうと、ハーレイのほうが詰まった。いくらなんでも躊躇せずにそんなことをさらりと口に出すとは思っていなかったのだろう。
「…これは随分と自信があるようだ。」
だが、それは一瞬のことで、ハーレイは苦笑いしながらジョミーを見やった。
「それに、少々私の力を侮っておられないかな? 私が手を回せるのは、あなたの学校だけではないぞ? その気になれば、公立学校にでも手を回すことができる。」
「教育の場は学校だけじゃない。」
それは本心だ。教師としての立場を失ったとしても、子どもと接する場所はある。
…でも、つくづく僕は駆け引きに向かないと思った。この手の脅しが出たら、それにわざと屈したふりでもしてブルーを試すという方法も考えたというのに。
「…なるほど。それではこちらも今後の態度を考えさせていただきましょうかな。」
ハーレイはふんと鼻を鳴らした。
「残念ですよ、あなたは将来有望な教師だと思うのに。せっかく積み上げた実績もふいになりますからな。まあ、そんなことはご承知でしょうが。では、私はこれで失礼しましょう、予定があるのでね。」
そう言いながら、こちらの返事も聞かないままブルーの『叔父』は席を立つ。そして、話は終わったとばかりに堂々とした歩調で玄関へ向って歩いて行った。玄関のドアが開閉する音を聞きながら、ジョミーはブルーに視線を移した。
こんな茶番で満足か? と言おうと思ったが、ブルーの沈んだ表情を見て言葉が出なくなった。
「…知ってたんだね。」
これで婚約者になってくれるのかと聞いてくるかと思いきや…。ブルーは自嘲気味に笑っただけだった。
「…うん。」
やっぱり彼は頭がいい。僕がらしくなかったことくらい、すっかりお見通しだったんだ…。
そんな風に感心したけれど、次の言葉でそれも吹っ飛んだ。
「そう…か。では、僕のことにも愛想が尽きただろう。」
ブルーは目を上げると、諦めるようにそういった。
「…ジョミーには、迷惑をかけた。もう、僕のわがままに付き合わなくていいから…。」
その言葉に。かっとして何か思うより先に身体が動いた。ぱん、と乾いた音が響く。
「何だよ、それ!」
気がついたら、彼の頬をはたいていた。見る見る赤くなるブルーの白い頬に罪悪感がなかったわけではないけれど、謝ろうなどとは思わなかった。
「そうじゃないだろう…! それより先にもっと言うことがあるはずだ…!」
そういっても、ブルーは呆然として黙ってこちらを眺めているだけ。
「謝るのが先だろ? その上で理由があるのなら言えばいいじゃないか…!」
何故こんな基本的なところが分からない…?
「それとも、君にとってはその程度なのか…! 下手なウソをついて、バレたらそれで終わりか。その程度のことなら、話す価値もない…!」
しばらくブルーを見ていたが、呆然としてまったく反応しない。腹が立って、そのまま席を立ち、玄関へ向おうとしたとき。
「ま…待ってくれ…!」
呼び止める声に、背を向けたまま足を止めた。
「…すまない、ジョミーを騙したことは…反省している。」
その言葉にブルーを振り返ると、いつもは涼しげな表情が困惑したものであることを見て取って、ジョミーはブルーに向き合った。
「その…君相手では、何を言っても拒否されると思ったから…話を作ったんだ。ジョミーは教師として、生徒の世話は焼いてくれる。だけど、それ以上にはなってくれない。」
「確かにね。君が僕の生徒でなければ、こんなものでは済まないよ。」
その証拠に今も腹の虫がおさまらない。これが学校の生徒でなければ、拳骨で殴りたい気分だ。しかも一発では済まさない。
「…それは困るな。あまりみっともない姿はさらしたくない。」
そういえば、ブルーは薄く笑ってそういった。
…これだ。この人を食ったような物言いが、反省しているのかしていないのか、よく分からなくなる原因なのだ。
「じゃあ、せめてウソのない話を聞かせてもらいたいね!」
ついでにあの綺麗な娘さんとの関係も、と心の中でつぶやいてから、もう一度椅子に座りなおした。
「言っておくけど、今度ウソついたら問答無用に殴るからな! 完全に騙しおおせるなんて考えは甘いよ?」
「…分かった。」
そういいながら、ブルーはこちらをじっと見つめた。
8へ
やっぱり優しいジョミー♪ ということで、若干分が悪くなったブルーですが、これでしおらしくなるでしょーか! …それにしても、亀のごとき話の進みよう…。ごめんなさい〜! |
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