ジョミーが忙しくキッチンを動き回っている姿を見ながら待つこと20分。
「できたよ。ごはんは炊飯器があるかどうか分からなかったから、お惣菜コーナーで買ってきたからね。」
言いながら、てきぱきと料理を皿に盛って並べているジョミーを見つめながら、ブルーは呆気にとられたように目を丸くしていた。
「ああ、何ぼさっと突っ立ってるんだよ。早く座って。ただでさえ遅い時間なんだから。」
「…君にはこんなことができるのか。」
「こんなことって、料理のこと? 一人暮らしなら、誰だってできるよ。」
「僕はできない。」
「できないんじゃなくて、しないだけだろ? ほら、話はあとで聞くから座って。」
ジョミーはあっさりと言うと、テーブルに座る。それにつられるように、ブルーもその前に座った。
「さ、食べよう。いただきます。」
ジョミーは行儀よく手を合わせてから、食事に取り掛かる。
「で、何でこんなに遅かったんだよ?」
心配したんだよ?ともごもご言いながら、ジョミーはブルーを見る。
「弁護士のところに行っていた。」
「…弁護士?」
あまり高校生にとっては馴染みのあるところだとも思えない。
「何か…相談してたの?」
「遺産相続のことを。」
「い…さん…?」
遺産? 遺産というと、肉親などが亡くなったためにその者と一定の親族関係にある者が財産上の権利・義務を承継することだと思ったけど…?
「誰か…亡くなったの?」
教師だというのに、そんな間抜けな聞き方をしてしまった。
忌引きで休んだことなどないはずだし…? でも、僕は彼の担任じゃないから、絶対とは言い切れないのだけど…。
「ずっと前にね。」
言いながら、ブルーは微笑んだ。
「僕の祖父は5年ほど前に亡くなったんだが、祖父は遺言状を遺していてね。僕が18歳になって高校を卒業するときに、全遺産を譲るとあったんだよ。」
「へえ…。」
高校を卒業するとき、ということは、今だ。
「だが、僕がすべて財産を相続するということは、他の親族にはびた一文やらないということでね。そのため、反対するものも大勢いる。だから、僕としては財産などどうでもよかったんだ。まあ、全世界にある敷地を合わせただけで数百億円は下らないだろうけどね。」
「それは…大変だね。」
…数百億円の土地なんて…想像もつかない。だから呆けてしまってそんな返事しかできなかった。
「いや。すべて弁護士に任せているから、さほど大変でもないよ。その分、向こうはカッカきているところはあるけどね。」
最たる反対派は僕の両親だよ、と。楽しそうにそう言われるのに、え? と顔を上げた。
だって…、他ならぬブルーの両親が息子の遺産相続に反対しているの…? それはすごく悲しいことなんじゃ…と思った。
「…でもブルー、他人の僕がこんなこと言える立場じゃないけど…ご両親と喧嘩しないほうがいいんじゃない…?」
そう言うと、ブルーは笑みを消してじっと見つめてきた。
「その…僕のうちはそんなに資産家でもないから、ブルーの置かれている立場がよく分からないんだけど…でも、君のご両親は君を生んで育ててくれた人たちだし…。それに他の親戚の人たちだって、何かあったときにはきっと味方になってくれると思うから…。でも…だからといって、ブルーにすべて譲るというおじいさんの気持ちだって無碍にするわけにいかないし…。」
ああ、自分で何を言っているのか分からなくなってきた…!
そもそも、ブルーにそんな家庭の事情があったなんて知らなかった。頭が良くって生活感のない、完璧な優等生だとばかり思っていて、そんな辛い事情を抱えていたなんて知らなかったから…。
「…ゴメン、ブルーが大変なのに、気の利いたことひとつ言えなくて…。」
よく考えると、すごい話だ。財産家ではそんな骨肉の争いなんて話はたまに聞くことはあったけれど…身近にいる人にそんなことが起こるだなんて思いも寄らなかった。
「そんなジョミーだから…傍にいてほしいんだ。」
無意識にうつむいていたらしく、その穏やかな声に顔を上げると、ブルーが優しくこちらに微笑みかけていた。
そんな彼の表情に、どきんとして頬が熱くなるのが分かった。
「あ…と、とにかく、あまり気にしないで…。こういうものは時間が解決するってこともあるから。」
その金額を想像するのも難しいが、数百億の遺産をめぐる争いや、それにまつわるしこりはそう簡単に消えるのか自信はなかったが、気休めにそう言ってしまった。
「ジョミーらしいな。でも、そんな悠長なことも言っていられなくてね。」
…何のことだろう?
首を傾げて楽しそうなブルーを見る。
「実は、僕の相続を諦めた叔父から積極的にアプローチがあって。一転して友好な関係を築きたいと言ってきたんだ。」
「え…? それはいいことじゃないか。」
話の分かる人だっているんじゃないか、と続けようとしたのだが。
「それが、あまりよくないんだ。叔父は自分の娘と結婚してほしいと言って来てね。」
「け…っこん…て、君はまだ高校生だろう? もうすぐ大学生になるはずの。」
そうだよ、と微笑んでこちらを見る。彼の紅い目が鋭く光ったような気がした。
「だけど、叔父は今結婚生活をしなくてもいいから、籍だけ入れてくれないかと言ってきたんだ。叔父の娘はまだ16歳なんだけどね。」
…そりゃ、男女ともに結婚できる年だけど…。
「そ、それってどういうこと? 籍だけって…!」
「簡単だよ。全財産を受け取った僕の妻になれば、全財産の相続権は妻のもの、つまり、叔父の娘のものになる。」
「だって…それは相続だろ? 君が死ぬのはまだまだ先…。」
「そうでもない。不慮の事故で、とか急性の心疾患でとか。いろいろ原因はあるものだよ。また幸いなことに、僕はあまり身体が丈夫じゃないから、死んだとしてもおかしくは思われないかもしれないな。」
何の気負いもなく、しかも微笑みながら言われるのに、信じられないという思いが強まった。
「そ、そんなことまでして…!」
「欲しいんだよ、数百億の財産が。君は信じられないという顔をしているけれど、考えてもごらん。君の給料だと、数百億円の金を稼ぐのに一体何年かかると思う? 何千年もの時間が必要だ。」
そういわれるのに、がっくりしてしまった。…なんだか、僕の人生なんてものすごくちっぽけなものに思えてきた。
「…ブルー…そういう言い方って落ち込むからやめてくれない…?」
「すまない、数百億の現金を想像するのが難しいようだったから、つい…。」
こちらの落ち込みようが可笑しかったらしい。ブルーは肩を震わせて笑った。
でも…確かに人間の欲には際限がない。僕には関係のない世界だから、他人事のような気分でいるけれど…。そう考えると、一転して日々の買い物さえ悩みまくっている自分がとても幸せに思えてきた。
「で、でも、君の意思は…。いや、そもそも君は未成年だから、ご両親の同意がないと、結婚なんかできないはずじゃ…。」
「叔父は両親を抱きこんだという話がある。」
その言葉に、まさか、と思った。
「だって、君のご両親だろ…?」
血を分けた息子を、殺そうなどと思うはずがない、と思ったのだが。
「そんなことは関係ない。」
しかしブルーはあっさりと言った。
「僕が承諾しなくったって、ちょっと書類を偽造すれば済む話だからな。」
「じゃあ…その財産、相続放棄すれば…? そうしたら、君が無理やり結婚させられることなどないだろうし、ましてや命を狙われることだって…。」
「そうしたいんだけど、残念ながらそうはいかなくて。」
「ど、どうして?」
「かつて祖父が経営していたもので、今は僕が代表を務める会社があるんだが、遺書の最後に、僕が遺産相続を放棄すれば会社は解散とあるんだ。つまり、僕が遺産は要らないといった時点で、従業員は路頭に迷う、ということらしい。」
祖父もとんでもない遺言を遺してくれたよね、と笑っている。
「ほ、ほかに方法は…ないの?」
「ひとつだけ。」
「何? 僕に協力できるものなら…。」
「君にしかできない。」
僕にしか…?
「ジョミー。」
ブルーの端正な表情がまじめなものになる。
「僕と婚約しよう。」
「は…?」
急に何を言い出すんだ…!? あまりの現実の悲惨さに、現実逃避でも起こしたのか!? と心配したのだが…。
「未成年の婚約であっても無効にならないという過去の判例もある。大丈夫、僕が二十歳になった時点で、君と僕の戸籍を同性婚の認められている国に移せばいい。」
「な、何千切れたこと言ってんだよ…!?」
ブルーはいたって冷静だった。あまりの言葉に、こちらが現実逃避しそうになったくらいだ。
「婚約した相手があるといえば、従兄妹との結婚は時間稼ぎができる。」
「ちょっと…待てってば…!!」
協力したいのはやまやまだけど…そんな話はあんまりだ…!! と。
ブルーの嫌味なほど整った顔立ちに怒鳴りたい衝動を抑えるのがやっとだった。
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ヒロさま、しばらく塩漬け状態で失礼しました〜!! あまり捻ってないけど、再開させていただきます♪ |
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