「どうせ大したことはできない」
部屋に戻ったブルーに、マードック先生の部屋へは自分が行くと言ったジョミーだったのだが、それはにべもなくはねつけられた。
「僕は資産家でね。この学校への寄付も多い。そんな僕に体罰なんてできると思うかい? せいぜいが反省室行き程度だ」
「…反省室?」
耳慣れない言葉に、ジョミーは首をかしげた。ブルーはふんと鼻を鳴らした。
「暗いだけの部屋だ、窓もランプもない。学校に行っている間は仕方ないが、戻ったら暗い部屋に押し込まれて一夜を明かす。食事を抜かれるようなこともないだろう、わずかな明かりで食べなければいけないが」
一夜を明かす…ということは、この部屋には戻らないということだ。
「それが三日ほど続くことになるだろうな」
ブルーは教科書をブックバンドで止めながら何の気負いもなしにそう言った。
真っ暗な…部屋…?
そこは、かつて孤児院でいたずらしたときに閉じ込められる物置のようなものだろう。暗くて狭くて怖かった思い出しかない。
「…そんな…」
自分の身代りになったブルーの罰を、ジョミー自身が受けようと思っていたが、その反省室送りというものには躊躇した。体罰なら我慢できると思ったのに、真っ暗な部屋で一晩過ごすだなんて…。
だが、ブルーは青ざめるジョミーを呆れたように見やった。
「…やれやれ。暗闇が怖いなんて、子どもの証拠だよ。そんなことよりも、このあと数日間、僕はこの部屋には戻らない。荷物や着替えは取りに来るが、学校から戻ればすぐに反省室へ行くことになるだろう。だからと言って、ハメを外して夜更かししたり、無断外出したりといったことはないように。今日のように寝坊しても、誰も起こしてくれないからね」
言いながら、ブルーはドアに向かう。
「あ…あの…っ!」
その様子にジョミーは慌てた。このまま見送ってしまったら、悪くすれば本当に数日会えないことになるのだ。
「…なんだ?」
いつもの澄ました表情で振り返った、紅の瞳。その深い綺麗な色に、一瞬言葉を失う。
「あ…」
「用がないなら呼びとめないでくれたまえ。このままでは学校にまで遅れてしまう」
その前に、マードック先生の部屋まで寄らなければいけないのだ。ジョミーははっとして、がばっと頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 僕の…せいで…」
そうなのだ、まだ謝っていなかったのだ。理由はどうあれ、自分の失態にブルーを巻き込んだのは間違いのない話なのだから。
その様子に、ブルーはしばらく沈黙していたが、やがてふっと息を吐いた。
「…別に謝られるほどでもない。昨日言ったとおり、君の素行が悪ければ、どうしても同室の僕の監督不行き届きになる。それだけだ」
その言葉にジョミーはしゅんとした。
…僕、本当にこの学校でやっていけるのかな…? 問題を起こすだけならまだしも、それが原因でこの人に迷惑をかけるなんて…。
そう思ってうつむいていたが、ドアに向かいかけたこの人がこちらに歩み寄ってくるのには、はっとして顔を上げた。途端に柔らかな表情が目に飛び込んできた。
「…これでは、君のほうが罰を受けるみたいだね。僕は大丈夫だから」
…この人、こんな顔もできるんだ…。
初めて見るブルーの優しい微笑みに、ジョミーはつい見とれた。
「転校した初日に、そばにいてあげられなくて…すまない」
「え…だって…」
それは僕のせいだから、と言いかけたのだが。
「ああ、これは君の自業自得だな。朝礼に遅刻したことに加えて、教師に対する反発的な態度。初日からこれではこの先が思いやられる。言っておくが、この部屋は舎監室ということで、格式が高いとされているのだ。ほかの生徒を呼んだりして、遊ばない出くれたまえ」
てっきり優しい言葉をかけてもらえると期待したジョミーは、いつもの素っ気ない舎監の顔に戻るブルーを、呆気にとられて見つめた。
「では、君もさっさと用意しておきたまえ。面倒なことだが、僕は舎監だから君を学校まで案内して、中等部の教諭に紹介しなければならない」
面倒だと言われるのに、ジョミーは目を白黒させた。
「とにかく。僕はマードックのところへ行ってくる。君は準備して宿舎の玄関の前で待っていてくれ。それから、今度は遅刻しないように」
それだけ言い置いて、ブルーはきびすを返した。その様子をぼうっと見守っていて…。ドアがパタンと閉まるのを聞いて、はっと我に返った。
「な…んだよ、あの言い草!」
自業自得? 面倒?? なんでそんなことまで言われなきゃいけないんだよ!!
「せっかく人が、素直に謝ったってのに! そりゃ、迷惑はかけたよ、かけたけど! あんな言い方って…!」
閉ざされてしまったドアに向かって悪態をついていたジョミーだったが、ふっと言葉を止めて、ため息をついた。
本当は…お礼だって言いたかったのに…。昨日、夜食としてパンを差し入れてくれたこと、そして…今朝は僕をかばってくれたこと…。
そう思ったが、そんな感傷に浸っていては、また遅刻してしまう。ジョミーは気を取り直すと、筆記用具を揃えて学校へ行く準備を始めた。
約束した玄関で待っていたが、なかなかブルーは現れなかった。宿舎内に残っている生徒など誰もいない。みな、玄関で私服を着て立ちん坊しているジョミーを珍しいものを見るかのような目で眺めて、何事かささやき合っていただけだった。よほど、今朝の食堂での出来事がセンセーショナルだったらしい。
…もう学校へ行っちゃったってこと…ないよね…? あの人に待ちぼうけ食わされてるってことって…。
そう疑いかけたとき、玄関のドアが開いて、疲れたような表情のブルーが顔を出した。
…まだ、いたんだ…。よかった…。
ジョミーはそんなことを考えた。よくよく考えれば、ジョミーのために宿舎を出るのが遅れたのだから、口に出せば失礼極まりないだろう。
玄関から出てきた美貌の舎監は、前で待っていたジョミーを見つめて、わずかに目を細めた。そんな些細な表情の変化に、ジョミーはつい見とれた。
「おや。今度は遅刻しなかったか。まあ、当然のことだけどね」
…いちいち一言多い舎監である。ジョミーはむっとした表情になったが、結局何も言わなかった。
「では行こうか。中等部校舎の案内は、級友にしてもらうよう先生に頼んでおく」
言いながら、ブルーはさっさと前を歩いて行ってしまう。
「ま…待って!」
慌ててそれを追いかけたジョミーだったが、コンパスの違いなのか、なかなか追いつけない。特に急いでいる様子もないのに、ブルーの足は速かった。校舎は少し離れた場所にある。だから速く歩く必要があるのだろうが…。
負けるもんか…! これで遅れたら、絶対短足だ何だと馬鹿にされる…!
ジョミーは必死にブルーに置いて行かれまいと、あとを追った。
「君は…一体どういう理由で転入してきたんだい? この学校は、本来転入は認めていないはずなんだけど」
前を歩くブルーから、ぽつりとそんな言葉が聞こえてきた。いつもなら、また人を邪魔にして! といいたくなるところだが、ブルーの声の響きからは、嫌味な様子は感じられない。単純に不思議に思っている、とジョミーは感じた。
「あ…と、僕の両親は交通事故で亡くなっていて、僕は交通遺児なんですけど…。交通遺児育成評議員から学費の援助を受けることになりまして…」
説明を始めたが、ジョミー自身評議員から何を言ってもらったわけでもなく、話せることもそう多くない。
「…君がそんなに優秀だとは聞いていないけどね」
…しかし、やはりその言葉にはむっとした。
「僕だってよく分からないんです…! 出来のいいとはお世辞にもいえないような作文に感動したとか何とか言われましたけど!」
その辺は突っ込まれても困る。自分でもさっぱり分からないのだ。
「へえ、まるで『あしながおじさん』だね」
そういわれて…あ、そうなんだ、と思った。
孤児院で暮らしていた才能のある少女。その彼女が匿名の資産家『あしながおじさん』の援助のもと孤児院を出て進学し、さまざまな経験を経て『あしながおじさん』との恋を成就させるといったものである。
でも。
「…別に僕は孤児院を出たかったなんて思ってないし…」
そりゃ…いつかは出て行かなきゃいけない場所だけど…。こんなに早くに仲間たちと離れてしまうなんて、思いも寄らなかった。キム、フィシス、トォニィ、それに…エラ先生…。みんな、どうしているだろう…。
故郷を思い、懐かしさに切なくなったジョミーだったのだが、学校から聞こえる予鈴の音ではっと我に返った。
しまった…! 早く学校に行かないと…。
そう思って目の前を見て。
どきりとした。
ブルーがじっとこちらを見つめていた。いつもの素っ気ない態度ではない。ましてや、人を食ったかのような表情でもない。
紅い双眸にあるのは、紛れもない怒りだった。けれど、なぜブルーが怒っているのかがジョミーには分からない。
「あ…の…」
しかし、話しかける前にブルーはくるりと方向を変えた。
「…また遅刻だな…」
苦くつぶやかれるのに、ジョミーはなぜかほっとした。
そう、か。また遅刻したから、だよね…。
そう思いつつ、ジョミーは再び歩き出したブルーの後に続いて校舎に向かっていた。
6へ
うんうん、ジョミーの切ない思いも分かりますが、ブルーもあんまり人格者じゃありませんからね〜。(ジョミー以外には思いやりがあって、厳しくも優しい舎監なのですけどね!) |
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