ブルーの予告どおり、彼はその晩部屋に戻らなかった。
必要なものは取りに来たようだったが、ジョミーとはすれ違ったらしく、あの美貌の舎監に会うことはできなかった。
…こんな広い部屋を一人で使うなんて…。
ジョミーはいすに座って自分以外誰もいない広い空間を眺めた。
孤児院では相部屋だったし、両親が健在だったときもこんなに立派な部屋に住んでいたわけではないせいか、落ち着かない。こうなると、あの顔は綺麗なのに口の悪い舎監でもいないよりマシだ。
そう考えかけて、ジョミーは慌ててぶんぶんと首を振った。
いや、ダメだ! あんな奴に弱みを見せちゃダメなんだから! きっと子どもだ何だと理由をつけて馬鹿にされるだけじゃないか…!
そう思って今日習った授業の内容を思い出しながら宿題をしようとペンをとるが。
…こんなに静かなのって…初めてかも…。
すぐにまた手が止まってしまう。ここは最上階で、舎監室のほかは物置くらいしかないため、階下の喧騒はまったく聞こえてこない。
大体…あの舎監が反省室に行ったのは、僕のせいなのであって…。僕があの人のことをどうこういう資格なんて、ない…。
そう思うと、余計に落ち込んでしまう。出るのはため息ばかりだ。
「キム…フィシス…」
ぽつりとつぶやけば、なおさらさびしさが募った。
こんなことじゃいけない、もっとしゃんとしていなければ。笑顔で送り出してくれたエラ先生やみんなのためにも…!
そう思いつつも…ジョミーはため息をついて机に突っ伏した。
「…あれ?」
何かを感じてふっと起き上がった。けれど、その正体が分からずに、ジョミーはぱちぱちと目を瞬いて、まわりを見渡す。
いつの間にか眠っていたようで、時刻はすでに1時を超えている。ここは舎監室だから、誰も見回りに来ないのだろう。そうでなければ、とうの昔に先生から叱られているに違いない。
「と、とにかく、寝なきゃ…」
宿題は、教室に行ってからやればいいやと思って、デスクランプを消してベッドに向かったとき。
違和感の原因が分かった。
ベッドに置かれている青い花。たった一輪、何の装飾もされていないもの。それは、院長室で見た花によく似ていた。その証拠に、その花の香りは院長先生やフィシスの部屋の香りと同じだった。さらにその下には金線の入った高そうな白い封筒が置かれている。
…戻ってきたときには、こんなのなかったよね…?
ジョミーはおそるおそる封筒を手にとり、中を開けてみた。タイプライターの味気ない文字が並んでいるのが目に入る。
『学園の生活には慣れただろうか』
そんな文字が目に飛び込んできた。
これって…もしかしたら…。
『勝手の分からない場所で、心細い思いをしていることだろう。でも君はがんばり屋だから、きっと乗り越えてくれると信じている。私はいつでも君のことを見守っているから』
そんな短い文章だったが、ジョミーは身じろぎもせずその手紙を見つめていた。どのくらいの時間、そうしていただろうか。
「…何でこれだけしか書いてないのに、タイプライターなんだよ…」
ジョミーの口から笑いがこぼれた。
相手はよほど字に自信がないか、忙しすぎて自分で手紙を書けないか…。
「多分…忙しいんだよね…」
交通遺児育成会の評議員ということは、きっと家は貴族か何かで、ほかにもいっぱい役員をやっていて、この手の手紙は秘書が書いたのだろう。
でも…あの大柄なハーレイさんがタイプライターを打っている姿は想像もつかないから…女の秘書さんかもしれない。
それでも…嬉しい。
ひどく惨めな気分でいたせいか、こんな短い手紙がひどく思いやりに満ちた温かなものに感じられた。
…なんだか、ちょっと元気が出た気分…。
ジョミーは手紙を胸にしっかりと抱いてから、顔を上げた。
「え…っと、この部屋花瓶なんかあるのかな…?」
しかし、まったく分からない。増してやあの舎監の荷物をいじって後で文句を言われてはたまらない。とりあえず、棚にあるコップに水を入れてから花を机の端に飾って、それをじっと見つめて。そこでふっと思った。
それにしても…どうやってこの部屋に入ったんだろ…?
一度眠ったらなかなか起きない僕が気がつかなかったのは仕方ないとして…今は夜だし、ここは学園の宿舎の中だし…。
考えてもよく分からない。
この手紙を評議員自身が持ってきたことはあり得ないけれど、あのハーレイという人だって言っていたではないか。この宿舎には、保護者といえど出入りはできないと。
「じゃあ…誰?」
けれど、その答えは出なかった。
翌朝、食堂へ行く準備をしていると、部屋のドアが開いた。
「おや。今日は起きられたようだな」
ジョミーが振り返ると、「当然のことだがね」と続ける同室者が、そこに立っていた。着替えや勉強道具一式を持っているところを見ると、一時的に帰ってきたわけではなさそうだ。
「え…もう戻って…?」
かけられた言葉の内容よりも、ブルーが思ったよりも早くに部屋に戻ったことに驚いて、ジョミーはまじまじと彼を見つめた。
「おやおや。随分と邪魔にされたものだね」
対するブルーは気分を害した風もなく微笑むと、ゆっくりと部屋の中を横切ってふと足を止めた。その視線はジョミーの机に注がれている。何だろうと思っていると。
「…珍しい花だね」
え? と首をかしげつつ振り返った先には、昨日の青いバラがあった。
「ブルーローズ。『不可能』の代名詞にもなった花だ。バラには青の色素がないから」
「へええ…」
花のことに疎いジョミーにとっては初耳だ。だが、確かにこんな色のバラは見たことがないし、そういわれるのには納得できた。
「どこかで品種改良された花なんだろうね。市場に出回っているなど、聞いたことはないけど」
言いながら、ブルーは次にはジョミーを見遣る。
「君に花を愛でる趣味があったとは意外だな」
「べ…っ、別に…!」
暗に女々しいと言われたようで、ジョミーはむっとして反論しようと思ったが、相手の表情から、ジョミーのその反応を楽しんでいるのだと思ってぐっとこらえた。
「き…綺麗なものは綺麗じゃないですか」
そう言うと、ブルーは少し意外そうな表情でジョミーを見つめる。そして、ふっと微笑んだ。
「…そうだな、君のいうとおりだ」
うわあ…っ!
優しく微笑むと、この意地悪な舎監は平生の姿からは想像もつかないほど慈愛に満ちた表情になる。黙って微笑んでいれば、美しいだけでなくさぞかし思いやりのある優しい上級生に見えるだろう。
「確かに、この花は美しいな。それに、これだけの大輪の青いバラなら、さぞかし高値で売れることだろう。それで君はこれをどうやって手に入れたんだ?」
「は…っ?」
なんだか急に俗物的な話になってきて、ジョミーは目を白黒させた。
「貧乏な君がわざわざこんな高そうな花を買うなんて思えない。ならば、誰かからもらったと考えるほうが自然か」
「わ…っ、悪かったな、貧乏で!」
それについては反論ができない。ブルーの家は学園に多額の寄付をしているという。そんな人間から見れば、人の情けで学校に通っている孤児など貧乏人には違いないだろう。
「別に悪いとは言ってないよ。それで? 誰かからのプレゼントかい?」
今度は意地悪くにっこりと微笑みかけてくる舎監をジョミーはきっとにらみつけると。
「誰だっていいだろっ! あなたには関係ない!」
そう言い放った。
本当にこれが自分をこの学校へ推薦してくれた評議員の差し入れだったとして。それを正直に話して、それをこの舎監からからかいのネタにはされたくない。取るに足りない短い手紙と花一輪のプレゼントだったとしても、それをああだこうだといわれたくない。
そう思ってジョミーは精一杯眼光を鋭くした。
対するブルーは気分を悪くするかと思いきや、楽しそうに声を立てて笑うとジョミーを見つめた。
「舎監の僕に隠しごとか。生意気だな」
だが、言葉にはとげがない。むしろ、おかしくてたまらないといった様子で、ジョミーをちらりと見ては笑っている。その態度に何となくむっとして、ジョミーはさっさと部屋を出ようと立ち上がった。
「ああ、僕も行くから少し待ちたまえ。また、変なところから入ってこられると困るからな」
「もうちゃんと行けますっ!」
それだけ叫ぶと、ジョミーはブルーの返事も聞かずに部屋を出た。
こんなに早く戻ってこなければよかったのにっ! 見てるだけなら綺麗で優しそうな人に見えるのに!
7へ
さて、ブルー的にはこれは成功だったのでしょうか! でもやっぱりかわいい子ほどいじめたいを地でいくブルーと、素直に反発するジョミーとでは、春はまだかなあ…。 |
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