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  突然の衝撃。それが何なのか、最初は分からなかった。でも、目を開けて見えた光景に、昨日の夜遅く転校する学校の寄宿舎に到着したのだと思い出した。目を動かすと、綺麗な赤い瞳が目に入る。ああ、ルビーの宝石みたいだ。
 深い赤をたたえた、その瞳。彼の視界には、僕はどんなふうにして映っているんだろう…。
 「…早速寝坊か。先が思いやられるな」
 しかし。そんな呆れかえったような響きに、頭の中にかかったもやが一気に晴れて行くのが分かった。同時に自分がベッドではなく、冷たい床に転がっていることにも気がつく。
 「早く着替えて食堂に下りてきたまえ。まだ制服はできてないのだから私服でいい。朝礼までもう時間が…」
 「ちょっとっ! どういうことなんですか!! 起こすにしても、もっとやり方が…!」
 「最初は声をかけていたんだけど、なかなか起きなかったからね。仕方ない」
 いけしゃあしゃあとそう言う秀麗な上級生に、ジョミーはむかっとした。
 「だからって! ベッドから突き落とすことないじゃないですか!!」
 「起こしてもらって礼を言ってもらってもいいくらいなのに、文句を言われるとはね。君も大概礼儀を知らないな」
 「あなたが言うな!!」
 礼儀とか何とかは!
 この人は顔は綺麗だけど、とんでもない傍若無人な人であると昨日思い知ったばかりだ。しかも、その人が舎監であるというのだから、頭が痛い。それに、転入性など邪魔だと言わんばかりの邪険な態度は、昨日からまったく変わらない。
 そう思って。
 ふと、昨日のコッペパンのことが思い出された。あれがなければ、お腹がすきすぎてこんなにぐっすり眠れたかどうか分からない。
 「あ、あの…昨日は…」
 この部屋にはこの人と自分しかいない。だから、あれを自分の机の上に置いたのはこの人に間違いはない。そう思ってお礼くらいは、と思ったのだが。
 「さっさと服を着て食堂に来たまえ。でないと朝食を抜かれる。僕は舎監だから遅れるわけにいかないから、先に行くよ」
 「え…ちょっと…!」
 朝食を…抜かれる…?
 礼を言おうと思っていたが、あんまりな言葉を聞いて、さすがに慌てた。さらに、バタンとドアが閉まるのに、慌てて立ち上がった。
 どんな服でいいからさっさと着て行かなきゃ…!
 慌てて昨日着ていた服をつけてドアを開けると、すでに廊下には誰もいなかった。
 しまった…! 食堂の位置を聞いてない…!!
 何となく話の流れから、食堂は1階のような気がして廊下を走る。階段を一気に駆け下り、食堂を探したが、どこにあるのかさっぱり分からない。
 これじゃ、朝食抜きになってしまう…! 昨日だってろくに食べてないのに…。
 ジョミーは途方に暮れて立ち止まった。1階のロビーには、大きな窓からさんさんと朝日が降り注いでいる。それさえ恨めしい気分になって、ジョミーはため息をついた。
 …僕、本当にこんなとこでやっていけるのかなあ…?
 笑顔で送り出してくれたキムやフィシス、そしてエラ先生の顔が浮かぶ。ジョミーは気を引き締めて首を振った。
 …早くもホームシックなんて、絶対キムに笑われる…! とにかく…何とか朝礼に間に合わないと…。
 ジョミーは1階を調べてから2階に上がった。だが、1階より上は生徒たちの部屋らしく、食堂らしきものは見当たらない。困り果てて視線をさまよわせ、窓から外を見たとき、すぐ隣に一階建ての建物があるのに気がついた。よく見れば、そこには少年たちが集っており、テーブルには朝食らしきものが並べられているのが分かった。
 あそこだ…!
 ジョミーは再び階段を降り、外へ続く玄関のドアを開けた。
 昨日は暗くて、まわりの建物などよく見ていなかったが、食堂は宿舎と隣接するように建っていた。
 げ…もう朝礼始まってる…!
 カトリック系の学校らしく、ブルーの聖書を読みあげる朗々とした声が聞こえてきた。食堂に集まっている少年たちは、黙とうをささげている。壇上に立つブルーの澄んだ声に、ジョミーはつい立ち止まった。
 …優しい…声だな…。
 すごく嫌味な人だけど、と思いかけて。はっとして入口を探した。このままでは本当に間に合わない…! 早くここに入らなきゃ…!
 ジョミーはドアを見つけて急いで開けようとした。だが、なぜか開かない。
 なんで…? どうして…!?
 焦るが、押しても引いても開かない。ドアががたがた言う音のせいだろう、そのうちドアの付近の少年たちが、気がつき始めた。黙とうしていたはずが、こちらをちらちら見てくるが、誰も開けようとしてくれない。
 ええい、もういいや!
 ドアを開けることはさっさとあきらめると、ジョミーは窓を思いっきり叩いた。
 「誰か開けてください、入れないんです!」
 しかし、周りにいる少年たちはそんなジョミーの様子を呆然と見ているだけ。いや、見ているのは今や周りにいる少年だけでなく、食堂にいる全員だ。ブルーもようやく気がついたようで、聖書の朗読の声が止まった。
 「…ジョミー・マーキス・シン!」
 ふと見ると、教師らしい銀縁の眼鏡の男がジョミーがさっきまで押したり引いたりしていたドアを開けてこちらを見下ろしている様子が目に入った。ジョミーはほっとしてドアから中に入ろうとしたのだが…。
 「なぜ渡り廊下を通ってこなかった? ここからは通常出入りはしないのだ」
 そう言われるのにはむっとする。
 「僕は昨日ここに来たばっかりなんだ! そんなこと知るわけないじゃないか!」
 そう言うと、その教師はさらに険しい顔つきをした。
 「まったく…遅刻するだけでも厳罰ものだというのに、口答えまでするとはな。貴様のようなひよっこにはお仕置きが必要なようだな」
 言いながら、腰から細長い教べんを取り出した。
 「え…っ、ちょっと待って…!」
 それをそのまま振り下ろされそうになり、ジョミーは慌てて頭をかばった。だが、いつまで経っても叩かれそうな雰囲気はない。ジョミーは恐る恐る顔を上げた。
 「いきなり暴力とはよくないのではないか? マードック」
 教べんは振り上げられたまま止まっている。よくよく見ると、振り上げた教べんの先を後ろから押さえている人がいた。
 「え…っ?」
 その姿を見て、ジョミーは呆気にとられた。それは、さっきまで一段高い壇上で聖書を朗読していたブルーだったからだ。
 「…これはこれは…。舎監ともあろうものが、こういう特例を認めるのですかな?」
 マードックと呼ばれた教師の頬がぴくぴくと痙攣した。笑顔は浮かべているものの、体罰の邪魔に入ったブルーに対して相当怒っているらしい。ブルーが掴んでいた教べんの先を無理やり引っ張って放させると、再びそれを自分の懐に納めた。
 「『特例』という言葉は好きではないが、今回は認めてもよいのでは?」
 対するブルーは涼しいものだった。だが、まわりの少年たちははらはらしてことの成り行きを見守っている。
 「そんなことを貴様のような舎監ごときに指図される覚えはない。貴様は聖書さえ読んでいればいいんだ!」
 「言葉を返すようだが」
 ブルーの低い声に、マードックは口をつぐんだ。
 「学園の規律を守り、風紀を維持するのは舎監である僕の役割のひとつだ。だからこうして朝礼の壇上に上がり、皆の筆頭となって神への感謝をささげている。夕食時も同様だし、夜中の見回りもその一環だ。むろん、特例ばかりを認めていては規律は守ることができないのは分かる。だが、このジョミー・マーキス・シンは昨夜遅く宿舎に到着したばかりで、基本的な規則どころか部屋の配置すら知らなかったのだ。酌量の余地はあるのではないか」
 淡々と告げるブルーに、マードックはむっとして黙り込んでいたが、やがてゆがんだ笑みを浮かべて「なるほど」とつぶやいた。
 「その理屈で言うなら、こいつが規則を守らなかったのは、貴様の責任ということになる。貴様がしっかりと転入生を指導しなかったということだろう。ならば、貴様がこいつの代わりに罰を受けるということになるのではないのか?」
 「そんな…! 遅刻したのは僕で…!」
 「貴様は黙っとれ!」
 あんまりな屁理屈にジョミーが反論しかけたが、マードックはそれを一喝してからにやりと笑って美貌の舎監を見つめた。
 「…分かった」
 ブルーはため息をついてからうなずいた。
 「そんな…!」
 信じられなかった。規則を破ったのは自分であってブルーではない。それなのに、なぜそんな言葉に従わなければならないのか。
 「だが、今は朝食前だ。これ以上騒ぎを長引かせて皆の登校時間に差し仕えるわけにはいかない」
 しかしブルーは完全に割り切ってしまったらしい。マードックも溜飲が下がったと見えて、ふんと笑った。
 「それもそうだな。では、朝食後に私の部屋まで来い」
 そう言うと、マードックは満足したように笑ってきびすを返した。
 自分のせいで、この人が罰を受ける…?
 そう思うと、どうすればいいか分からなくなって、ジョミーは去っていくマードックと目の前に立つブルーを見比べた。
 「あ、あの…」
 「君は早く席に着きたまえ。一番後ろだ」
 けれどブルーはというと、昨日からの態度とまったく変わりなく、おろおろしているジョミーに素っ気なく声をかけてくるりと背を向けた。
 どうしよう…。
 あんなに待ちわびていた朝食の匂いすら気にならない。
 自分はいい。自分のしたことなら責任をとろうと思うが、それに他人を巻き込むなんて…。それが、あの綺麗な人だなんて…。
 ジョミーは悠然と歩いて再び壇上へ上がるブルーの後ろ姿を見ているしかなかった。
 
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        | 正義感が強く、優しいジョミーとしては、こういう展開は無茶苦茶不本意! 早速大きな借りを作ってしまった気分のジョミーですが…。ブルーとしては攻めやすくなったかも…? |   |