「さて、君の部屋だが」
目の前を歩く、綺麗な上級生は、階段を登りながら話しかけてきた。ジョミーは小さなボストンバックひとつを持って大人しくついてゆく。
「実は、この宿舎は満員で空き部屋がない」
「ええっ!」
部屋がないということは…どこかその辺の廊下で寝ろというのだろうか。
そ、そりゃ、野宿よりもずっとずっとましだけど…ここに転校したという以上、今日だけの問題ではないのに!
「そ…それじゃ僕、どうすれば…」
「こんな変な時期に無理やり転校なんかしてくるからだね」
「そんなこと言われたって…! 僕が選んだわけじゃないんだから…!」
「そうかい?」
ブルーはちらりとこちらを見たが、すぐに視線を戻した。
「いずれにせよ、ロビーで寝泊まりされた日には、風紀上あまりよろしくないからね」
よくないのは風紀上だけか!
そう突っ込みたいのをぐっとこらえ、ジョミーはブルーの次の言葉を待った。とりあえず、前向きな話が出てきそうな気がしたからだ。
「この宿舎はひとり部屋が基本だ」
…そうなんだ。
今まで4人の部屋で過ごしてきたジョミーにとっては、その破格な待遇にびっくりだ。
「けれど、さっきも言ったとおり部屋がない。だから、とりあえずは僕の部屋で寝泊まりするといい」
「はぁ!?」
こんな嫌味な人の…部屋っ?
「僕の部屋は舎監という立場上、ほかの部屋よりも広く作ってある。だから、当面は舎監室に住めばいい、僕は舎監だからそのくらい我慢しよう。もっとも…君さえ異存がなければ、だがね」
そう、こちらを振り返って目を細められるのに。ジョミーはむかっとした。
なんって嫌味な奴! この恩着せがましい言い方がまた腹の立つ…!
怒りのあまり怒鳴りそうになったが…この美貌の舎監はまた前を向いて再び歩き出した。
「まあ、君に選択の余地はないだろうけどね」
分かってるなら、言うな!!
そう怒鳴りたい気持ちを何とか抑え、ジョミーはブルーのあとについて歩き出した。
ああもう! どこでもいいから早く空き部屋が出てくれればいいのに! なんで引っ越し初日にこんな目にあわなきゃいけないんだよ!!
ジョミーは心の中で精いっぱい悪態をつきながら歩いていたが。ふと何かを思い出した。
「あの…夕食って…あるんですよね?」
ずっと移動ばかりで、何も食べていない。あの秘書のハーレイという人も、ただ黙々と付き添ってくれただけだったから…。
「もう食堂は終了しているよ。明日の朝まで待つんだね」
…うそ…。
それなのに。涼しい声でそんな冷たい答えが返ってきてジョミーは途方に暮れた。
こんなにお腹がすいているのに? 夕食…抜き?
しかし、ブルーはまったく気にした風もなく前を歩いて行く。ジョミーはそれに続くしかなく、足取りも重くブルーのあとについていった。
「さて、ここだ」
最上階に到着した。4階建ての宿舎であるため、その4階が最上階だ。ドアを開けると、広々とした空間が目の前に開ける。
こ、ここをひとりで使うって…贅沢じゃないか!
ブルーに続いて部屋の中に入ったジョミーは、その広さに閉口しながら部屋を見渡した。自分が4人で使っていた部屋より、さらに広い。
「幸い机は二つある。僕は窓際のものを使っているから、君は廊下側のものを使いたまえ。それから、ロッカーは机の隣だ。僕の使っているものよりは小さいが、君の荷物は少ないようだから、あまり問題はないだろう」
だが、ジョミーの思いをよそに、ブルーはてきぱきと説明する。
「この宿舎の規則は明日渡そう。とりあえず、起床は6時、朝食は6時半だ。舎監と同室なんだから、遅れないでくれ。僕が恥をかく。夕食は7時、就寝は、中学部は9時だ。高等部は10時だから、僕はまだ起きていてもいいが、君はすでに寝る時間になっているな」
…寝たい…けど。
ジョミーは心の中でこっそりつぶやく。
…お腹がすいて、眠れるかどうか…。朝食が早い時間なのは助かるけど…。
「ああ、それと、ベッドはひとつしかない」
「…? は…っ!?」
同じような口調で告げられて、うっかり聞き逃しそうになったが、その言葉には驚いた。机もロッカーも二つあるのに…!?
「幸いにもダブルサイズだ。僕は誰かと一緒に寝たという記憶はほとんどないが、それなりにスペースはあるから我慢できると思う。けれど、君が嫌なら床で寝ても構わないよ」
「床で寝てもって…! そもそも、どうしてベッドだけがひとつなんですか!!」
しかも、我慢ときたものだ! こっちだって、こんな嫌味ったらしい奴と一緒に寝るなんてごめんなのに! …顔は…綺麗だけど…。
「知らないよ。僕が来たときからこうだったからね」
対するブルーは平然としたものだ。しかも。
「我慢はするが、いびきがうるさいようだったらすぐに叩きだすからそのつもりで」
「だ…っ、誰が!」
いびきをかくなんて言われたこと、ないのに!!
「では、シャワーでも浴びてきたまえ。本当なら、入浴時間も終わっているんだが、この部屋には特別にそういう設備もついている」
ジョミーに反論の暇さえ与えず、自分の言いたいことをさっさと言ってしまうと、ブルーは背を向けて机に向かった。
「失礼、明日の予習をしておきたいから、しばらく話しかけないでくれたまえ。僕はずっとひとり部屋だったから、誰かが一緒にいると気が散るんだ」
「はあっ?」
言うだけ言って、今度は話しかけるなときたものだ。
そ、そんな言い草って…! これじゃ、ただの邪魔者扱いじゃないか!!
怒りのあまり、さっさと椅子に座ったブルーに食ってかかろうと思ったが。
…やめた、怒ると余計にお腹がすきそうだし。
そう思って、とぼとぼときびすを返し、シャワーでも浴びようと歩き出した。しょんぼりと扉を開けてシャワールームに消えていく姿を、半身をこちらに向けて見つめていたブルーのことなど気がつかずに…。
シャワーを終え、いくらか気持ちがすっきりしたジョミーは、ようやく一息ついた気分になってシャワールームのドアを開けた。すると部屋の中はナイトライトのみが灯っているだけで、すでに暗かった。
…はあ。早く朝食食べたい…。
そう、気分は良くなっても満腹になるわけじゃない。仕方なくジョミーはナイトライトの中、パジャマを取り出そうとボストンバックを置いた机に向かって。
はっとした。
…これって…?
ボストンバックの隣に、見たことのない紙袋がある。その中にコッペパンが3個入っているのにびっくりして、もうベッドに入っているブルーを見やった。けれど、すでに寝入っているらしく、向こうを向いたまま、まったく動かない。
これは…この人が持ってきてくれたんだろうか。あんなに意地悪で、僕のことなんか迷惑以外の何物でもないって顔してたのに?
手の中にあるパンの入った紙袋と、向こうを向いたまま眠っているこの人を見比べて、少しの間悩んだ。
い、いいんだよね? 僕の机に置いてあるんだから。あとで返せとか、規則違反だとか言わないよね…? いや、この人なら言いそうだ。それなら、取り上げられる前に、さっさと食べてしまおう。
そう思いながら、パジャマに着替えたあと、なるべく音のならないように紙袋からパンを取り出してそっと口に運ぶ。その途端、なぜか涙があふれてきた。
…あれ? あれれ?
どうしたんだろうと思いながら、ぼろぼろこぼれてくる涙に戸惑って、早く食べようと思っていたのになかなか食べられない。思った以上に孤児院を離れることが不安だったらしいと、ようやく気がつくほどだった。
なんだか、しょっぱい、かも…。
パンを食べながら泣いている自分が、情けないような、可笑しいような。
それでも。涙を拭きながらもなんとか食べ終わり、ジョミーはそうっとベッドに歩み寄った。やはりこの人は寝入っているようだ。微動だにしない。
「…あの、ありがとう、ございました。…お邪魔します」
聞こえているのかよく分からなかったが、小さな声でお礼を言ったあと、ジョミーはベッドにもぐりこんだ。中はあたたかくて、この人の体温が伝わってくる。
意地悪で嫌味なこの人のぬくもりが、こんなに優しく感じられるなんて…。
ジョミーは目を閉じてベッドのスプリングに身をゆだねた。そして、ほどなく疲れから眠ってしまったのだった。
4へ
まあ、アレですよ。意地悪で嫌味な奴が、ほんの少しいいことをすると、すごくいい奴になって見えるってパターン! それを狙っているとしたら、ブルーもしたたかですねぇ! おまけに、机やロッカーは二つで、ベッドがひとつってアナタ…。 |
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