「おま…っ、何考えてるんだよ!」
突然院長室の扉がバタンと開き、キムが飛び込んできた。
「キム!?」
「まあ、なんですか騒々しい!」
ジョミーの驚きの声と、エラの苛立たしげな言葉が重なった。だが、キムはまったく気にした様子がない。それどころか、怒った顔をしてジョミーの前までやってきた。
「そんな夢みたいな話、なんで断るんだよ! 俺たちに遠慮してるのか!?」
「え…。ち…違うっ!」
そんな風につめ寄られて、ジョミーは一瞬言葉に詰まった。みんなと離れたくないという気持ちはある。でも、それと同じくらい自分ばかりがいい思いをしていいのだろうかという気持ちがあったことも否めない。自分よりももっと礼儀正しい子どももいるし、もっとがんばっている子どももいるからだ。
それ以上言葉が続かず、黙っているのを肯定と見たのか、キムはジョミーの胸倉をつかんだ。
「キム…っ」
「お前がいい学校に行くのを見て、俺たちが嫉妬するとでも思っていやがるのか! 俺たちは、そんな心の狭い奴じゃないぜ!」
「そ、そんなんじゃ…」
「キム、やめなさい!」
ジョミーの否定の言葉も院長の制止の言葉も耳に入らないらしい。キムは憤怒の表情でジョミーをにらんだ。
「馬鹿にするな…! お前のことなら、俺は自分のことみたいに嬉しいってのに…! それなのに、なんでそんな気ぃ遣うんだよ…」
「キム…」
胸倉をつかんでいた手が緩む。同時に、キムはそのままうつむいてしまった。ジョミーは何を言っていいのか分からずに、キムを見つめているしかなかった。
「…行けよ。」
そのときぼそりと聞こえた、キムの声。
「行けって。そりゃ、お前とはめったに会えなくなるんだろうけど、こんなチャンス、二度とないぞ? ナントカいう評議員からの話だっていうのなら、おかしなことにはならないだろうし、何よりもお前の力を試せる絶好の機会だ」
「僕の力って…そんなもの…」
「うるさいっ!」
キムはジョミーを遮るように叫んだ。
「ああ、もう四の五の言うな! いいから行ってこいよ! それでダメだったら、またここに戻ってくればいいだろうが!」
いつでも待ってるから、と。そう言われるのに、ジョミーは今は泣きそうな顔で笑っているキムを見てから顔を上げてエラを見つめた。院長であるエラは微笑みながらうなずいた。
「ジョミー、行ってらっしゃい」
視線を泳がせると、廊下にフィシスやほかの仲間たちも見える。その表情がとても優しくて、ジョミーはつい胸が熱くなったくらいだった。
「行ってこいよ、ジョミー」
「長休みには帰ってきてね」
「見てないと思ってサボるなよ」
「向こうではちょっとは大人しくしろよ」
そんな声をかけてくれる、仲間たち。ともすれば、視界がぼやけてみんなの笑顔が見えなくなりそうだ。
「…うん」
うん、ありがとう。みんな…。
その後、お別れ会も終わり、ジョミーがここを発つ日がやってきた。最初は駄々をこねていたトォニィたちも、キムたちの説得で何とか納得したらしく、字を覚えてジョミーに手紙を書くと笑顔で話すようになっていた。
すでに夕刻に近い時間。ジョミーはボストンバックひとつ持って、孤児院の前で待つ黒い車に歩み寄った。
ああ、そういえば、ナントカいう評議員の青いバラの人と会うのは初めてなんだ…。お礼、言わなきゃいけないんだよね?
そう思って緊張した面持ちで後部座席から降りる人影を見つめた。
「君がジョミー・マーキス・シンだな?」
大柄な身体に浅黒く日焼けした肌。50歳前後と思しき男がジョミーを伺った。
「は…はい!」
「準備はできているようだな。では行こうか」
この人が…。
ジョミーはじっと男を見つめた。
「まあ。評議員はいらっしゃらないのですか?」
しかし。見送りに出ていた院長がそういうのに、ジョミーは目を丸くした。
え…? この人がそうじゃないの?
「あの方は何かと忙しい。秘書の私が代理でこの子を迎えに来た」
「そう…ですか。今一度、お礼を申し上げたいと思ったのですが…」
「分かりました。主人に伝えておきましょう」
それだけ言うと、大柄な男はジョミーに車に乗るよう促した。ジョミーは慌てて車の後部座席に乗った。
「ジョミー、元気で」
エラが微笑みながら声をかけてくるのに、ジョミーははい、とうなずくと、車は静かに発進した。
…それにしても。
と、ジョミーは車内の内装を見まわしながら思った。
すごく、高そうな車…。椅子はふかふかだし、照明にはシャンデリアまでついている。それに何よりも、ものすごく広い…!
こんなすごい車を持っている評議員って、どんな人なんだろう? 院長に聞いておけばよかった! よくよく考えると、実際に会って顔を見ているのは院長だけなんだよね? フィシスも会っているけれど、盲目だから姿までは分からないだろうし。
見も知らない子どもの学費、しかも私立学校の学費だけでなく、宿舎の部屋代を出してくれるなんて、相当なお金持ちだと思っていたけれど…。
「君の行く学校は」
「はっ、はい!」
急に隣に座った大柄な男に話しかけられて、ジョミーははっとして居住まいを正した。
「この国では最高レベルの学校だ。学業成績もさることながら、課外活動も盛んで、スポーツクラブは全国大会や海外に遠征するくらいだ。君には得意なスポーツはあるかね?」
「スポーツは…全般的に好きですが、前の学校ではサッカーをやっていました」
「ああ、そうだった。確かレギュラー選手だったな。だが、今度の学校ではレギュラーになれるかどうかは分からない」
「はい、僕もその学校のサッカーチームは強いと聞いていましたから」
むろん、聞いただけだ。こちらは全国大会どころか、地区大会でもぱっとしなかったのだから、戦ったことなどない。
「分かっているのなら結構。それから、宿舎の規則は厳しい。今までのような奔放な生活はできない」
「奔放…?」
孤児院での生活は、それなりに厳しかった。だから、つい不満そうな声になってしまった。
「秘書さん! 孤児院でも、集団生活の決まりはありました!」
「私の名前は、ウィリアム・ハーレイだ。ハーレイと呼んでくれればいい。宿舎の規則はそれ以上に厳しいと言っているんだ。規則を破れば、体罰だってある。今までのように、笑って済ませることなどできなくなる」
そう言われるのに、少しひるんだ。
体罰って…どんなものだろう?
「…まあ、規則に従って普通に生活していれば、そんな単語に縁はないだろうがな」
ジョミーが気の毒になったのか、ハーレイはそう補足してきた。
「朝は時間どおりに起き、朝食当番は早めに食堂へ行って準備する。夕食は時間内に食べ、夜は時間どおりに眠る。その程度のことだ」
…よかったー…。
あまりにも突飛な決まりがあったらどうしようと思っていたが、思いのほか普通の規則のようだ。要は、それを破れば厳しい罰があるということなのだろう。
「もうすぐ空港だ。1時間ほど飛行機に乗って、その後は2時間ほど車に乗っていれば学校に着く」
「え…そんなに遠いの!?」
「そうだな」
平然とした表情で見下ろされ、ジョミーは慣れ親しんだ土地から離れる寂しさが不安とともにじわじわと心の中に広がって行くのを感じた。
「あの…ハーレイさん」
「なんだ?」
「長期の休みには…孤児院に戻っていいんですよね?」
「構わん。そのときの交通費も負担するという約束だ」
「そう…」
少しだけほっとしたが、長期休暇はまだまだ先だ。ジョミーはこっそりため息をついてから車窓を眺めた。夕日が目に鮮やかに映る。
…向こうに着くころには、すっかり夜になってるだろうな…。
それから飛行機に乗り、さらに車に乗り換え。夜も10時になろうというころ、ようやくジョミーは宿舎に着いた。
…疲れた。
早くベッドに入って寝たいと思っていたが、僕のベッドはあるんだろうか?
「ここから先、私は入ることができない」
漠然とそんな不安を覚えた矢先、ハーレイは突き放すようにそう告げた。
「え…」
「そういう決まりだ。宿舎には保護者であっても入ることが禁じられている。これは子どもの独立性を阻害しないようにという配慮らしい」
じゃ…じゃあ、僕はここからひとり…?
不安げに見上げたジョミーだったが、ほどなくここの生徒と思しき人が重そうな扉を開けて出てきた。その人を見た途端、ジョミーはついぼうっと見とれてしまった。
紅い…瞳。
あまり見かけない深紅の瞳に、ジョミーはぶしつけなほどその人を見つめてしまった。
なんて…綺麗な色なんだろう…。
「この子だね。明日からこの学校へ編入してくるというのは」
しかし、それを気にした様子もなく、紅い瞳に銀の髪を持つ青年はハーレイと話をしている。扉の向こうに、広い玄関とホールが見えるが、ジョミーにとってはこの紅い瞳の青年から目が離せず、観察する暇もない。
「遅くなりまして、すみません」
「いや。距離があるのだから仕方あるまい」
あれ…?
それは何となく不思議な光景だった。明らかに年上であろうハーレイが、目の前の18歳くらいの青年に礼をつくしている。
…若そうに見えるけど、偉い人なんだろうか。
ぼんやりとそう思っていたら、ハーレイがふっとこちらを向いた。
「ジョミー、こちらは君の編入する学校の高等部の生徒会長だ。この宿舎の舎監も兼ねているそうだから、この宿舎や学校のことをしっかりと教えてもらうといい」
「は、はあ…よろしく、お願いします」
そういわれても、ジョミーには何をどういえばいいか分からない。とりあえず、頭を下げてもう一度この人をまじまじと見た。
…綺麗な、人だ。
紅い瞳が印象的で、最初はそちらに目が行ってしまっていたが、落ち着いてこの人をよく見ると、今度は色白の整った目鼻立ちに目が釘付けになった。白皙の美貌とは、この人のようなことをいうのだろう。
「では、私はこれで失礼する」
「え…あの、ハーレイさん!」
そのままきびすを返そうとしていたハーレイは、足を止めてジョミーを振り返った。
「あの…っ、どうも、ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げると、ハーレイは右手を上げてから車に戻って行った。
「ジョミー・マーキス・シン、だったな」
ハーレイを見送っていると今度は背後から声をかけられて、ジョミーは慌てて振り返り、居住いを正した。紅い双眸が、こちらを見つめている。
青年の着けているものは、白い開襟シャツとベージュ色のスラックス。そんなどこにでもありがちな服装なのだが、この青年が着ているというだけで、とても高価なものになって見える。
「早く中に入りたまえ。もう就寝時間だ」
そういわれても、ジョミーはぼけっと突っ立っているだけだ。
声も…すごく落ち着いた感じだ。高等部って言ってたけど…この人って、本当に高校生なんだろうか。物腰も優雅で、青年が上流階級の出身だということは、こんな世界に無縁なジョミーにもよく分かった。
だが、一方の青年は、呆れたようにため息をつき。
「…野宿したいのなら、勝手に寝る場所を探したまえ」
ぼんやりとしているジョミーを見遣ってからそうつぶやくと、重厚な扉をばたんと閉めてしまった。
「え…!?」
そこでようやくジョミーは我に返った。
「あ…ちょっと待って! 入れてください! 野宿なんて!!」
扉を押したり引いたりが、開かない。懸命に扉を叩いたりしたが、反応もない。
「う…そ…」
こんなに疲れてるのに…野宿…? そんな…。
さすがに途方に暮れてしまう。こんな勝手の知らない場所で、こんな夜にたった一人で外にいなければいけないなんて…。
そう思っていたら、ぎぃという重たい音を立ててドアが開いた。
「…君という子は面白い子どもだね」
笑みを含んだような声に、ジョミーは目を見開いたまま楽しそうに笑う紅い瞳の青年を見つめた。
「鍵なんかかけてないよ。ただ、この扉にはクセがある。外から開くときには、こうやって上に持ち上げるようにして引かないと開かない」
「の、野宿…しなくていいんですか…?」
「君がしたいのならそうしたまえ、とさっき言ったよ」
早く入りたまえ、と再び言われるのに、ジョミーは今度こそ締め出されてはいけないと慌てて宿舎内に入った。宿舎の中も、歴史のありそうな重厚なつくりだ。
すごい、とまわりを見渡していたジョミーだったが、くぐもった笑い声が聞こえてくるのに、首をかしげて振り返った。
「いや、失礼。扉を開けたときの君が、まるで捨て猫のようだったからね。ついおかしくなってしまったんだよ」
不安そうにこちらを見上げてくるところがね、といわれ、さすがのジョミーもかっときた。
「それは…っ、あなたが僕を締め出すような真似を…!」
「なかなか入ってこなかったから、この宿舎がいやなのかと思ったんだよ」
そういいながら、まだ笑っている青年に、ジョミーはぷうっと膨れた。
…なんて意地の悪い…! ちょっとでもこの人を綺麗だと思った自分が馬鹿だった!!
3へ
と言うわけで、青いバラの人登場vv 今回のブルーはちょっと意地悪さんですねぇ。速水●澄も意識してますので!(でも、あんな激しい過去は持ちませんが)さあ、次の課題は部屋割り〜♪ 当然同室でしょう! |
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